XV
部屋に入ったフェディックを出迎えたのは、ゲイルの鋭い視線だった。
ゲイルは、机に両肘をつき、両手を口元で組みながら、神妙な面持ちをしていた。
静かながらも、堂々とした彼のその威圧感に、フェルディックは思わず身を強張らせる。
ゲイルの隣には、若い――フェルディックよりは少し年上だと思われる――青年が立っていた。
ゲイルは、硬直したまま動かないフェルディックを見かねてか、軽く含み笑いをしてから、言った。
「そう構えることはない。楽にしたまえ」
低く、重みのある声だった。
だけど、それだけじゃない。
その声のなかには、彼が間違いなく騎士団長だと思わせる――優しさや、心の温かさのようなものも、確かに感じられた。
ゲイルは、先ほどまでの姿勢を崩して、フェルディックに微笑んでみせた。
そのせいか、先ほどまでのフェルディックの緊張は、自然と和らいでいた。
「――あの、先ほどはありがとうございました」
深々と頭を垂れるフェルディックに、ゲイルが答える。
「なに、礼には及ばんよ。君のことは、君の母上からよろしく頼ま
れているからね」
ゲイルの言葉をきっかけに、フェルディックは思い出した。
そういえば……ゲイルは国王の前で宣言していたのだった。
推薦したのは私だ、と……。
「その……推薦状を出して頂いたのは、あなただったのですね」
「そうだ。ヤツの息子のことだから、いつかとは思っていたが……。
まさか自ら志願してくるとはね。君の母上から手紙を受け取ったと
きは、さすがに驚いたよ」
ゲイルが、柔らかな笑みをたたえる。
「そう……ですか……」
ヤツの息子――。
ゲイルのその言葉を、フェルディックは心中複雑な思いで受け止
めていた。
おそらく、ゲイルは――この城の人達みんなは――偉大な騎士であった父の息子のことだから、父と同じく、さぞ勇敢ですごい人物なのだろうと、期待の眼差しで自分を見ているに違いない。
そのことは、所見の間で、自分がクロウスターの息子だと宣言したときの、貴族達の反応で十分に理解していた。
だからこそ、フェルディックには、それが不安でたまらなかった。
これ以上――過度な期待を持たれたくなかった。
「ただ、正直に言うと僕は……父さんのような、立派な人になりたいと思っているわけではありません」
胸の内の不安を抑えきれないフェルディックは、思わずそれを声に出してしまっていた。
ゲイルは、「ほう……」と、声を漏らし、興味深いといった視線で、フェルディックを見据えた。
「騎士団に志願したのは……、今の生活を少しでも楽にしたかったからです。それに……、生まれてから一度も見たことがない父のことを言われても、なんだか……実感がなくて……」
「では、君は父の背中を追ってではなく、母上のために志願したと?」
ゲイルは、真剣な眼差しでフェルディックを見据える。
それに負い目を感じたフェルディックは、顔を伏せて、答えた。
「……はい」
それを聞いたゲイルは、咽喉を鳴らしながら頷く。
僕は、この人を失望させてしまっただろうか……。
二人の間を、気まずい空気が漂う……。
沈黙を破ったのは、ゲイルだった。
彼は、再びフェルディックを見据えると――。
「騎士団は……それほど甘くはないぞ?」
淡々と、低い声で告げた。
フェルディックは、奥歯を噛みしめ、ぐっと堪える。
いかに父が偉大な人物であろうとも、今の自分にとっては、これが本心なのだ。
ゲイルの期待を裏切ったかもしれない。
だが、ここで誤解を解いておかなければ、あとになってもっと後悔するだろうと思った。
「……だが、誰かのためにその身を投じるのも――また騎士道というもの……」
ふっ――と、ゲイルが微笑んだ。
「父のようになりたいと、背中を追いかけるようではむしろ駄目だ。私は君の意思を尊重するよ」
そう告げたゲイルの口調は、とても優しいものだった。
「あ……ありがとうございます!」
フェルディックは、深々と頭を下げる。
自分の本心を、そっくりそのままゲイルが受け入れてくれた。
それが、嬉しかった。
無意識のうちに頬が緩んでいる自分に気がついた。
「では、改めて自己紹介をしよう」
それまで椅子に腰を下ろしていたゲイルが、立ち上がる。
「私の名はゲイル・ブリュンハルド――知っての通り、この城で騎士団長を務めている」
ゲイルが右手を差し出す。
その意味に気づいたフェルディックも、右手を差し出し――二人は握手を交わした。
「それから――」
ゲイルは、彼の脇に立っている青年を、ちらりと横目で見る。
「これは私の息子で、名はオスカーという」
「オスカーと申します、以後お見知りおきを」
オスカーは、軽く一礼だけで自己紹介を済ました。
落ち着き払った声とは裏腹に、フェルディックを見据えるオスカーの視線は、鋭い――。
「あ、あの……、フェルディック・ブライアンです。こちらこそ……よろしくお願いします」
フェルディックの口調は、ぎこちない。
「そんなにかしこまることはない。たしかに、年齢こそは君より少し上になるだろうが……。なに。気にするほどでもないさ。これから、仲良くしてやってほしい」
「は、はい……」
はたして、仲良くなれるのだろうか?
オスカーには、人を寄せ付けない雰囲気があった。まるで、人と関わるのを頑なに拒んでいるようだった。
彼の装備している鎧よろしく、その心の鎧を突破して仲良くなるなどという自信は、とてもじゃないが、フェルディックには持てなかった。
なによりも、彼の視線からは、自分に対する怒りの感情を感じて取れたからだ。
そんな二人をよそに、ゲイルはふと背を向けると、窓の外に視線を落とし、独り言のように呟いた。
「さて、夜も長い……」
ゲイルが、振り返る。
「まずは、事の経緯を詳しく話して貰おうか」
そう言って、ゲイルは微笑んだ。
ただ、これまでの“騎士団長”としてではなく、親しい友人を出迎える温かさが――、そこにはあった。