XX
「まさか悪魔を従えるとはのぅ、大したタマじゃ!」
自分の机に戻り落ち着いたホジュアが、がははと笑い声をあげる。――その様子を、アザレアは見ていた。
「いや……従えるとか、そういうことじゃなくて――」
「そうでヤス! アニキは優しいんでヤスよ!」
フェルディックの声に、チゲの嬉しそうな声が被さる。チゲは今、翼を休めフェルディックの肩に立ち、ケタケタと笑っている。
「そうかそうか。優しい子に育ったか」
ホジュアもまた、嬉しそうな声で答える。
――まったく、これじゃまるで、お爺ちゃんと孫ね。
「う~ん……」
フェルディックは低く呻きながら、頭を掻いていた。
彼からすれば、チゲから一方的に好かれているだけで、“従えている”という感覚ではないのだろう。
だから、“従えている”というホジュアの表現がしっくりこなかったようだ。
だけど。
低級とはいえ、インプとて悪魔の端くれ。それを契約もせずに連れまわすなんて、それこそ常識では考えられない行為なのだけれど……。
そんな常識も知らない子だからこそ、平然と悪魔と一緒にいられるのかもしれない。あるいは……。
ふっと、アザレアは微笑んだ。
それはチョット、期待しすぎかしらね。
「さて……それではひとつ、お願いがあるんじゃがのぅ」
ホジュアの左の眉毛が、くいっと持ち上がる。彼はその細い目で、上目遣いにフェルディックを見る。
「お願い……ですか?」
「その――なんじゃ? レッドキャップの歯と、妖精から貰った石とやらを見せてはくれんか?」
「はい。わかりました」
フェルディックはあっさりと承諾し、ポケットに手を入れる。
そして、レッドキャップのものと思われる鋭い歯と、妖精から貰ったと言う石を取り出した。彼は、それらの品をホジュアの机に置いて、一歩下がる。
アザレアも興味があったので、一緒に観察することにした。
「むぅ……これは……」
ホジュアが、低く唸った。
研究者としての血が騒ぐのだろうか。手にした珍品を、細部に渡るまで注意深く見入っている。
「……素晴らしい……!」
ホジュアは溜め息と同時に、感嘆とした声を漏らした。
「のぅ、フェルディックよ。コレをワシに預けてはみぬか?」
ホジュアの目が、爛々と輝いている。
やれやれ……どうやら、老人の研究者魂に火をつけてしまったらしい。
「やめておきなさいフェルディック、どうせろくなことにならないわ」
「ぬしは黙っておれい。……お願いじゃ。こんな珍しい素材を使った研究ができるなぞ、そうはあるまいて、――頼む! この通り!」
ホジュアは、ぱんっと両手を合わせて、フェルディックに頭を下げる。
「……は、はぁ……」
フェルディックは、苦笑いでぽりぽりと頬を掻いている。
まったく、この爺様ときたら――。
ホジュアは研究のこととなると、見境が無いのだ。
子供を相手に、平気で頭を下げるのだから、呆れたものだ。
「わかりました」
フェルディックが頷く。
「それで、一体どんな研究をするのですか?」
「フフン……よくぞ聞いてくれたのぅ」
ホジュアの目がキラリと光った。
まるで、その質問を待っていたかのようだ。
老人は指を立て、意味ありげに微笑を浮かべる。
「のぅ、フェルディックよ。おぬしは何故今ここに存在しておる?」
「……え?」
突拍子のない質問に、フェルディックが小首を傾げた。
「それは、ここに存在していたいと願う無意識の力だとワシは考えておる。よいか――?」
ホジュアは机の上に置いてあったビーカーを手に取った。
「生物と物質を分ける要素はただ一つ。それは『意思』の有無じゃ。このビーカーはただの物質。じゃから『意思』を持っておらん。故に――」
ホジュアは手にしたビーカーを乱暴に投げ捨てた。床に衝突したビーカーが、ガラスの粉砕音と共に、その破片を床に撒き散らす。
「このように“外から影響”により、いともたやすく形を失ってしまう。じゃが、それが生物の場合だと――」
ホジュアが今度は身を乗り出し、フェルディックの肩にいるチゲめがけて、勢いよく手を伸ばす。
「ナ、ナニするでやスか!」
突然のことに驚いたチゲは、反射的に飛び上がって、声を張り上げる。
チゲを捕まえ損ねたホジュアは、再び椅子に腰を下ろすと、鼻で息をついた。
「――と、このように、外部からの刺激を回避することもできる。これが『意思』の力じゃ」
「それで、一体なにが言いたいのかしら?」
アザレアは、ホジュアを見て言った。
「つまり、フェルディックよ」
……無視?
どうやら、この老人は、あくまでもフェルディックを相手に熱弁を振るっているらしい。
「ぬしが今、存在していたいという『意思』を失ってしまったら、途端に外部からの刺激で肉体は崩壊してしまう。つまるところ、生物で言う『死』じゃな」
ホジュアの声に、さらに熱がこもる。
「通常、“肉体を器に魂が宿っている”と考えられておる。ここに存在し、意思を持って行動する。つまり“生きている”とは、そういう状態のことを差すのじゃ。……じゃがのぅ。“肉体から魂が離れてしまう”ことが、まれに起こるのじゃ。例えば、幽体離脱などがそうじゃ」
ホジュアは、机に置いてあったビーカーに、また手を伸ばす。先ほどと違い、今度は中に水が入っている。
「ビーカーは『肉体』。中の水が『魂』だとしよう。もし、このビーカーの水が零れ落ちたとしても、もとの器に戻せば元通りになる……。と、ここまでは当たり前の話じゃがの」
ホジュアは、ビーカーの方に注目するよう、指でコツコツと鳴らした。
「……もし仮に、このビーカー……つまり『肉体』のほうが、『魂』である水を汲もうと移動すれば……どうなる?」
フェルディックはそれまで傾けていた首を、さらに傾ける。
彼の返事も待たずに、ホジュアは続けて、ビーカーに入っている水を一滴、机に落として見せた。
「もし、“魂”だけが先に移動して、その後から“肉体”がそこに転移したらどうなるか?」
……なるほど、そういうことね。
ようやくホジュアの意図が読めてきた。
これは、逆転の発想だ。
水が零れたのなら、水を汲むのが普通だが、ホジュアはその逆のことを言っている。
水を汲むために、ビーカーを移動させようというのだ。
これが、魂を持った生物……、人間や動物の場合だったら、どうなるか?
もし、遠く離れてしまった魂を取り戻そうと、肉体がその場所まで転移したら――?
「空間転移。つまり、テレポートってことかしら」
「そうじゃ、このレッドキャップの歯を触媒にすれば……、一瞬にして、この場にテレポートさせることができるやもしれん。文字通り、召喚というやつじゃ!」
「……」
あきれた。
長いうんちくを聞かされたのもそうだけど。
この老人は、魔物の凶暴性については全くの無関心らしい。
使い魔じゃあるまいし、これじゃ仮に呼び出せたとしても、危険にさらされるのは自分達のほうだ。
「これまで問題じゃったのは、テレポートに耐えうる強靭な肉体を持った生物がいなかったことじゃ。じゃが……このレッドキャップであれば……」
「というより、人間で実験するには問題大アリだったからじゃなくって?」
アザレアの指摘に、ホジュアはむっとした。
もし、この空間転移に失敗すれば、魂を失った肉体が、自らの魂を求めて彷徨う亡者と化してしまうだろう。
そんな危険な実験に、人間を使うことなど許されるはずがない。
「うるさいわい。ぬしだって人間とのハーフエルフだというのに、協力を拒んだであろう」
そういえば以前に、協力して欲しいと頼まれた覚えが……あったかしら?
「失礼ね……。ハーフということはつまり、半分は人間ということでしょう? というか、そんなアテにならない実験に命をかけるバカなんて、どこにもいやしないわよ」
「ア、アテにならんじゃとぉ!」
アザレアとホジュアは睨み合い、じりじりと火花を散らす。
「え……えぇっ! アザレアさんって、ハーフエルフだったんですか!」
と、フェルディックの驚いた声が、二人の間に割って入る。
「あら、言ってなかったかしら……?」
「なんじゃ、ぬしは知らなかったのか?」
ホジュアが、フェルディックとアザレアの顔を交互に見やる。
彼は、ふふ~ん、と鼻を鳴らし、座ったままの姿勢で身を乗り出し、フェルディックにだけ聞こえるよう、ごにょにょと耳打ちする。
「――ああ見えてアザレアはのぅ、ワシよりもずっと……歳とっとるぞ――」
「……聞こえてるわよ」
アザレアのドスのきいた声に、ホジュアが身震いした。
「ふぅぅ……っ! 恐い恐い……!」
こ、このジジイ……わざと聞こえるように言ったわね……!
「ネェアニキィ、あのオッパイのおネエさんって、このジイちゃんよりバアちゃんなんでやスか? ウ~ン、不思議でやスねぇ……」
チゲは全く悪気のない顔で、フェルディックに話しかける。
「チゲちゃん」
「ナンでやスか?」
チゲが笑顔で振り向く。
「生きたカエルと一緒に磨り潰されたくかったら……オダマリナサイ……!」
「――ヒッ! ヒィィィッ!」
チゲは奇声をあげて、フェルディック盾に、彼の背中に隠れた。その彼はというと、苦笑混じりに視線を逸らしているのみだ。
「まぁ……なんじゃ? そう、カッカせんでも……」
アザレアはホジュアをギロリと睨みつけた。
「たとえお爺ちゃんになったとしても。人生の先輩は敬うべきよね……?」
迫力のある低い声に、ホジュアはうっと咽喉を詰まらる。
「とにかくもう、理屈はコリゴリだわ。貰うものは貰ったし、そろそろおいとまさせてもらうわよ」
この爺様のうんちくをこれ以上聞くつもりはない。こちらは、明日すぐにでも旅立つ身なのだから。
「ではフェルディック、これらはワシが預かっておこう。明日、出発前にもう一度ここに立ち寄るがいい。すぐに“完成”させるからの」
「騙されてはダメよ。この爺様は、早く研究の成果を知りたいだけだから」
「うるさいわい! ……そうじゃ、ところでアザレアよ。ぬしは部屋からなにを持っていったんじゃ?」
「ああ、それね」
アザレアは両手で長い髪をかき上げ、耳飾を見せた。
「むむむっ! それは……っ!」
ホジュアが目を見開く。
私の身に付けている耳飾は、太陽と月、それぞれ異なる二つの形を成している。
この二つの耳飾は、いわば魔力の増幅器だ。
マッチの火ほどしか出せない術者でも、これさえあれば、いともたやすく巨大なキャンプファイアを作ることができる。
「誰がそれを持ち出して良いと許可した?」
「あら、好きに持っていけと言ったじゃないの」
「それは、机に並べていた分だけじゃ!」
「かたいこと言わないの。――さ、フェルディック、夜も遅いし、早く戻って明日に備えましょう」
アザレアはフェルディックに声を掛けると、足早に部屋を出て行こうとする。
「ぬっ。こら待て、アザレア!」
「わわっ! 待って下さい、アザレアさん!」
アザレアはドアを開けると、リズムよく振り返る。
フェルディックが、本の山を掻き分けながら必死に追いかけてくる。
「じゃあね、お爺ちゃん」
アザレアは、怒鳴るホジュアに笑顔で返し、部屋を出て行った。