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ビニース・ザ・ウィール -反逆少女と宝石令嬢-  作者: 悠葵のんの
第三章《fly me to the sky blue sky》
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第60話『それでもと、祈りを込めるしかないのだから』

     ☆


 虹色の波が、通路の先から風と共に吹き込んできていた。


「――光が、見える……」


 声が出たのは、単に喉の奥に溜まっていた血を吐き出したから。

 刺さったナイフが抜けた腹部からは、この小さな身体のどこに詰め込まれていたのかと思うほど、血が流れ出ていて。

 最初はトプトプと音を立てていた気がしたけど、今はもう分からない。

 どうしようもないほどの死に体。このまま壁に背を預けたまま、二度と立ち上がることはないのだと、本能が告げている。

 それでも――。


「エトランゼ粒子……ええ、そうね……キリエ……」


 全身に力を込める。立たなければならなかった。通路の先へと歩いていくラルエット。彼女はあの日の私だ。空っぽの空を希望の光と見間違えて、飛ぼうとして、墜ちてしまった毬萌樹那まりもじゅなと。


 ――風が吹いている。


 私は助けを求めていない、か。うん。確かにそうだ。

 けれども――。


 ――私の背中を押している。


 建前ならある。利己的利他主義という言葉が。

 流儀ならある。問答無用な現実と、己への反逆の意思が。

 理想ならある。私は既に、それをこの胸に抱いている。


 ――風が吹いている。


 あの日。あの夜。あの月下で。

 他者という鏡が映し出した、無償の愛に見えた輝く星。


 ――私の背中を押している。


 正しさが欲しいわけじゃない。

 見返りなんて求めてはいない。

 世界を変えたいと思ってない。

 ただ、あなたは私を選んだ。それが偶然だとしても。

 だから、私もあなたを選ぶ。この出会いを、必然のモノにする。


 ――風が吹いている。


 人は、論理だけでは生きてはいけないから。


 ――私の背中を押している。


 人が、死の誘惑に打ち勝つには――?

 その答えを抱いて瞬きをすると、暗転、世界が一変した。

 灯火の世界。

 そこはきっと、未来に向かおうとする人々の、意思の炎が築き上げた場所。

 その中心に私は立っていて、そして目の前には一領の鎧が在った。

 私の髪と同じ白色の外殻に、紫色のラインが引かれていて、淡く明滅している。

 鎧は、まるで一輪の花でも差し出すように、いつからか手にしていた一振りの剣の、その柄を私に向けた。


「――――――、」


 迷わず手を伸ばし、剣を手に取る。

 刹那、再び視界が暗転し、世界は元の場面へと切り替わって。

 ぱきり、とガラスの割れるような音が響き、胸に孔が開いた。


 ――風が吹いている。


 孔の先は灯火の世界。

 そして私の手は既に、剣の柄を握りしめていた。

 魂が到達したその剣の名は。

 十二番目の剣――『ミゼリコル・トゥエ・レーヌ』。

 けれどそれは私が付けた名前ではない。私の祈りではない。

 ゆえに、込められた法則は書き換えさせてもらう。


 ――この身体は耐えられず、空に手を伸ばして。


 からのそら。くうくう。すべてが、虚しいモノだというのであれば。


「現実……押収……――――空想、展開――――」


 求めるのは、あらゆる墜ちゆく者に授けられるべき、白のひとひら。

 それを以て伽藍の空を、あの方から頂いた色に。

 破滅の赤に抗う、空色の青空へと書き換えてみせよう……!



「――――『絶対無血領域ぜったいむけつりょういき』」



 ――祝福の言葉を告げて、私は翼を広げた。


 あらゆる重さを振り払い、軽く、高く、羽ばたくための、【慈愛】の翼を――‼


 それこそが、大いなる車輪に逆らい続けた果ての果て。

 ――到達せし極地。死の奔流、その掌握。

 辿るべき運命を書き換える、生命の羽ばたきだった。


 今は彼方――空に墜ち、時の波に流され、そして海に辿り着いた。

 そこで一度は指針を失い、溺れかけてしまったけれど。

 私は星を目指して、再び羽ばたこう。

 たとえ飛翔に及ばずとも。

 濡れた翼でもがくだけの行為だったとしても。

 それでも成せるものがあると信じて――ひたすらに。


 高らかに踊る翼は羽根を舞い散らし、桜のように、雪のように、優しく包み込むように降り積もっていく。


「――――――」


 束の間、私の意識はまるで、本物と見間違う浮遊感を得ていた。

 あらゆるモノが手の届くところにある。自分と世界が一つになったような感覚。それはまるで、どこまでも視えて、どこまでも感じられて、どこまでも触れられる神様になった気分だ。爽やかな風の中を、私はずっと佇み続けている。流されながら、逆らいながら、身を委ねながら、偏在している。

 目を閉じていても開けているみたいで。

 澄み渡るように起きているのに、微睡みに沈んでいるみたいに穏やかで。

 一瞬を味わい尽くす至高の絶頂が、どこまでもどこまでも私を貫き続けている。


 ああ――けれど、この感覚に飲まれてはダメだ。

 だって、美しく翼を広げるだけでは意味がない。

 醜くても必死にもがかなければ、それは墜ちてゆくだけなのだから。

 己が運命を掌握し、歩んでいく道。見据えるべきは神への回帰ではなく、人の可能性の先であると、私は自らの手綱を握りしめた。


「――――あ、え……? 何これ、私……術式が消えて――ッ、マリモジュナ!」


 意識を取り戻し、私を振り返ったラルエット。


「まさか使ったの――? 魔法を」


 続く言葉に、頷く。


 ――空想の具現化。それこそが、死の経験という本来はあり得ないモノを手に入れた私の、魔の法則だった。

 空想とは時として、現実の前には無力になる瞬間がある。

 それこそどんなに綺麗な言葉を紡いでも、尽くしても――ただの一言で崩れてしまうような脆さを内包している。

 それを知っているからこそ、私は精一杯、思い描いた。

 理想を、祈りを、建前を、捧げられるモノはすべて捧げた。

 そうすることがきっと、捻じ曲げられてしまう現実に対しての、せめてもの作法だから。

 その到達点のひとつがこの、虚無へと至る引力に抗うための――反逆の翼だ。


「羽根が、会場全体に……結界、なのか、これは。魔術を無効化する結界……?」


「……そう。この結界の中では、人を傷つけるあらゆる魔的法則が無効化され、怪我や病でさえも、一時的にその進行を止める」


「な、なにそれ――あり得ない……」


 そう、あり得ない。だけど思い描いた。必死に祈った。

 生きることを選んだから。命を諦めないと誓ったから。

 だから誰も死なせない。それが自分を死なせないことにも繋がると、知ったから。


「こ、効果時間は⁉ こんな大掛かりな結界……すぐに壊れてしまうはず……!」


「私はこの結界の効果時間を、四十時間に設定した。だから多分、その間は大丈夫。そう感じる」


 四十時間。それは私が死へと到達するまでに落ち続けた時間であり、その果てに何も残すことができなかった時間だ。

 かろうじて生きていたというのに、父に謝罪することも、新しい母に感謝を伝えることもできずに終わってしまった。

 だから、次こそはと想いを込めた。

 この時間は、何も残せなかった結末を書き換えるための、運命を超えるための試練の刻限なのだ。


「よんじゅう、じかん……――は、はは……これが、本物? バケモノじゃない……そんなのあるなら、最初から使えよ……」


「そうしたらきっと――あなたを現実で受け止められなかった、から」


 剣を手放す。武器は、必要としていない。

 スノードームのように、白い羽根が舞い上がり、そして落ち続ける通路。

 座り込んだラルエットの頭を、頬を、流れゆくナミダを、そっと撫でた。

 流れ込んでくる、彼女の絶望と慟哭。そのすべてを包み込むように、私は――ラルエット・マルシャンの身体を、ただひたすらに抱き締めた。


 ……良かった。あなたに手が届いて、本当に。


 通路の先。暗闇を抜けた向こう側から、遠ざかっていた声が伝わってくる。


『――一年後。この場に立っているのは私ではありません。私の、私たちのバトンを受け継いだ誰かが、『百年祭』の閉幕を告げることになります。

 そのとき振り返った一年が、胸を張れるモノであるように、可能性あふれる未来へと歩んでいきましょう。この言葉と祈りを以て、開幕の挨拶を終わります。

 ――ご清聴、ありがとうございました』


     ☆


 いつの間にか意識を失っていたと、彼女の腕の中で目を覚まして、気が付いた。

 視界の端。【慈愛】の剣が生み出した白い羽根は、今も降り続けている。

 ということは、ここは会場で、少なくともまだ、四十時間は経過していないらしい。

 ぼやけた頭でそんなことを考えていると、そっと、彼女が私に微笑んだ。

 同じだ。あの再誕の日に見つめた、星のように眩しい笑顔と。

 ……なら大丈夫。

 それが分かるということは、鮮明に覚えているということだから。

 安心して、伝えられる。


「キリエ……私、決めたわ……」


「うん」


「私は……委員会には、入らない……あなたと同じ道は、歩まない……」


「……うん」


「だから、待っていて。それぞれの道を歩んだ先で、またこうして、出会える時を」


「――分かった。そのときを楽しみにしているね」


 大丈夫……きっとまた会えるわ。私たちは、まるで回り続ける回転木馬のように、お互いを追いかけあっているから、もしかしたらすごく、遠いのかもしれないけれど。

 それでも、いつか――運命の時が訪れる、その瞬間を、一緒に迎えようね。


「キリエ先輩!」


 知っている声が、近付いてくる。


「ルカ――この子のこと、お願い」


「はい……! マリモさん。遅れてしまって本当にごめんなさい。でもようやく、あなたの力になることができます」


 少女は花のような笑みを浮かべて、それから。


「安心してください。アプステラ魔術学院高等部唯一の治癒魔術師――ルカ・フローレンスの名に懸けて、傷跡も残らないほど綺麗に治してみせますから!」


 柔らかな陽射しのような声で、そう告げたのだった。

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