蛍の横顔・補 かたつむり
何故か、そんな事はないのだけれど
朝から雨が降り続いているような日は
母が少しだけ優しいような気がした
多分そんな事はなかったのだと思うけれど
小さな長靴を履かせてくれたり
レインコートを着せてくれたり
漫画の柄の傘を持たせてくれたり
そんな風に普段は面倒がって何もしてくれない母が
出かける前にあれこれと
手を焼いてくれたからそう思えたのかもしれない
家から出ると少しはしゃいで、飛びはねたり
道端でカタツムリを探したり
最初のうちはとても楽しかった
母も一緒に笑っていたように記憶している
でんでんむしむし かたつむり
行きは良い良い
帰る頃には体はびしょびしょ
気分屋の母はうんざりした様子で
もう僕が話しかけても相手をしてはくれない
構って欲しくて少し聞き分けない行動を繰り返し
家路につく頃には何度も叱られて
泣きながら歩いている
家につく
雨具を剥ぎ取り、タオルで体を拭いてくれはしたが
なぜ泣いていてなぜ泣き止まないのか
自分でもわからない自分の子を
母親は心底気持ち悪そうに一瞥し
何か言おうとしたものの
何も言葉が浮かばなかったと見えて
そのまま広い家の中のどこかに行ってしまった
いつものように一人になった僕は
もう泣いてはいなかったけれど
なぜか悲しくてたまらない気持ちに耐えかねて
ただ窓の外を見る
カタツムリが窓の近くを這っていた
家を出た時にも見たカタツムリ
その時は少し楽しい気持ちだったのを思い出し
どうしてその楽しい気持ちのままでいられないのか
わからなくて、それが余計悲しくて
また少し泣いた
母はどんな気持ちなのだろうと様子を見に行ったが
友人と長電話の最中だった様で
横に来た僕を無表情で一瞥したきりで
その後は視線すら向けてこなかった
電話の邪魔をすると
「お線香」と火で折檻をされるので
母の興味を惹く事は諦め
カタツムリのいる窓へ戻る
カタツムリは変わらずそこにいる
カタツムリを見れば
朝の少しだけ楽しい時間と
少しだけ優しい母を思い出す事ができる
だから僕はその後は一人、椅子に腰掛けて
頬杖をつき、雨音を聴きながら
カタツムリをただじっと眺めていた
こちらは、「蛍の横顔」という私小説の一部として書いたものです。本編との関連も薄く、冗長になるのでカットしたものです。
懐かしさを込めて単独のエピソードとしてここに載せました。




