XVII
籠から出たチゲはご機嫌だった。
いまはフェルディックの肩に乗って、鼻歌らしきものを歌っている。
ただ、フェルディックからすれば、薄気味の悪い呪文のようにしか聞こえなかったが。
こいつに構ってたら、話が進まない。
そう結論付けて、あえて無視することにした。
「……では、そろそろ本題に入ろうか」
ゲイルが言った。
先程、チゲのことを説明し、何とか殺されずに済んだのだが……。
殺すことと、追い出すことをしないだけで、彼は依然として警戒を解こうとしない。
ゲイルの鋭い眼光が、浮かれていたチゲを射抜いた。
「――イッ!」
それに驚いたチゲが、一瞬にして硬直する。
――人間に睨まれて動けない悪魔って……。
チゲを見ていると、悪魔とは必ずしも恐ろしい生き物ではないのだと、思えた。
ゲイルが続ける。
「フーズベリの町で、夜な夜な死者が蘇っては、人を攫うという事件が起こっている。――というのは、もうすでに承知のことだと思うが――」
「はい……。そして、極刑を免れるためには、その事件を解決しないといけない……」
「その通りだ」
「あら、ちょっと待って――」
アザレアが会話に割り込む。
「その事件はまだ調査中でしょ? ――いえ、そんなことより、極刑ってどういうことなのよ?」
突然出てきた“極刑”という言葉に、アザレアは驚きを隠せないようだった。
ゲイルが、フェルディックのかわりに、説明した。「彼は、城へ来る道中、休憩のために立ち寄った小屋で、レッドキャップに襲われたのだ。そこで騎士団の護衛二人と、馬車の運転手が死んだが……。彼一人だけが生き延びて、こまで辿り着いたのだ」
実に簡潔である。
アザレアは少し考えた後、「あっ!」と、ひらめきの声を上げた。
「敵前逃亡ってやつかしら。……でも、まだこの子は騎士になった
わけじゃないわよ? いくらなんでも、ちょっとヒドすぎない?」
「普通ならばな……。しかし、彼の父の存在が、それを許さなかった」
「……英雄の息子が敵前逃亡……。はぁ……。なるほど。それで、何事もなかったかのように騎士団に入られちゃ、いい噂になるわね」
「その事実をもっと早く知っていれば良かったのだが……。さらに間の悪いことに、所見の間で、貴族達にも知られることとになった」
アザレアは深い溜め息をついた。
「……ソレって最悪じゃない?」
やれやれといった様子で、肩をすくめる。
それから、彼女の視線が、フェルディックへと向けられる。
「不運ね」
――ぽつり、と呟いた。
返す言葉の見つからないフェルディックは、「あはは……」と、渇いた声で苦笑いを浮かべる。
「そこでだ」
ゲイルの声に、一同の視線が彼に集中する。
「少しばかり無理はあったが、彼がフーズベリで起こっている事件を解決することができれば、極刑を無効にするという約束を取り付けた」
「ふぅん、そこで私の出番ってワケね」
アザレアは得意げに笑みを浮かべる。
「そういうことだ」
ゲイルが頷く。
「……でもねぇ」
だが、アザレアの口調は弱い。
「期待通りの報告はできそうもないわ……」
一同から向けられる視線に、彼女は苦笑いで答える。
「そうね……、結論から言うと……。フーズベリで人攫いがあるのは間違いないわ。自分の娘が攫われたって話も、直接聞いた。けれど、誰が何の目的でやっているのか……。正直なところ、何の手がかりも掴めなかったわ」
もうそれ以上報告することがないのか、アザレアは一同から視線を逸らした。
アザレアも、この事件にまさかフェルディックの命まで掛かっているとは、思ってもみなかったのだろう。
報告をうけたゲイルも同様に、それは誤算だったと言える。
ゲイルはおそらく、アザレアが何かしら事件の手掛かりを掴んでくるのだろうと、踏んでいたに違いない。
表情にこそ出さないが、この気まずい空気がそれを物語っている。
しらばく続いていた沈黙を破り、口を開いたのは、ゲイルだった。
「死者が蘇るという話はどうなのだ?」
「それは……」
アザレアが言葉を濁す。
そういえば、アザレアは死者が蘇って人を攫うという話には触れていない。
「何人か見たって人の話は聞いたわ……。だけど、“死者が動いている”のを見たってだけで、“人を攫うところを見た”なんて話は、ひとつもなかったわね」
「そうか。……だとすると、人攫いと、死者が蘇るという話は、“別々に起こっている”二つの事件なのかもしれんな」
「……あら、それは盲点ね」
「人攫いが起きてから、死者が蘇る事件が起こった。順序は逆かもしれんが、元々は別の事件だった。しかし、この二つの事件が人々の噂になるにつれ、やがて同じ事件として扱われるようになった。
そう考えることもできる。噂というのは、人々の面白いように捻じ曲げられてしまうからな」
「さすがは騎士団長殿。腕だけじゃなくて、、頭も切れるのね」
アザレアが関心したように言う。
「茶化すな」
ゲイルが、アザレアを睨む。
「あら、ごめんなさい」
アザレアは、目を逸らす。
「……それを踏まえて、もう一度、フーズベリの町へ向かってくれ。
それと――」
ゲイルと、目が合った。
「彼も一緒にだ」
「はい」
フェルディックは頷いて答える。
何の役に立てるかわからないが、アザレアが一緒だと心強い。
「そうね。彼が行かなきゃマズいのはわかるけど……。仮にも、人攫いをするような危ない連中を相手にするのよ? ミイラ取りがミイラになっちゃ、笑えないわ」
「護衛にもう一人つける」
ゲイルの口調は、それも察していたかのようだった。
「オスカー。お前が彼を守れ」
ゲイルは、傍らに立っていたオスカーに目配せをする。
オスカーが、小さく返事をして頷いた。
なるほど。
オスカーがこの場に居合わせたのは、はじめからそのためだったようだ。
「期限は、明日から一週間だ」
ゲイルは真剣な面持ちで、視線を再びフェルディックへと向ける。
期限があるなんて、はじめて聞いた。 けれど、よく考えてみれば、たしかに無期限であるはずがない。
期限が無ければ、極刑になる日は永遠にやってこないのだから。
「フーズベリの町までは、馬に乗っても一日掛かるわ。――それだと、明日出発するとしても……。実際のところ、解決まで六日間しか無いわね」
六日間――。
そんな短期間で、事件を解決できるのだろうか?
フェルディックは、思わず唾を飲み込んだ。
「一週間経ったところで、迎えの使者が町に到着する。その時点で
事件が解決できていなければ……」
「大丈夫。なんとしてでも、私が解決してみせるわよ」
「……頼む」
「それじゃあ、出発は明日でいいわよね?」
アザレアの問いに、ゲイルが頷いて答える。
フェルディックも、それに合意した。
「それじゃあ……。ちょっと、ホジュアのところに寄りたいのだけど」
「それは構わないが?」
「彼も借りて行きたいの」
アザレアが、ちらりとフェルディックを横目で見る。
「わかった」
「決まりね。フェルディック。このあと、私についてきてくれるか
しら?」
「はい……」
フェルディックには何のことだかわからなかったが、ここは、彼女に従うことにした。
「なら、今夜はこれで解散ね」
アザレアが、解散の号令をかける。
彼女は、「まだ少し用があるから」と、フェルディックとオスカーに、先に部屋から出るよう指示した。 部屋を後にするフェルディック――。
その胸の内は、以前として重苦しいままの状態が続いていた。
これからどうなるんだろう……。
先のことを考えれば、考えるほど……不安は募るばかりだった。
※ ※ ※
フェルディックとオスカーが部屋を後にするその姿を、アザレア
はじっと見つめていた。
「……母親似なのね」
ぽつり、とアザレアは呟く。
もう彼らは外に出て行ってしまったので、聞こえはしないだろう。
「ヤツに似ていたら、どうだったのだ?」
ゲイルが真顔で聞いてくる。
彼は昔から感情を表に出さない性格だったが、付き合いの長いアザレアには、それが冗談なのだと、すぐに判った。
フェルディック・ブライアン……か。
ふと、クロウスター・ブライアンの顔が頭をよぎる。あいつはいつも笑顔で、明るくみんなを照らしてくれたっけ――。
生真面目で、人を寄せ付けない性格のゲイルも、唯一あいつだけには心を開いていた。
居場所の無かった私に、城で働かないかと誘ったのも、あいつだった。
クロウスターはみんなに好かれていて……。
そう、私もそんな彼を――愛していた。
「誘惑していたかもね」
アザレアは自嘲気味に、鼻で笑ってみせた。
「本気か?」
「まさか……」
結局。アザレアはクロウスターの心を射止めることはできなかった。他の女に取られるのは気に入らなかったが、彼が妻といるときの幸せそうな顔を見ていたら、そんな気もどこかへ吹き飛んでしまっていた。
あいつが幸せなら、それでいい。そう思えるようになったいた。
「でも……。あいつの子だっていうのなら」
アザレアは、ぼんやりとドアを見つめながら、続けた。
「何があっても、私が、必ず守ってみせるわ――」
ゲイルにではない。
自分自身に、言ったのだ。
「……彼を……頼んだぞ」
そう呟くゲイルの声に、重みを感じた。
わかってる。
私が、あいつから居場所をもらったように。
今度は、私が彼に居場所を与えなきゃいけない。
それが……あいつの想いを繋ぐことになるのなら……。
暫くの間。
二人は、ぼんやりとドアを眺めていた。