第6話『スカイブルーの瞳』
☆
二限目の授業は、近年普及が進んでいる魔導具の優位性を語る内容だった。
魔導具――パルマティア。それは魔法という神の法に背く、掌上の罪。
……と、一限目のときのように復習したい気持ちをぐっと堪えて。
休み時間を迎えた私は早足で教室を出て、そのまま上の階へ。
お茶会の主催者である二年生、セレナ・ホーソンのもとに向かった。
飛び入りでの参加は可能か否か。可能なら諸々の話を通しておくためだ。
そしてその結果は。
「ええ、喜んで。どちらに転んでもどうぞいらして。とっておきの準備もしておくわ。マリモちゃん」
「ありがとうございます、セレナ先輩。どうかよろしくお願いします」
お淑やかな微笑に深く頭を下げ、私は二年の教室が並ぶ廊下を後にする。
実のところ、セレナ先輩とは入学前から面識があった。
所要でアプステラを訪れた際に、学院への、ひいては委員会への勧誘という形で紹介を受け、挨拶を交わしていたのだ。
ちなみにそのときはお互いさん付けだったが、正式に学院に入学したことで改めて先輩呼びの提案をしたところ、そのほうが楽ならと彼女は受け入れ、変わりに私はちゃん付けとなった。
何はともあれ、以前の縁と先輩の度量の広さが良い方向に転んだ結果。
お茶会の参加券は無事獲得できた――し、ちょっとした取引という形で、私の秘密のお願いも快く承諾してもらった。
あの来るもの拒まずの大らかさというか物腰の柔らかさは、ルカとはまた違った方向で、人を惹き付ける魅力よね。
普段の素行の良さと参加希望者が一定数を下回らないことを認められて、元々はゲリラ的だったお茶会が正式に認可が下りるようになったというのも納得だ。
「……さて」
お茶会への参加は認められた。次はベルナデット先輩の了承だ。
急な誘いであるため断られる可能性は高い。
が、どちらにせよ、行動は早いほうがいい。
その判断のもと、二年生の廊下を後にした私はその足で高等部校舎四階――三年生の教室が並ぶ廊下へと向かった。
「…………」
気を落ち着けるように、深呼吸をする。
二年の教室に行ったときは、まあ先輩とはいえど同い年だという意識が働いて、それほど緊張はしなかった。
しかし三年生は、学年だけでなく年齢という意味でも上級生だ。
アルバイト先では不思議と年齢の差は気にならないものだけど、学校だと一年二年の差はどうしようもなく別世界で、程遠く感じられる。緊張するな……。
「……よし」
三つ編みにしている横髪をそっと撫でて、意を決する。
階段から一番近い教室の扉へと踏み出す。
先輩がどの教室にいるか分からない以上、一つ一つ聞いていかないとだ。
すると、ちょうど教室から生徒が出てきた。
私はチャンスとばかりに声をかける。
「あの、すみません。この教室にベルナデット先輩はいらっしゃいますか?」
「うん?」
ブルーアッシュの髪が印象的な三年生は、すぐにその足を止めてくれた。
そのハニーイエローの瞳にさりげなく。
髪とループタイの宝石の色を、一瞥される。
人を観察し慣れているごく自然な動作だ。なんとなく、やり手のビジネスパーソンだったあの人を……二人目の母を思い出す。
それに、勢いで声をかけたものだから遅れて気付いたけれど。
……この方、かなりの美人だ。
いや、単純に顔の造作が綺麗だというのもあるが、所作だろうか。
纏う雰囲気が、まるで幼少期から訓練を受けているかのように洗練されていて。
外見ではない、もっと内面的なところで、私とこの人では住む世界が違うと思わされる。
まさか――この方が件のお姉様、もといご令嬢なのではないか?
そんな可能性が脳裏をよぎった。
「ベルナなら一番奥の窓際の席だよ」
――が、どうやらそれは思い違いだったようだ。
「ありがとうございます」
助かった。これからお茶会に誘うというのに、顔も知らないなんてことが発覚したら失礼にもほどがある。
いえ、それを隠して誘おうとしている時点で充分に最低なのだけどね……。
今さらながら、人柄だけでなく外見についてもルカに聞いておくべきだったと思いつつ、とにかく私は教室内へと踏み入る。
「失礼します」
誰に言うでもなく呟く。
そうして二時間ほど前と同じように、私は教室を縦断して最奥の席に向かった。
容赦のない好奇の視線を浴びながら、それでも堂々と胸を張って。
「――――」
目標を見定めるように、先ほど教わった窓際の席の様子を窺う。
だが……何の因果か。例の人の輪郭は未だ不鮮明だ。
なぜなら、世界がまるでその瞬間を勿体付けるかのように。
開け放たれた窓から吹き込む風が、カーテンを棚引かせて、白いヴェールのようにその姿を覆っていたのだ。
だからあと少し、本当にすぐ側まで近づかなければ。
ベルナデット先輩の姿を見ることは叶わないだろう。
しかし不思議と、焦りやもどかしさは抱かなかった。
だって、吹き抜ける風が、そんなこと些細に思えるほどに澄んでいたから。
ヘリオスレッタの気温は全体的に前の世界より過ごしやすいと聞いているが、にしてもだ。
そろそろ七月になるとは思えないほど気持ちの良い――まるで季節外れな涼風。
一歩ずつ、歩みを進める。
するとカーテンが波打つように引いて、また寄せて。
その薄い幕の向こう側に近づくたび、ぼんやりと、淡い金色の髪が見えてきた。
ああ――同じ教室の中なのにそこだけが、絵本の中の一ページのように別世界。
永遠にすら思えた十三の階段。
それを昇りきった先で、私は静かに歩みを止めた。
「…………っ」
―――美しい、人だった。
違う。そうじゃない。それこそ致命的に……何かが違う。
それは到底、人が宿して良い類いの美しさではなかった。
それはある種の芸術で。
それは冷たく無機質で。
それはどこまでも永久不変の――。
だから思わず否定してしまった。
ベルナデット・M・ロードナイトが人であることを。
窓外を見つめている彼女のスカイブルーの瞳。
今にも墜ちてしまいそうな青空を映す眼球が――特にその、左目が――寒気を覚えるほどに綺麗だったから。
宝石令嬢という通り名の由来が、文字通り彼女自身が宝石でできているからだと、私は極めて自然に錯覚してしまったのだった。
「ベルナデット、先輩……」
奪われた心を手繰り寄せる覚束ない声音で、その名を紡ぐ。
剥がされたヴェールの下の、さらなる神秘に触れるために。
「――何かな。見たところ、一年生のようだが」
返ってきた声は、とても耳に残る音だった。
透き通る高い声。それは少女のような可憐さを持ちながらも、落ち着いていて、どこか色気のようなものも内包していて。
「…………」
声に聞き惚れ、続けてざまに絶世の瞳に射貫かれた私は、再び言葉を失った。
ロードナイト――薔薇を思わせる鮮やかな赤を持つ石。
だがその名を宿す彼女の瞳は、空を切り取って入れたかのような、真逆の青色。
そしてそれを収めているのは。
静謐な淑やかさと、苛烈な芯の強さが融和した、整った造形をした顔。
さらに器を飾り彩る上品なミルキーブロンドの髪はあまりにも長く、隅々まで手入れが行き届いており。
陶器のような白雪の肌も相まって、温室でこれでもかというほど慎重に育てられた花を眺めている気分になる。
けれど……揺るぎない凛とした眼差しが。きちっと着こなした制服が。
爽やかな果実の甘さと芯を感じる白百合の香りを纏い、涼やかに風に吹かれているその姿が。
深窓の令嬢というよりも、さながら白馬に跨る貴公子のように思えた。
可愛いとは少し違う。綺麗で格好いい人だ――と。
……はっ、まずいまずい。いつまでも見惚れて黙っているわけにはいかない。
「初めまして……一年のマリモジュナといいます」
「マリモ? ああ、君がそうか。会えて光栄だよ」
私の名前を聞いて、爽やかな笑みを浮かべるベルナデット先輩。
その反応は、ほかの生徒たちのように校舎裏の森の話を耳にしていたからか。
あるいはルカの予想通り、寮長から入寮テストについて聞かされているからか。
どちらにせよ、私は軽く頭を下げて、本題に入った。
「突然押し掛けてしまい申し訳ございません。ですが、不意打ちを承知で本日は、ベルナデット先輩をお茶会にお誘いしたいと思い参りました。お昼休みに中庭で開かれているお茶会です」
「ほう。それはどうもありがとう。しかし君はご存知かな? この学院には大きく分けて二つの勢力が存在していると」
「は、はい……転生者を主とした青春履行委員会と、この世界で生まれた者を主とした未来玲瓏協会、ですね」
「その通り。そしてあのお茶会は、委員会発案の催しだったと記憶している。協会所属の私が足を運んでは、迷惑ではないかな」
「主催のセレナ先輩は、参加してくださる方の立場は関係ないと、中立のスタンスを取っています。ですから、心配なさることはないと――」
……心臓の鼓動が、うるさかった。
私はきちんと喋れているだろうか。
声量が不安定だったり、言葉選びを間違えていないだろうか。
ツギハギだらけの知識で行う私の礼儀作法など、本物には遠く及ばないのだと、この人の気取らない態度の前では否が応にも思わされる。
声を出すごとに、瞬きをするごとに、礼を失してなかったかと一秒前の自分を省みてしまう。
向こうはそんなこと意識すらしていないと、頭で分かっていてもだ。
それは自分で自分の首を絞めるような独り相撲。
だけど、それを繰り返しているうちにふと、気付いたことがあった。
……先輩のさっきの言葉。
もしやあれには、遠回しに誘いを断る意図があったのではなかろうか……?
考えすぎだとは思わなかった。立場ある身ならば突然の誘いなど安請け合いせず、断るか、返事の猶予を貰って当然だ。
きっぱりと言ってしまっては、相手に恥をかかせることに繋がりかねないから。
ゆえに先輩は気を遣って、自分の存在が迷惑になるかもしれないと、穏便に引き下がる方便をくれたのではないか?
だとするなら今の私は、社交辞令を真に受けるみたいな間抜けをやらかしたことになる。
私はとっさに先輩の表情を窺った。
音を立てないようにゆっくり唾を飲み込んで。もしも困らせてしまったならこの場はもう一時撤退しようと、そう思って。思わされて。
しかし私の考えに反して、先輩は頼もしい笑みを浮かべて言うのだ。
「そうか。中立か。ならば何も問題はないな。その招待、喜んでお受けしよう」
「――――え」
思わず漏れ出た驚きの声は私のものであり、密かにこのやり取りを覗き見ていた生徒たちのものでもあった。
すかさず教室内を伝播していく、珍しい光景を見たという囁き。
察するに先輩は、普段から誰彼構わず誘いがあれば応じる人ではないのだ。
それはご令嬢としての立場を思えば、別段不思議なことではない。
だけど逆に、その事実が余計に、私の誘いを受けた理由を分からなくさせる。
「なんだ、そんなに驚かないでくれ。ここに乗り込んできたときの威勢はどうした? 私はダメ元の招待を受けるほど軽薄ではないつもりだぞ」
よほど変な顔をしていたのか、先輩は呆れるように肘を突いて私を茶化した。
「し、失礼しました……っ。その、嬉しいお返事をありがとうございます……!」
「うむ。それで私は、昼休みになったら中庭に向かえばいいのかな」
「はい――あ、いえ! 僭越ながら私が、授業が終わり次第お迎えに上がります」
「ならエスコートはお任せする。さて、次の授業が始まる。君はもう戻るといい」
「え……あの、まだ少し」
「ただでさえ君は目立っているんだ。教師にまで目を付けられる前に戻りなさい。心配せずとも、私はどこにも逃げやしないよ」
そんな風に言われては逆らえるはずもない。
いつの間にか――いや、最初からそんなもの無かった気もするが――主導権を握られた私は、あれよあれよと言葉だけで身体を操られるようにして。
「…………、はっ!」
教室を出たところで、ようやく我に返った。
「な、流れるように話を切り上げられてしまった……」
訊きたいことがあった。知りたいことがまだまだ沢山あった。できるだけ懸念を減らしておきたかった。
けれど、先輩の配慮を無下にするわけにはいかない、わよね。
一応やれることはやった。
とんとん拍子に話が進んでいるのも悪いことじゃない。
「……はぁ」
切り替えるようにため息を一つこぼし、私は教室に戻るべく歩き出した。
「――――」
……それにしても。
誰もいない廊下。しんと静まり返った空間は、どこか冷たい空気を纏っていて。
だから、だろうか。
自分の身体がいやに熱っぽいことがよく分かった。
まるで夢でも見ていたみたい……いや、きっと、今でもまだ見ている。
まだ、網膜に焼き付いて離れないでいるんだ。
窓際の席。のどかに射し込む陽光。白いカーテンが風に揺れているあの光景。
六月十九日の伽藍を思い出す、あの泣いてしまいそうなほど雲一つない空を背景にした、額縁の中の絵画みたいな――あの人の姿が。




