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【掌編集】ビン詰めのボンボーン  作者: 夏乃緒玻璃


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パンと夏の魚

 少年時代。

 夢の中で、ああこれはまた夢なんだな、と思う事がよくあった。


 突堤。現実では一度だけ、叔父に魚釣りに連れて来てもらった場所。夢の中では何度も訪れた場所。


 実際のその場所は電車で何駅も揺られ、降りてからまたかなり歩いた先にあった。

 しかし夢は便利だ。

 夢の中のその突堤は家から徒歩圏内だった。


 現実ではあるいは少し汚れたコンクリートの道だったような気もしないでもないが、夢の中の突堤はまるで大理石のような白く鮮やかな道である事が多かった。


 どこかで見たトーマス マックナイトの絵の印象があったのかもしれない。

 この絵の風景はこれはこれで色々あって、今現在僕の部屋の白い壁にそのポスターが貼られていたりするのだけど、まあそれはまた別の折に。


 ともあれ、夢の中の突堤。青く青くどこまでも続く空と海と、白い道、白い波、そして白い雲。大抵は入道雲。その青と白の世界で僕は釣りをする。


 夢の中とはいえ、釣れる魚は不思議と現実的で、決して鯨が釣れたりはせず、メジナ、カワハギ、ハゼ、カサゴなどだった。


 少し離れた場所で竿を垂らしている叔父は、僕が魚を釣り上げるたびに、大袈裟に喜んで「凄いぞ、坊!」「偉いぞ、坊!」と褒めちぎる。


 叔父は、深いシワを刻んだ顔に、咥えタバコで、いつもどこか遠くを見ているような人だった。

 たまにフラッと祖母の家に来ては、そこを避難所のようにしていた僕をやけに可愛がってくれ、時には釣りに、時には山に連れ出してくれたのだった。


 何年か後には、僕はもう少し捻じ曲がり、そういう小さな優しさも鬱陶しく感じるようになり、自分から距離を取ってしまう事が多くなってしまうのだけれど。


 叔父が買ってくるのはいつもコカコーラの真っ赤な缶。コーラを飲み、風を浴び、日差しに包まれ、キラキラとした波や白い雲を見ながら釣りをする。


 太陽はいつまでも真上。魚はとっくにクーラーボックスを満杯にし、僕はただ釣り上げた魚をそのまま海に返すだけ。


 気づけば叔父の姿も消え失せている。寂寥感、不安、それらが押し寄せてはきているが、しかしそれ以上の開放感があった。

 自由と孤独は紙一重なんだ、などとこまっしゃくれた小学生の頭で考える。


 殴る大人は嫌い。騙す大人は嫌い。だけど時には愛とか優しさだって邪魔に感じる。いつか取り上げられてしまうのなら最初からくれなくていいとさえ思う。助けて欲しいその時にいてくれない人ならば、最初からいない人と何か違うというのか。


 寝転びながらそんな風に考え、雲を見る。白い白い入道雲。このままこの世界でめざめなければ、いつか日は暮れるのだろうか。

 いつか叔父が話してくれた夏の星、夏の銀河はここからなら見れるだろうか。


 そんな風に寝転びながら夢の中で夢を見る。目を覚ましてしまえば消え失せてしまう世界で、キラキラ光る波を見る。

 突堤に寝転びながらでは見える筈もない海中で、花畑のようにいくつもの珊瑚が揺れているのを見る。

 何処かからパンの焼けるいい匂いが漂ってくる。懐かしい匂い。空腹感。


 そして全ては消え失せ、目が覚める。


 薄暗い部屋。引っ越してくる前の何分の一かになった小さな家の中。隣の部屋で寝ている親達を起こさないように、そっと息を潜めながら、服を着替えて外に出る。


 時間は日曜日の昼近く。ポケットの中の小銭を確かめながら、向かうのは近所のパン屋。


 夏のありふれた一日。


 そこはもう叔父も魚も幸せなキラキラも青い海も珊瑚も消え失せた現実世界だった。


 しかし白い入道雲の青い空とパンの匂いは残ってくれていた。


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