XVI
ゲイルはフェルディックの話を聞き終えると、小さく咽喉を鳴らして、答えた。
「レッドキャップか……。私も、噂では何度か耳にしたことはある。……が、まさか本当に住み着いていたとはな」
「はい……。それから……。あそこに、人間が近づかないよう人々に伝えろと、そう――レッドキャップに言われました」
言い終えると同時に、フェルディックはポケットに手を突っ込む。
取り出したのは、レッドキャップとの別れ際に受け取った、“カレ”の体の一部――。
「それは……。歯か?」
ゲイルが、少し驚いた様子で声をあげる。
フェルディックは頷いた。
「証拠がなければ誰も信じない。そう僕が言ったら、レッドキャッ
プがコレを持っていけと……」
「なるほど……噂も馬鹿にはできんな」
明るい場所で改めて見れば、レッドキャップの歯は気味の悪い物だった。掌で滑らせば、簡単に切れそうなほど鋭い。
「僕が助かったのは、たまたま運が良かっただけだったと……いまは、そう思います――」
フェルディックは、掌にある歯に視線を落とした。
昨夜の出来事が、点々と、鮮明な映像のとなって蘇る。
悪夢――。
そう、まさに悪夢のような夜だった。
目の前で、人が殺された……。
――そして、殺されかけた。
何もかもが、突然だった。
僕はただ、自分が生き残ることに必死だった。
「なるほど。だが“運が良かった”というのは、間違いではないか?」
「えっ?」
フェルディックは、驚いて顔を上げる。
「君は確かに生き残った。……が、敵前逃亡の罪で危うく死刑になるところだった。私があの場に居合わせていなければ、どうなっていたことやら」
「あ……はい……」
ゲイルの言う通りだ。
フェルディックは、まだ死の運命から逃れられたわけではない。
――そして。
自分を救うために、ゲイルも危うく死刑になるところだったのだ。国王の慈悲で、死刑こそ免れたものの、牢に閉じ込められては同じこと――。
もう既に、フェルディックだけの問題ではないのだ。
「申し訳ありません……。僕をかばったせいで、あなたまで……」
フェルディックは、ゲイルの顔をまともに見ることができなかった。
自らが招いた事の重大さに、ようやく気がついたからだ。
だが、そんなフェルディックに掛けられたゲイルの声は、意外にも明るいものだった。
「気にすることはない。……ま、私も死刑台に立つだなんて、少々大人気なかったがね」
フェルディックは驚いて、ゲイルを見る。
ゲイルは、軽く鼻で笑ってみせてから、先ほどからの明るい口調で、続けた。
「元より、国王様も君を死刑にするつもりなどない。ただ、あの場ではそうせざるおえなかっただけのこと。……つまるところ、“大人の事情”というやつだ」
王が私情で自ら定めた法を破ることなど、できるはずもない。
あの場には、貴族達が居合わせていたのだから、なおさらだ。――と、ゲイルは言いたいのだろう。
「……ただ、あの時……。咄嗟のこととはいえ、私も無茶を言ったものだ。――そう、フーズべリの町で死者が蘇り、人を攫っていくという噂のことだが……」
「はい」
フェルディックは頷く。もちろん、そのことは覚えている。
「あの時……。僕は……どうしたらいいのか全然わからなくて……。
それなのに、解決してみせるとか言ってしまって……」
「いや、君はよくやってくれたよ。それに――」
ふっと、ゲイルの含み笑いをする。
「嘘だとしても……あそこまで堂々と宣言するとはね。見事なモノだったよ」
さぞ愉快だったのだろう。ゲイルは堪えきれないといった様子で、ついに声を上げて笑った。
「いえ、そんなっ! 僕はただ、必死だっただけで……!」
「いやそれでいい――。その方が、“我々”としても都合が良いからね」
「……。はぁ……」
溜め息と同時に、肩を落とすフェルディック。
もし、所見の間での一件が――全てではないにしろ――計算されたものだったとしたら……。
ついさっき感じていた不安は何だったのだろうと、やりきれない気持ちになってきた。
「では、本題に入ろうか。もちろん、君を呼んだのもそのだめだからね」
「はい……。ですが、僕がそのような事件を解決するなんて、とてもじゃないけれど……」
「もちろん、手は打ってある」
ゲイルは力強く頷いて、脇に立つオスカーに目配せをした。
「そろそろ、来るころだな」
「はい、予定ではそろそろ――」
と、オスカーが答えた時だった。
「そろそろも何も、とっくに来てるんだけど?」
――若い女性の声だった。
オスカーの声を遮るように、突然、声がしたのだった。
気配を感じて、視線をドアへと向ける――。
するとそこには、退屈そうに突っ立っている若い女性の姿があった。
一体、いつ部屋に入ったのだろうか?
フェルディックは――いや、その場にいた三人共が――今の今まで気がつかなかった。
彼女は、突然現れたかと思うと、
「ハーイ、オスカーの坊や。お久しぶり」
と、陽気な声で、オスカーに再会の挨拶を投げかけた。
それに対してオスカーは、特に驚いた様子もなく――むしろ、鬱陶しそうに彼女から視線を背け――溜め息混じりに声を吐き出す。
「……いつからそこに居たんですか」
「あら、ベツにいつでもいいじゃない。それとも、聞かれたくない話でもしてたワケ?」
そう言って彼女は、肩をすくめてみせる。
「紹介しよう。彼女はアザレア――。この城に仕える“魔術師”だ」
彼女――アザレアを紹介するゲイルの声も、平然としたものだった。
「……は、はぁ……」
彼らの反応を見る限り、アザレアの、この登場の仕方は、いまに始まったわけではないようだ。
一人、唖然として取り残されていたフェルディック。平然とする親子から、再びアザレアへと視線を戻した。
城の魔術師――と、ゲイルは言っていた。
そう言われればたしかに、いかにも魔術師といったローブを纏っており、――そのスリットからは片足が、すらりと伸びている。
袖や裾の刺繍は、何かの文字にも見えたし、他にも、沢山のアクセサリーを身に着けていた。――あれほど身に着けていれば、歩くたびにしゃらしゃらと金属の擦れる音がしそうなものだが……。
一体全体。彼女はどうやって気配を消していたのだろうか。
フェルディックの視線に気付いたアザレアが、何かしらと小首を傾げる。
「あ、あの……フェルディックです。フェルディック・ブライアンといいます……」
自己紹介をするフェルディックの歯切れは、悪い。
何もかも突然すぎたし、それに、アザレアみたく妖艶な大人の魅力を持った女性を相手にするのは初めてで、戸惑いを隠しきれなかったのだ。
思春期の男の子なら、当然の反応だと言える。
「ふぅん」
そう声を漏らしたアザレアが、すっと、こちらに歩み寄り、顔を近づけてきた。
吐息があたりそうなほど、近くまで――。
フェルディックは思わず仰け反り、頬を赤らめる。甘ったるい香水の香りが、鼻をくすぐった。
アザレアは、フェルディックから顔を離すと、ふっと微笑んだ。
「――良かった。あんまり似てなくて」
「……?」
どういう意味だろう?
ただ、なんとなくそれは父のことなのだろう思ったが、聞き返すには至らなかった。
「あ、そうそう。そんなことより――」
と、アザレアが話を切り出したからだ。
彼女は、その場の全員から見える位置に立つと、ぱちんと、指を鳴らした。
小さな爆発音と同時に、彼女の手から煙がもくもくと立ち昇る。
「ふふ〜ん。実は今日――町で面白いもの見つけたの」
アザレアは嬉しそうに語る。
その手には“何か”が握られているようだった。しかし、煙に隠れてよく見えない。
アザレアは、煙が消えるのにタイミングを合わせて、声を張り上げる。
「じゃーん。どう、これ。すごいでしょう」
アザレアの手にぶら下げられていたのは、少々変わった形の――鳥籠だった。
ただ、中に入っていたのは鳥ではなく、どちらかと言えば、コウモリに近い生き物だった。
灰色の肌は、乾燥してザラついている。まるで、爬虫類のようだった。
……あれ? どこかでみたような……。
「悪魔よ。悪魔。――といっても……小悪魔程度で、大した代物じゃないけれど」
「……」
「いかにもヤバそうな洞窟ならいざ知らず、こんな街中に、しかも真昼間に現れるなんて、滅多にあることじゃないわ。……っていうか、ありえないわね」
アザレアは語り続ける。
フェルディックはただ呆然と――籠の“中身”を見ていた。
「そうまでして、このインプは一体何をしにきたのかしらねぇ〜?」
アザレアは面白がるように、指先でつんつんと籠を揺らす。
……やっぱり……。
籠の中に囚われているのは、間違いなく見覚えのある生き物だった。
ふと、視線をゲイル親子へと流す。
彼らの表情は険しかった。それどころか、二人が籠の中に向ける視線には、紛れも無い殺意が含まれていた。
それはそうだ。悪魔は人間から嫌われているのだから、当然の反応だ。
どうしたものか……。
フェルディックは視線を籠に戻す。
すると、中に囚われているインプと目が合った。
フェルディックに気づいたインプは、カッ! と目を見開いたかと思うと、次にウルウルと瞳を濡らし始める。
「ア……アーッ!」
インプは、こちらを指差しながら、声を絞り出す。
何かを訴えようと口をぱくぱくさせている。
どうやら、驚きのあまり声にならなかったようだ。
しかし、フェルディックには、たとえインプが声に出せずとも。その内容は十分すぎるほどに理解できるものだった。
つまり、インプはこう叫んでいる。
――アニギィ! タジゲテェーッ!
か細い肢体が、カタカタと震えている様が気持ち悪い。
…………はぁ……。
フェルディックは、胸の内で溜め息をついた。 ローデンハイムに着いてからというもの、色んなことがありすぎた。そのせいか、視線の先にあるインプの存在を、すっかり忘れていた。
今までどこに行ってたんだ?
それよりも……何で捕まってるんだよ。
などなど。いくらか疑問に思うところもあったが……。
仕方ないなぁ。悪魔だけど、悪いヤツじゃないし……。
……よし、助けてやろう。
そう結論を出し、口を開こうとした――その時だった。
「それにしても、このインプ、私の“胸”目掛けて一直線に飛んできたのよ? 『小悪魔』というより、むしろ『エロ子悪魔』と言ったほうがいいからしら?」
アザレアが、可笑しそうに笑う。
「……」
前言撤回。
アザレアの発言に、渇ききった声を漏らすインプ――その頬を、冷たい汗がじとりと濡らしていった。
「小悪魔とはいえ、悪魔は悪魔だ。何をしでかすか分からん。そのようなものを城内に持ち込むなど……」
ゲイルは、声こそは落ち着いたものだったが、その言葉のなかには――今すぐにでも剣を引き抜いて、籠ごと真っ二つに斬り捨ててしまいそうな――あからさまな殺気が含まれていた。
その形相を目にしたインプが、今度はガチガチと歯を鳴らしはじめる。
「あら、殺すなんて勿体ない」
アザレアが、意外そうに眉を吊り上げる。
「――これは……フフ……。後で研究室に持っていって……“使う”のよ」
そう言って、不気味な笑みを浮かべる彼女の姿は、まさに魔女そのものだった。 ……ガタガタブルブル……!
インプは、より一層激しく震え上がった。
自らの肩を抱いて、鼻水を垂らして……。
――あ。
よく見たら、股下が濡れている。
それまで、ずっと焦点の定まらない目で脅えていたインプだったが。ようやく恐怖から立ち直り、助けを求めようと、首を動かしフェルディックへと視線を向ける。
そこに待ち受けるのは、さらなる絶望だとも知らずに……。
――お前のことは忘れない。
――せめて、使われて役に立ってくれ……。
フェルディックは念を込めた視線で、インプに頷いてみせた。
「ガーン!」
インプこと――チゲは顎を外したまま、石化した。
自業自得だよ。と、さらに視線に念を込める。
「ソ、ソンナァ! アニギィ! タジゲデェッー!」
チゲは鉄格子に掴み掛かり、泣き叫ぶ。
「……あら? この子……」
それに気づいたアザレアが、不思議そうな顔で、チゲとフェルディックを交互に見やった。
「もしかして……?」
どうやら彼女は、フェルディックとチゲの関係に気づいたようだ。
――仕方ないヤツだよ……。
本当に……お前ってヤツは……。
深い溜め息と同時に、頭を押さえるフェルディックだった。