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ビニース・ザ・ウィール -反逆少女と宝石令嬢-  作者: 悠葵のんの
第三章《fly me to the sky blue sky》
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第59話『現実の前に、空想はあまりにも無力だけれど』

     ☆


『――アプステラ魔術学院に在籍するすべての皆様、私は高等部三年、ベルナデット・ロードナイトです。

 本日、我らが学び舎であるアプステラは創立百年を迎えました。

 記念すべきこの事実を、そして先人たちが築いてきた歴史を讃えるべく、これから一年を通して『百年祭』が執り行われます。

 このたび私は、新たな歴史の幕開けを宣言する任を拝命いたしました。

 生徒代表として、とても重要なこの役割を任されたことを誇りに思うと同時に、その幸いに心からの感謝を捧げます』


 式典会場『テアトルム』の北側三階通路。この先はほかの観客席からは切り離された、劇場で言うところのVIP席のような場所に繋がっている。

 普段の授業では教師陣が上から生徒を監督し指示するためのスペース。しかしこの百年祭の開催式典では、演説者の後方にあたるこの位置には、垂れ幕や記念用の装飾が施されていて、無人となっている。


『今から百年前、アプステラは争いの世の中に創設されました。

 人魔戦争――この平和な時代に生まれた私たちにとって、それは教科書に書かれている出来事の一つでしかありません。

 しかしこのヘリオスレッタという世界の性質を考えたとき、百年という時の中で存在を維持してきたことがどれだけの偉業であるか、相応の実感をもたらしてくれるはずです。それほどまでにこの世界の存在意義は、そこに生きる私たちの地盤は、不安定なのです』


 つまりここは、会場が一望でき、かつ演説を行うベルナデット様の姿を一方的に見下すことのできる場所というわけだ。

 彼女が来るならここしかない――そしてその予測は的確だったと、まるでトンネルのような、細く薄暗い通路に響く足音に思う。

 闇の中にクロムオレンジが輝き、そして暗燈色の爆弾魔はその姿を現した。

 ラルエット・マルシャン。彼女は通路を塞ぐように佇む私を睨みつけ、押し殺すような声音で呟く。


「……ベルナデットの奴隷が……」


「私は私よ。マリモジュナであり、ベルナデット様の使用人であり、あなたのルームメイトとして、ここに居る」


「戯言なら結構だ! 立ちはだかるなら押し通るまで……!」


「待って。私は話をするために来たの。あなたがこれから進む道は、決して一つではないと――」


 攻撃する意思はないと、私は両手を広げて、一歩ずつラルエットに歩み寄る。


「どけッ!」


 ラルエットが力強く踏み込み、私の頬を叩いた。

 魔力を温存するためだろう。ただの平手打ちだ。それでも加減なんてされているはずもなく、私はよろめいたが、すぐに体勢を立て直してラルエットの前に立つ。


 すると次は裏拳が飛んできた。私は避けず、それは顔面に直撃する。二、三歩後退し、口内には血の味が広がったが、倒れない。


 苛立ったラルエットは今度は回し蹴りを放つ。それを横腹に受けて、壁に身体を打ち付けて地面に蹲ったが、すぐに立ち上がった。ずっと、ラルエットから目を離さず。


『皆様にとってヘリオスレッタは、どのような世界に見えているでしょうか。

 小さな箱庭。異世界。天国。地獄。あるいは煉獄。ともすれば、明日にも消えてしまいかねない共同幻想――明確な答えなど出せるはずありません。

 ですが、二度目の生という奇跡を賜った転生者が、この場所を生きるべき世界と定義したことで、私のような非転生者はこの世に生を受けることができました。

 それを過ちと指摘する声があります。原罪を背負っていると。過ちから始まったモノは、すべからく過ちを犯し、破滅する運命にあると。

 それは誰に言われずとも、私たち非転生者の中に漠然とですが、普遍的に備わっている意識でもあります。あるいは転生者でさえ、その事実に対して、得体のしれぬ後ろめたさがあるのかもしれません』


「ッ――、ぐ――ぅ……!」


 避けることは簡単だ。反撃することは簡単だ。

 だけど、それを選んだら取りこぼしてしまうモノがある。

 ゆえに私は受け止めることを選ぶ。

 ベルナデット様の言葉が届くように、彼女の衝動を。

 それが私に与えられた命令、私が望む使命なのだから……!


「ラルエット……聴いて……この演説はあなたに向けられたものでもあるの……!」

 

『しかし現在、このヘリオスレッタは種族間の戦争を乗り越え、およそ平和とされる均衡を保っています。それはなぜか。

 敵を殲滅したからでしょうか。争うことに飽きたからでしょうか。戦う力を失ったからでしょうか。

 いいえ――人と魔族が相互理解を果たしたから、それは成されたのです。

 罪を赦す者がいました。手を繋いだ者がいました。

 互いを受け入れられずとも、ただそこに存在することを認めた者がいたのです。

 相互理解とは、他者と同化することではありません。自身とは違う存在が同じ時を生きることを、受容するということなのです。

 人は過ちを繰り返す――過去、多くの転生者がそう唱えながら、そう唱えた人々こそが、新たな道を切り拓き、繁栄をもたらしてきました。

 遠くない未来、時代は私たちの手に委ねられるでしょう。その舵を取るのが人間か魔族か。転生者か非転生者か。ヘリオスレッタという世界がどこへ向かうのか。未来は誰にも分かりません。

 しかし確かなのは、未来は自らの手で創っていかなければならないということです。

 そしてそれを、個人では成し得ないことと自覚した上で、同じ時を生きるもの同士、互いを理解し合うことが重要なのです』


「ごちゃごちゃと薄っぺらいことばっかり……‼」


『隣人を思いやる心。助けを求める人に手を差し伸べる心。自らの信念と向き合う心。その祈りを今一度、改めて、共に育んでいきましょう。素晴らしき学院生活とは、楽園のような日々とは、そのもとに築かれるのだと信じて。

 このアプステラという海が、やがてヘリオスレッタを楽園に至らせるための礎となり、そしてその時代では、何者が舵を取ろうとも、一丸となってヘリオスレッタの未来に向き合っていけるのだと、私は信じ、祈りを捧げます』


「……ラルエット。ベルナデット様は、あなたに手を差し伸べることを選んだ……これがその――」


 口の端から垂れる血を拭って、私は制服の内ポケットに忍ばせた書類を取り出そうした……が、ラルエットに胸倉を掴まれ、そのまま壁に押し付けられる。


「だからなに⁉ 気が変わったから助けてくれるって⁉ でももう遅い、遅いんだよ‼」


「……っ、そんなこと、ない……まだ、間に合う……!」


「知った風なこと言うなよ‼ ふざけんな! 心変わりするなら、なんで昨日じゃなかった⁉ なんでわざわざ今まで引き延ばした⁉ じゃなきゃお父さんは死ななかったかもしれないのに‼」


「――――え?」


 なんて場違いな、困惑の声。

 すべての音が遠くに消えて、うるさい耳鳴りだけが残るような一瞬の静寂に支配される。

 思考が勝手に走り出す。

 今、ラルエットはなんと言った。

 お父さんは死ななかったかもしれない――と、聞き違いじゃない。間違いなくそう言った。

 昨日なら間に合った、のならば、それはつまり。

 馬車の襲撃から現在に至るまでの間に、ベルナデット様の決断が間に合わなかったばかりに、ジャン・マルシャンは既に死んでいるのだと……そう言っているのか?


「あとちょっと……だった……のに……」


 激情に突き動かされて冷静さを失いながらも、それでも消沈し、項垂れるラルエットに。

 私はただ。


「そんな――あり得ない」


 そう言う他なかった。


「あり得ない⁉ 言うに事欠いてそんなこと! お父さんは昨日の夜に首を吊ったんだよ‼ 報せがあって、病院で遺体確認もした……‼ 私の現実を否定する根拠がどこにある⁉」


「違う! そうじゃない! そうじゃなくて――だって、ベルナデット様は今朝、あなたのお父さんと契約を結んだのよ……!」



「――――は?」



「ベルナデット様の意思とその事実を伝えるために、私はここに居るの……」


 私は懐から取り出した契約書の写しを、ラルエットに見せた。

 ラルエットは私から手を離して、強引にそれを奪い取る。


「な、にが……どうなって……――ッ、う――あ、たま――割れるッ」


 ラルエットは頭を押さえて膝を突いた。

 その様子は明らかに異常だ。

 自ら理性を放棄しているのとは何かが違う。

 一体何が起きているというのか、言いようのない悪寒が背筋を撫でる。


「ラルエット――」


「うるさい‼」


 言ってラルエットはナイフを取り出した。

 おそらくは魔導具(パルマティア)。彼女はそれを構えて、歯を食いしばり、瞳孔の開いた目で、通路の先を見据えていた。


「ベルナデットを……殺せば……! この、痛みは……‼」


 直感する。ラルエットのあの瞳がベルナデット様を捉えたそのとき、すべてが終わるのだと。

 飾り立てた祈りも、どうしようもない破滅の衝動も、虚無に飲み込まれてしまうと。

 私は壁を蹴り、その勢いでラルエットの前に立ちふさがった。


「ッ――、ああああああぁぁああ‼」


 その様を、彼女は心底憎らしそうに叫んで、駆け出す。


「どけよぉぉぉ‼」


 刹那――忘れられない、忘れてはならない光景が、フラッシュバックした。

 あの再誕の日々の裏側に隠された、祈りのような殺人の数々。

 止めることを選んだ彼女と、止められることを選んだあの男。

 浅く、苦しいだけの呼吸の音が、勝手に口からこぼれていて。



「――――――――――――――――――――――――――――――――――」



 目は、逸らさなかった。

 刃が肌を突き破る感触も、熱が流れ出ていく感覚も、吐き気を催す異物感も。

 彼女の怒りも、憎しみも、破滅への衝動も、その全部を。

 私は、この身体で受け止めた。


「――――ぁ」


 漏れ出た声は、刺された側ではなく刺した側のモノだった。


「ぁ、ぁああ……ああああぁぁぁぁぁ⁉」


 ラルエットの震える手が、ナイフから離れる。

 ……良かった。抜かれていたら、もっと酷いことになっていた。


「――――、――」


 立っていられず、できるかぎりゆっくりと、膝を突く。

 浅い息を繰り返す。視界がモノクロになっていく。

 激痛が意識を遠のかせ。激痛が意識を覚醒させる。

 どうしようもない苦しさが身体中を駆け巡り、こんな思いが続くくらいなら早く楽になりたいと、死の誘惑が押し寄せる。

 それに……それに、どうにか、どうにか抗いながら、ラルエットを見つめる。


「ば、バカじゃないの……バカじゃないの⁉ なんで、なんでなんでなんで、なんで避けないのよ‼」


 その表情に滲んでいたのは、先ほどのような怒りではなく、困惑。


「私はあなたに助けを求めてない! ルームメイトも嘘! 罠にも引っ掛けた! ベルナデットとだって所詮は他人でしょ⁉ そんな、命を懸けられるわけがない……」


「        」


 死ぬつもりはない。

 そう答えようとして、上手く声が出せなかった。

 ――ぱきり。

 どこからだろう。何か、ヒビの入った音がした。

 だけど、その微かな響きは、私以外の誰にも聞こえない。伝わらない。

 仕方ない。ならば、と私は地面に落ちた契約書の写しを指差す。


 またほんの少しだけ踏み止まった今のラルエットなら、判断できるはずだ。

 そう信じて――ベルナデット様と会い、父親の死の真相を確かめるようにと、伝えたつもりだった。


「――――」


 ラルエットは私の指が指し示した先を視線で追って。


「……くそ。くそっ、くそっ‼ どうすればいいのよ……私は……!」


 壁に拳を叩きつけるラルエット。

 あらゆる感情が渦巻いて、何をどうすればいいか見失ってしまったのだろう。

 身体の底から沸き立つ、自分を手離したい衝動に襲われているのだろう。


「わ、たし……はァ……‼ ――――――――ぁ」


 そして、苦しげに閉じられた瞳が再び開かれた、そのときだった。

 ゆらりと揺れる影。

 幽鬼めいた不自然な足取りで、再び私の前に立つラルエット。

 彼女はそっと、私に手を伸ばして。


「        」


 刺さっていたナイフを――抜いた。

 そのクロムオレンジの瞳は、意思のない人形マリオネットのように、虚ろだった。


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