XVIII
フェルディックは、廊下の壁に背をあずけ、アザレアが出てくるのを待っていた。
壁に備え付けられた松明が、時折はじけては小さな火花を散らす。
チゲはというと、ズボンのポケットの中で、今は大人しくしている。
城中に悪魔が入り込んだとなれば、騒ぎになるのは確実。人目に触れないことを条件にゲイルの許しを得たのだった。
フェルディックは、隣にいるオスカーへと視線を投げかけた。
オスカーは、こちらには見向きもせず、夜の景色を眺めている。
何度か話かけようとしたのだが。結局、声をかけることはできなかった。
不可抗力とはいえ、自分の取った行動が原因で、彼の父親の立場を危うくしてしまった。
それに、友人の息子というだけで、見ず知らずの他人を護衛するハメになったのだ。
そう考えると、彼の素っ気無い態度にも納得ができる。
フェルディックは話しかけるのを諦めて、オスカーから視線を逸らした。
「おまたせ」
声とともに、アザレアが部屋から出てきた。
その手には、蝋燭台が握られている。
「遅いですよ」
オスカーが言った。
「あら、もう夜も遅いし、坊やは先に寝ててもいいのよ」
アザレアが冗談まじりに言う。
「では、そうさせて頂きます」
オスカーは真顔で答える。そして、フェルディックに一瞥をくれると――。
「死刑囚の監視も済んだので」
と、冷淡な口調で告げた。
うっ! ……嫌われているとは思っていたけど、まさかこれほどとは。
「そんなこと言わないの。明日から一緒に旅をする仲間なんですから――」
「お言葉ですが」
オスカーの声には、静かながらも、怒りの感情がこもっていた。
「仲間とは――共に戦い、背中をあずけることのできる戦友のことをいうのです」
「あらそう。……それなら、友達だったらいいでしょう?」
「……」
ああ言えばこう言うとは、まさにこのこと。
「とにかく……。私は騎士としての務めを果たすだけです……」
「親子揃って堅いわね」
アザレアが、肩をすくめてみせた。
「では、あとはお願いします」
オスカーの言う“お願い”とは、もちろん“死刑囚の監視”という意味だろう。
「はいはい」
アザレアが苦笑混じりに答える。
オスカーは再びフェルディックに一瞥をくれると、なにも言わずに踵を返し、その場をあとにした。
「――きっと、仲良くなれるわよ」
ふと、アザレアが微笑んだ。
「え……?」
「さあ、行きましょうか」
フェルディックの返事も待たずに、アザレアは歩き出した。
「あの――、ホジュアさんって、一体、どんな人なんですか?」
フェルディックは廊下を歩きながら、アザレアに尋ねた。
「そうね……。あなたのお父さんの恩師で、私と同じ魔術師ってところかしら。ただ、私と違って、あの爺様は魔術の研究が専門だけれども」
フェルディックには魔術の心得などなかったが。それでも、彼女の言うことは直感的に理解できた。
アザレアが“魔法を使う”ことを専門としているのなら、ホジュアと呼ばれる人物は“魔法を作り出す”ことを専門としているのだろう。
「まあ、クセのある爺様だから、適当に相手をしてればいいわよ」
「……はぁ。それで、一体なにをしに行くんですか?」
「そうねぇ」
アザレアが、わざとらしく考える素振りをする。
「かつての教え子の息子が、故郷を離れてはるばる訪ねてきたっていうんだから。顔くらいは見せておかないとねえ?」
「は、はぁ……」
本当に、それだけ……?
ただそれだけのために、こんな夜遅くに会いに行くというのだろうか。
「――というのも、一つなんだけど……」
アザレアが笑顔で指を立てる。
「今度の旅は危険極まりないから、そのための準備! って、ところかしらね」
「そ、そうですか……」
なんだか、掴みどころの無い人だなぁ……。
フェルディックは、もう黙ってついて行くことにした。
二人は、しばらく廊下を進み続ける。
先導して歩いていたアザレアが、ふと、歩を止めた。
彼女の手にした蝋燭台の明かりが照らす先には――、地下へと続く階段があった。
「足元に気をつけて」
蝋燭台のかすかな灯りを頼りに、二人は慎重に階段を下りてゆく。
地上と違って、空気が湿っぽい。
アザレアが歩を進めるたびに、甲高い靴の音が闇に響きわたる。
二人は階段を下りると、そのまま真っ直ぐに進み続けた。
そして、突き当たりにぶつかったところで、アザレアが立ち止まった。
「ここよ」
アザレアが蝋燭台をかざすと、木製のドアが浮かび上がった。
地下の湿気で風化が進んでいるのか、ドアの角は剥がれ落ち、カビで黒ずんでいる。
そのドアを、アザレアがドンドンと、叩く。
軽いノックで済まさなかったのは、ドアが分厚く造られていたからだ。
「入るわよ」
そう言ってアザレアは、返事も待たずにドアを開けた。
ずけずけと部屋に足を踏み入れるアザレア、それに、フェルディックも続いた。
「うわぁ……」
部屋に入ったフェルディックは、目の前に広がる光景に、思わず声を漏らしてしまう。
部屋には、沢山の本棚が存在していた。それに、地下室とは思えないくらいに立派な内装をしている。――まるで、図書館のようだ。
おまけに、この部屋には地下の湿った空気が入ってこないらしく、地上となんらかわらない快適な空間となっていた。
……が、しかし……。
視線を床に落としたフェルディックの目に飛び込んできたのは――部屋のいたるところに散らかされた――大量の本だった。
さらに視線を泳がせると、いかにも実験で使いそうなビーカーやフラスコ類、その他にも六芒星が印された怪しげな布や、奇妙な石など、何から何まで散らかし放題になっている。
これでは、足の踏み場もない。
なんだか……すごい部屋だなぁ……。
どうやって先に進めばいいのやら。
部屋に入ったはいいものの、フェルディックは、その場から一歩も動けずにいた。
「――返事くらい待てぬのか、おぬしは?」
ふと、部屋の奥から、老人の声がした。
よく目をこらして見ると、、積まれた本の山のその奥に、老人の姿があった。
伸ばし放題の白髪と白髭で、目元まで眉毛に隠れてしまっている。
「そっちこそ、客人がきてるのに本のほうが大切なのかしら?」
呆れた様子で、アザレアが肩をすくめる。
彼女の言う通り、老人はこちらには見向きもせず、机に置かれた書物を熱心に読んでいた。
……あれ?
気がつくと、いつの間やらアザレアは、部屋の真ん中に立っていた。
足の踏み場もないのに、一体、どうやって入ったんだろ……?
「お前さんと違って、人間という生き物は忙しいんじゃよ」
老人は、依然とした態度で読書を続けている。
「あらそう……。それじゃあ、忙しいところ悪かったわね。せっかく教え子の息子が訪ねてきたっていうのに、本に夢中じゃあ仕方ないわよねえ……? あぁ、残念」
「……教え子……じゃと?」
アザレアのわざとらしい口調に、ようやく老人が顔を上げた。
「彼の息子よ」
アザレアが、フェルディックを紹介する。
父の名を出さなくとも、彼らの間ではそれで通じるみたいだ。
「……そうか、噂は聞いとるよ」
老人は、少し間をおいて、「悪い噂もな」と、付け足した。
「だったら、話は早いわね」
「魔道具なら奥の部屋に一通り揃えておる。杖でも魔石でも、好きに持ってゆくがよい」
「あら、今回はやけに気前がいいじゃない」
「かつての教え子のせがれが、困っておると聞いての」
「それじゃ、遠慮なく――」
アザレアは慣れた足取りで――散らかった本を踏みつけることもなく――奥の部屋へと入って行った。
アザレアさん……。連れて来ておいて、ほったらかしですか……。
「おや、すまない、自己紹介が遅れたのぅ。ワシの名はホジュアじゃ。フェルディックよ、よろしく頼む。……ところで、お前さん……。騎士団に入ると聞いたが、腕は立つのかの?」
呆然と立ち尽くすフェルディックに、老人――ホジュアのほうから声を掛けてきてくれた。
「……いえ、薪を割る程度です」
「ふむ……。それは……?」
ホジュアが、フェルディックのブロードソードを見て言った。
「これは、父の形見です」
「そうか。どれ、抜いて見せてくれるかの?」
「は、はい……」
躊躇いながらも、フェルディックは頷き、ブロードソードを鞘から引き抜いた。
錆びた金属のこすれる音が響く――。
ホジュアはそれを見て目を丸くした。それから彼は、大きく息を吸い込んで……ゆっくりと、吐き出した。
「錆びとる……のぅ?」
「……あはは……はは……ははは……」
フェルディックは薄ら笑いを浮かべつつ、ホジュアから視線を逸らす。
やっぱり……そうなるよね……。
「それに――」
ホジュアの声に、フェルディックの視線が引き戻される。
「なにがあったか、おおよその事情は聞いとるがの……。まあ、なんというか……その……」
ホジュアの右眉がくいっと持ち上がり、それまで眉毛で隠れていた細い目を覗かせた。
「ズタボロ……じゃな?」
「あは……あはははははは……!」
服はもとからズタボロです!
なんて言えるはずないよね……。
フェルディックはただ、笑って誤魔化すだけだった。