えっ!?悪役令嬢でもなければ聖女でもないモブ令嬢の私を婚約破棄ですか!?(そもそもあなたとは婚約していませんが?)
「モニカ・オルコット! おまえとの婚約を破棄させてもらう!」
それは意外すぎる宣言だった。なにが意外だったかというと。
まず、私は有名な乙女ゲームの背景モブに転生している。
名前は一応ある。モニカ・オルコット。茶色い髪に栗色の瞳を持つ地味な侯爵令嬢だ。
前世の私はある財閥総帥の一人娘で、父の後を継ぐため努力していたけれど、内部での権力争いの果てに事故という形で命を落とした。
だからモニカに転生したことを喜び、今度は地味で平和で将来安泰なモブ令嬢ライフを満喫しようとしていた。もちろんそのための準備だって怠らずに。
そんなモブに起きるわけがない、学院のパーティでの婚約破棄イベント。これが意外だと思った理由のひとつ。
ふたつめは。
私との婚約破棄を宣言したブライアン・アスカム伯爵令息と私は婚約していないということだ。
――なに言ってんのこいつ?
ジュースが入ったグラスを持ったまま私はきょとんとする。
名前を聞きまちがえたのかと持ったけれど、ブライアンの青い瞳はまっすぐに私を見ている。
きれいだけど底が浅い、前世だったらいつでも切れるよう備えておかなくてはならない目の持ち主だ。
ブライアンの隣には儚げな容姿の美少女がいる。
名前はシェリー。彼女は子爵令嬢なのであまり話をする機会はないけれど……優しそうな目の奥に不思議な輝きがある。
彼女はその目で憐れむように私を見ていた。
――え、なんで?
状況がわからなくてなにも言えないでいると、ブライアンは「ショックで言葉もないか」と言ってきた。
「だが理解してくれ。私には真の婚約者がいる。このシェリーだ。おまえは私と婚約しているという妄想に取りつかれているようだが、それは妄想であって現実じゃない。
――まったく、婚約者がいる男が自分を好きだと勘違いするなんて恥ずかしい女だ」
「はい……?」
上から目線で意味がわからないことを言われている。マジでなに、と思っているとシェリーが目くばせをしてきた。
一旦ここは退場。周りにひとがいないところまで移動する。
「モニカさま……」とシェリーが言いにくそうに言ってきた。
「最近、ブライアンさまと会話されました?」
「え? ええ。歴史の授業のときにお話ししたわ」
「そのときに手と手がふれあったのですよね?」
前回の歴史の授業はクラスの垣根を越えてチームが編成され、私はブライアンと一緒になった。
そこで地図を手書きするときにうっかり手と手がぶつかってしまったのだけれど……
「あのひとはそれをわざとだと思ってるみたいなんです。あなたが自分に好意があるからそうしたんだって」
「はっ?」
「そういえばよく視線が合うな、とも思ってるって」
「はぁあ?」
「食堂に行ったり中庭に行ったりするとよく彼女の姿を見かけるけど、それは自分をつけてるからじゃないかとも思ってるって――」
「はぁあああ……?」
どうして私があんな頭空っぽの男に好意を持ってアプローチをしてさらにストーカーまがいのことをしなければならないのか。
「なによそれ」と言うと、シェリーも困ったように眉根を寄せる。
「もともとそういう思いこみの激しいひとなんです。でもなんだか今回は異様にあなたに執着してて……そのうち、『あなたが自分と婚約していると思いこんでいる』という妄想に取りつかれたみたいで」
専門家の治療が必要なやつでは?
「どうすればいいの?」
「適当に話をあわせてください。大丈夫、あのひとの言うことなんてだれも信じません」
「そうはいっても……」
そんな勘違いされてるなんて気味が悪い。全員が全員信じないとも限らないし。
「もしくは……」とシェリーがつぶやく。
「あのひとの心を一発で折れるなにかがあればいいのかも?」
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「……先程は失礼いたしました。突然裏庭でシャウトの練習がしたくなったものですから」
「そ、そうか」
シェリーから遅れて私はパーティ会場にもどる。
やっぱり一部の生徒はブライアンの言うことをそのまま信じてしまっているみたいで、婚約者のいる男に言い寄ってフラれた恥知らずな女を見る目で私のことを見てきた。
――まったく、大衆っていうのはこれだから。
不本意ながらブライアンの前までもどる。彼の隣にいるシェリーが心配そうに私を見てきたので、そっとうなずいてみせた。
「それで? アスカムさま、私があなたと婚約しているとの妄想に陥ったという結論に至るまでの根拠をお聞かせ願えますか?」
「え? なんだって?」
そんな難しい単語は使ってないわよ!
「……どうして私があなたに好意があると思ったのですか?」
「だってこの前わざと手をぶつけてきたじゃないか」
「偶然です」
「よく視線が合うし」
「偶然です」
「私が食堂や中庭に行くとよくおまえの姿を見かけるし――」
「偶然です」
「…………」
眉ひとつ動かさずに答える私にブライアンはたじろいだが、「ぐ、偶然という証拠を見せてみろ!」と怒鳴ってきた。
「それがない限りはわざとだ! わざとおまえはこの私の周りをうろついているんだ! 関心を持ってもらおうと思って……!」
「こちらから言わせてもらえばわざとという証拠がない限りは偶然なのですが。私が故意にそうしたという証拠はあるのですか?」
「ある。おまえは私に好意を持っているからな、だからわざとだ」
話にならない。
私は溜め息をついた。仕方ない。
周りから注目を浴びるのは不本意なのだけれど、ここで言い争うほうがもっと面倒なことになりそうだし。
「偶然、という直接的な証拠ではありませんが――」
私は寮の自室までもどって取ってきた手紙をブライアンに差しだした。
「は? なんだこれは……」と訝しげに手紙を一瞥した彼の顔がみるみるうちに変わっていく。
「――ジェレミー・クロックフォード……」
隣から手紙を覗きこんだシェリーの顔色も変わる。「ま、まさか。クロックフォードって――」
「隣国の王子、ジェレミー殿下です」
「ど――どういうことだ!? これはまるで恋人同士の書簡だ。どうしておまえが……!?」
「殿下と婚約しているからです」
モブ令嬢に転生したと気づいたとき、私は考えた。乙女ゲームのヒロインとヒーローたちのあれやこれやに巻きこまれないように地味に平和に生きるにはどうすればいいのか?
その答えが隣国の王子と婚約することだった。
なぜならゲームにおいて隣国の話はこれっぽちもでてきていないから。つまり、ヒロインがバッドエンドを迎えようがヒーローが闇落ちしようが隣国は平和だということ。
将来安泰な相手として私はジェレミー殿下を選んだのだった。
そのための画策は得意分野。なんたって、前世は財閥総帥の娘ですもの。
「必要でしたら家から婚約に関する書類を取りよせてお見せしますが」
「…………」
「なぜジェレミー殿下と婚約している私があなたと婚約しているという妄想に取りつかれなければならないのでしょうか。そもそも、あなたの家は伯爵ですよね。侯爵家の私からしたら正直……格落ちっていうか……」
「ぐっ……!」
「わかったらその手紙を返していただけますこと?」
ブライアンは震える手で手紙を差しだしてくる。
それを受けとった私はくすりと笑った。
「――隣国の王子殿下と婚約中の侯爵令嬢が自分を好きだと勘違いするなんて、恥ずかしい方」
「ぐおおおおっ!」と絶叫してブライアンはその場に崩れおちる。
シェリーが「ブライアンさま……!」とあわてて傍らにかがみこんだ。
私たちの話の行く末を見守っていた生徒たちはくすくす笑いあっている。
明日からのこの男のあだ名は『恥ずかし令息(笑)』で決定ね。
「やれやれ……」
私はふたりに背を向ける。
モブ令嬢に転生したのに婚約破棄からのプチ断罪イベントをこなしてしまうなんて。明日からはさらに目立たないようにしなくちゃ。
……あれ、とそこで私はふと不思議に思う。
シェリーはほんとうにブライアンと婚約しているのかしら? ほんとうなら……こんな男が相手でいいの?
私が振りかえる前に。
その答えは、甘いささやきとしてもたらされた。
「大丈夫ですよ、ブライアンさま。
……私だけはずうっとあなたの味方ですからね……」




