II
ウエストリード通りを、爽やかな風が吹き抜ける。うっそうと茂る木々のせせらぎ。木漏れ日の道を、馬車が走り抜ける。
フェルディックの乗せた馬車は、故郷を離れ数時間、西にあるローデンハイム城を目指していた。
馬車の中にはフェルディックを含め三人。彼の向かいに“チェーン・メール”(金属の輪を重ねて作った網状の防具)を着た男二人が並んで座っている。ローデンハイム城からフェルディックを迎えに来た使者である。
外の景色をぼんやりと眺める、ぷっくりと太った男がデリック。
丁寧に口ひげを整えた、上流階級を主張しているおっさんが、マントン。
「本来なら、馬車を寄こすなど、特別扱いはしないのだがね」
マントンは、いやみったらしい、少し高い声で話す。彼は左手に、紙の束を持っている。――たぶん、フェルディックについての資料か何かだろう。マントンはそれを、やる気なさそうに読んでいる。
「ふむ……なるほど、どうやら君は、立派な父上を持っていたようだね。――ふむふむ」
フェルディックの父であるクロウスター卿は、ローデンハイム城の騎士団長を務めていたほどの大人物だ。 敵軍が攻めてきたときの、クロウスターの指揮能力といったら。それはもう、群を抜くものがあった。彼を怖れる敵は、尊敬の念もこめてこう呼んだ。“ガーディアン・クロウスター”。
幼いころから、母が子守唄のように、フェルディックに言って聞かせた話だ。
マントンは、フェルディックのブロードソードに注目する。
「――そのブロードソードはどこで?」
「昔、父が使っていたのものです」
「錆びているね」
「錆びているのは鞘だけです」
マントンの癇に障ったのか、彼の右眉がぴくりと反応する。
フェルディックはそれを意図的に避け、外の景色を眺めた。
馬車に乗ってからというもの、マントンはフェルディックに対して、嫌味な質問ばかりぶつける。
マントンがフェルディックの風体を気に食わないと思っている。――フェルディックにも、それくらいのことはすぐに伝わった。だから、嫌味の一つでも言ってやらないと気がすまない。
だいたい、好き好んでこんな貧しいボロボロ服を着ているわけじゃない。実際、ブロードソードは鞘だけでなく、刃も錆付いていて刃こぼれも酷い。だが、そんな剣の中身のことなど、問題ではない。
「あー、ところで、騎士団に入るそうだが。君の剣の腕前は、どの程度だね」
マントンは、剣から話題をそらした。
「薪を割る程度です。これから騎士団に入って鍛えたいと思っております」
フェルディックは、なるべく丁寧な口調で答える。
マントンは、フェルディックから資料に目を落とす。
「なるほど。父上が亡くなられて、母上はさぞ苦労したことだろうね」
「はい、父が亡くなり、幼い私を育てるために母は実家に帰ったのですが。祖父母も早くに亡くなってしまい。――結局、母は女手一つで私を育てることになったのです。今も、村の綿工場で糸を作る仕事をしています。私が騎士団に入ることで、少しでも生活が、――母が楽になればと思い……」
「ほーう。それは立派な考えだね。関心するよ。ふむ」
マントンはフェルディックの目を見てない。
「ええ……。はい」
マントンがフェルディックに興味がないことも、わかっている。しかし、ここで問題を起こすのはまずい。だからといって、これ以上マントンの“貧民いびり”に付き合うつもりも無い。
フェルディックは少し考えた様子で、辺りをゆっくりと見回す。大きく息を吸い込んで、肩を上げたり、腕を回したり。それから、申し訳なさそうに言う。
「――あの……。ローデンハイム城までは長い道のりだと聞きます。少し、眠ってもよろしいでしょうか」
「……ふむ。君には少し忍耐が足りないようだねぇ。これから騎士団に入るのだよ。たかが馬車に揺られたくらいで疲れてもらっては、困るねぇ……。まぁ、しかし、こう何時間も馬車に揺られるとさすがに疲れるのも無理はない。――おい、デリック。この辺りで休めるところはないかね」
マントンは、隣に座るデリックに声を掛けた。
デリックはゆっくりと、外の景色から天井へと視線を移す。
「……そういえばぁ。もう少し先にいったところにぃ、今は誰も住んでいないぃぃ、小屋がありますねぇ。前はぁぁ、木こりのぉぉドルイドじいさんがぁぁ、住んでいたところですねぇぇ……」
フェルディックが馬車に乗り合わせてから、初めでデリックは喋った。彼は精気のない声で、マイペースに、実にゆっくりと話す。
その余りの遅さと間に耐えかねて、マントンが少し、いらっとしたのがわかる。
「では、今日はそのドルイドじいさんの小屋というところで休もう。このペースではローデンハイム城までまだ二日と掛かる。本来なら私もすぐに帰って、愛する妻と、夕食にワインと生ハムといきたいところだが。まぁ、仕方ない。未来ある若者を無事、王宮に届けるという任務がある。その若者が疲れたというのなら、うむ、仕方ない。我々も休まねばなるまいな」
マントンは、ドルイドじいさんの小屋に向かうようにと、馬車を走らせている運転手に指示を出した。
「――ぁぁああ……」
突然、デリックは何かを思い出したかのような、声を出す。
二人はデリックに注目する。
「……あのぉぉ、そういえばぁぁ」
一時停止。
「たしかぁぁ、あのぉぉぉぉ……」
それから四秒ほど。
「……こやぁぁぁぁぁ」
「――アアアーーッ! もういいデリック! お前のその話し方を聞いているとイライラする!」
マントンがデリックの言葉を金切り声で掻き消した。いらだちで小刻みに震える。
フェルディックはここぞとばかりに、冷やかな眼差しで見つめてやった。
はっと、その視線に気付いたマントン。軽く咳払いをした後。
「今のは忘れてくれたまえ」
マントンは何事もなかったかのように、手に持った資料に、精神を集中し始めた。
このマイペースなデリックと、マントンはここ数日間馬車に二人きりだったのだろう。そう考えると、マントンに少しは同情できなくもない。
運転手によると、ドルイドじいさんの小屋に着くには、まだ小一時間ほど掛かるらしい。
フェルディックは時間を潰そうと、それまで外の景色を眺めていることにした。
――と、その時。フェルディックは、木陰に立っている“何か”と目が合った。
真っ赤なトンガリ帽子に、同じく真っ赤に染まった赤い服。ギョロリと大きく見開いた目には、燃えるような赤い瞳。
それまで見たこともない、その“何か”にフェルディックは驚き、心臓が跳ね上がる。
一瞬の後。我に返ったフェルディックは窓にべったりと頬を張りつかせ、その“何か”がいた場所を凝視した。
――いないッ?
「な、何事かね!」
フェルディックのただならぬ様子に、マントンも驚きを隠せないようだ。デリックは動かない。
「な、何か変なものでもおったのかね?」
「……いえ。気のせい……だったようです」
確かに、“何か”が。恐ろしい“何か”がいたはずだったのだが、その場所にはもう、誰もいなかった。もはや何の気配も感じられない。遠ざかる景色の中、今や馬車の走る音だけが、耳に響くばかりである。
フェルディックはぐったりと疲れた様子で、席に座り込んだ。
「まったく、驚かせおって。おお、そうそう。おそらく、気のせいだんじゃないのかね。木の模様が人の顔に見えたとか。ふむ、そうか、やはり君は疲れているのだろうね」
マントンの言うことなど、フェルディックの耳には全く入ってこなかった。
フェルディックは、先ほどの、あの“赤い何か”。人間とは思えない、とてつもなく恐ろしい、狂気を秘めた、あの燃えるような赤い瞳。一瞬のできごとだったが、その鮮明に焼きついている映像を、頭の中で何度も思い返していた。
本当に、何もいなかったのだろうか。――いや、そうであってほしい……。
一行を乗せた馬車は、順調にドルイドの小屋へと向かって行く。