第5話『宝石令嬢について』
☆
――鐘が鳴った。
授業の始終を区切る、報せの鐘だ。
それを契機として生徒は教材をしまい、去り行くレイヴン先生の背を横目にリラックス状態に入る。
……最後列、窓際の席の二人を、除いて。
私は未だ開いたままのノートにペンを走らせていたし。
そして隣人である彼は逆に、極度のリラックス状態からようやく脱した――つまりは鐘が鳴ってやっと、居眠りから目を覚ました。
「……ふぁ~、やっと終わりましたねマリモさん……俺、寝ちゃってましたよ」
「おはようクロヴィス。ちょっと、待ってね……」
敬語は抜けてないものの、意外とフランクに話し掛けてきたクロヴィス。
その声に一旦待ったをかけて、私は先ほどレイヴン先生が話したことをノートにまとめ切ってしまうことにする。
「マリモさん?」
板書の内容や口頭での説明を書き写すのは簡単だ。
しかし事実をそのまま書き並べたところで、それが本当に自分の知識に、知恵になっているとは言い切れない。
なので私は、魔導に対する自分なりの理解を、注釈として書き記していた。
「……よし、できた」
「おっ、もしかして例の魔法の論文ですか? まったくレイヴン先生も勝手に気ぃ使っちゃって、あんな初歩の初歩、わざわざ授業で確認するまでもないですよね」
「そんなことないわよ。クロヴィスやほかの生徒にとってはもう馴染みきった知識の復習だったでしょうけど、私はこういうの、初めてだから」
「は? 初めてって……じゃあそれは?」
私はペンを置いて、ノートを差し出す。
クロヴィスはそれを興味深そうに覗き込んだが、次第にその表情は困惑めいたものに変わっていった。
「『魔力で発動する魔法魔術などの現象=魔的法則』。
『魔力は外的なマナと内的なオドに分かれる』。
『オドは魂が発する生命エネルギー→生体電気のようなもの』。
『魔術はオドと魔術式を使って発動する』。
『魔術→組み立て済みの電化製品を使用するようなもの。冷蔵庫が冷却しかできないように役割の逸脱は不可』。
『魔法→マナを使いパーツから設計できるため――って、はっ……冗談ですよね、これ?」
途中まで読み上げたところで顔を上げるクロヴィス。
私を見つめるその目は疑問に揺れていて。事実を誤魔化すように半笑いで。
「だってマリモさん、魔法使えるんだから。今さらこんな……常識でしょ?」
「――――」
そこで、本当に、遅ればせながら理解した。
クロヴィスが私に対して丁寧な態度を崩さずにいるのは、単に私が一つ年上だからとか、異性に対する埋められない距離感などではなく。
単に、私が魔法を使えるというその事実に、尊敬のような感情を抱いていたからなのだと。
先入観。固定観念。何より私がきちんと伝えていなかったがゆえに。
彼は、私がずぶの素人であることに気付いていない――あるいは、可能性が浮かんでいるのにもかかわらず、信じられないと目を背けているのだ。
ならばここは、誤魔化さずにきちんと言っておかないと。
「クロヴィス。あれはね、全部が私の力とは言えないの。ズルみたいなものなのよ。魔的法則にきちんと触れるのは今日が初めてで……だからその、認めてくれていたのは嬉しいけれど、ごめんなさい。この通り私はまったくの素人なの」
「は、はぁ――⁉」
見開かれる目。波立つ驚愕の声。そして、がーん、と力なく落ちる肩。
「……マジかよ……、嘘だろ…………?」
明らかにがっかりした様子のクロヴィスは、そのままぐったりと背もたれに寄りかかり……しまいには一人にしてくれとでも言うように、腕を枕代わりにして机に突っ伏してしまった。
「…………」
何もそこまでショックを受けなくても……と、思わないこともない。
けれど、先ほどのレイヴン先生による、授業という名の初心者講座を思い出す。
曰く――魔術と魔法は似て非なるモノであり、そして魔法を使える者はかなり珍しいのだとか。
魔術が自然の中を生き抜くための人の叡智だとするなら、魔法は自然さえ操ってみせる文字通りの天然。
魔術学院という魔導の探究者が集うこの環境下でも、魔法を使える者は全生徒およそ二千人中の二十人弱ほど――つまり一パーセント未満の生徒にしか扱えない力ということになる。
正直言って、今まで私は、裏の森を桜に変えたという行動だけが、まるで面白おかしい怪奇現象のような感じで取り沙汰されていると思っていた。
しかし、クロヴィスがここまでの落胆ぶりを見せた以上、さすがに認識を改めるしかない。
魔法とは神秘の極地。魔術の一段上に存在する法則だ。
そしてそれを扱ったことのある人物が、魔導の魔の字も知らないなんて、普通ならあり得ないことなのだろう。
その道のプロでさえも凌駕する能力を持つ素人……なんて、結構憧れるシチュエーションに思えるかもしれないが、実際にそうなってみて痛感する。
これは、向けられる期待や視線に押し潰されないだけの、重い覚悟を求められる立場なのだと。
……だけど。
期待を裏切ってしまったのは申し訳ないけれど、これで改めて、私が追いかける側であることが再確認できた。
今後クロヴィスがどのような対応をするにしろ、クラスメイトとして、隣人として、早く同じ目線に立てるよう頑張らなければ。
そう決意を新たにした――次の瞬間だった。
「マリモさん!」
視界の端からひょいと、ピンク色が飛び込んできた。
挨拶と同時にその姿を見せたのは、先ほど教室を突っ切ったときにウィンクをくれた女の子。
人懐っこい笑顔を浮かべている彼女に、私も微笑んで応える。
「久しぶり――でもなかったわね。五日ぶり?」
「ですね! 改めまして、『みんな』の愛らしき副委員長こと――ルカ・フローレンスです! う~ん制服めっちゃ似合ってますね~、オーサム!」
「ありがとう。あなたと同じクラスになれて嬉しいわ」
「わたしもです! キリエ先輩から羨ましがられちゃいますかね~?」
「ふふ、ありそう。早く二年に上がって来てって急かされたら困っちゃうわ」
と、軽い冗談を口にして笑い合う。
ルカとは数日前にキリエ経由で知り合い、友人になった仲だ。
ほのかに漂う、瞳の色と同じストロベリーの甘い香り。
可愛らしいピンク色の髪は、ハーフツインでキメられていて。
長い睫毛。細い眉。小悪魔チックにほんのりと艶のある唇。
整えられた爪と、あどけなさを演出するぷっくらとした頬。
それらが放つ豊かな表情、時に控えめで、時に大胆な仕草の一つ一つが作り出す雰囲気から、『女の子らしい女の子』と評される子であり――そしてそれを、自身への最大の褒め言葉として抱き締めてくれる子だ。
以前目にした、ガーリー系の私服のイメージが強く残っているけれど。
学院のシンプルな制服を着ていても変わらず、幼い頃に抱いたお姫様への憧れを今でも大切にしていると分かる素敵さだ。
もう自分らしくないと見切りを付けてしまったことが惜しくて、羨ましくなる。
そんな眩しいあどけなさは、今日も花のように可憐に咲いていた。
の、だが。
「それで――あっちは…………」
そんなルカが珍しく眉根を寄せて、じろりと呆れたような眼差しを見せた。
視線の先は、机の端っこで突っ伏しているクロヴィス。
ああ……おそらく、だけど。
授業が終わって話し掛けるタイミングを窺っているうちに、さっきの私たちの会話を聞いてしまったのだろう。
よければ話し合いのきっかけを作りましょうか、とルカは心配そうに私を見る。
気持ちはありがたい。けれど私は小さく首を振った。
「大丈夫。……今のところは」
確かにルカは、持ち前の明るさで誰とでも打ち解けられる性格だし、それに青春履行委員会という会の副委員長をしている立場にある。
それゆえに、単純に仲間内から相談を受ける数が多く、委員会で行われる催し物の許諾取りや学外施設との会議などの経験から、交渉にも長けていると言える。
大小さまざまな諍いの仲裁に慣れている彼女に助けを求めれば、少なくとも状況が悪い方向に進むことはないだろう。
けれど、クロヴィスの態度がどうなるかはまだ分からないことだ。
今はあんな感じだけど、案外すぐ吹っ切れて、フレンドリーに話しかけてくれる可能性だって全然ある。
ので、ひとまずは静観してみようというのが、今の私の方針だった。
だけどそうね。それはそれとして別件――何の足掛かりもない例の件については、素直にルカの力を借りられたらと思う。
「ところでルカ、突然なんだけど、ちょっと訊きたいことがあるの。ベルナデットという生徒のことを知っているかしら」
彼女の交友関係の広さなら、学年の壁を超えて多くの生徒の情報が集まるはず。
そう思って名前を挙げてみると、ルカは不思議そうにしながらも頷いた。
「ベルナデット先輩ですか? はい、知ってますよ。高等部の三年生で、とても有名な方です」
「有名? もしかしてキリエと同じ、学院の特別生?」
「あ、いえ、『親愛なる光輝』ではないんですけど。でも同じぐらい広く知られていて人気も高い、素敵なお嬢様ですよ」
「お嬢様……資産家のご息女ということ? もう少し詳しく聞いても大丈夫?」
「……ええと……」
質問を重ねると、ルカは知ってこそいるが気軽に話していいものかと逡巡の様子を見せた。
が、すぐに当人の不利益にはならないと判断したようで、話を続けてくれる。
「おっしゃる通りです。先輩の生家であるロードナイト家はこの世界でいち早く宝石関係の事業に目を付け、鉱山の確保、原石の加工、宝石の販売などを行い莫大な財産を築きました。
他の追随を許さない美しい宝石。それを求める著名人とのパイプ。家格は自然とトップクラスの、まさしく上流階級の仲間入りを果たし、その栄華は今日まで続いているというわけです。
その証に、かのお家は貴族制度のないこの世界において『実質貴族』と呼ばれてもいます。羨み半分やっかみ半分でできた言葉なのでわたしは少し苦手ですが……。
でも、そんな言い方をされるほどすごいロードナイト家のご令嬢で、ご自身でも事業をお立ち上げになっている『宝石令嬢』――それがベルナデット先輩です」
「ご自身でも……? それはすごいわね」
「はい。何を隠そう、わたしたちが今着けてるループタイの宝石――同じ名を冠するこのロードナイトは、先輩が学院に提供している物なんですよ!」
どこか自慢げに、尊敬するような声で、手首に巻いたループタイを揺らすルカ。
「これが、ベルナデット先輩の?」
「すごいですよね~。これ、人工の魔石でもあって、どうやって作られたのかまったく分からないんですよ。……あれ、分からないのは元になったモノのほうだったっけ……?」
釣られて私も胸元のループタイを手に取る。
ロードナイト――鮮やかな赤色の宝石であり、上流階級の格を持つ家名、か。
確かにそれは、学外にも影響を及ぼす六人しかいない特別生と並ぶぐらい有名なわけだ。
この都市で暮らす人や学院の生徒からすれば、その家名は世界的に有名なブランドのように、聞けば分かるほどの記号なのかもしれない。
「あっ、けどけど、そういった社会的ステータスを抜きにしても先輩は素敵な方ですけどね! 容姿端麗で、成績優秀で、ノブレス・オブリージュを体現する気高さを持っていて……わたしも含めて、後輩はみんな憧れのお姉様って思ってます!」
「へえ、そこまで……」
ノブレス・オブリージュ――位高ければ徳高きを要する、だったか。
例えば、莫大な財産を有する者は積極的に慈善活動を行うべきというような、持つ者には相応の責任が生じるという考え方のことで。
いわゆる騎士道精神や、多少ニュアンスは違うが、武士道のようなモノと記憶している。
学生の枠には収まらない身分を持ちながら、無私の心を持つ人格者――。
少しずつ、ベルナデットという先輩の輪郭が浮き上がってきたわね。
「教えてくれてありがとう、ルカ。とても助かったわ」
「いえいえ。でも、どうして急に先輩のことを?」
一通り話し終えたルカが小さく首を傾げた。
私の口から意外な名前が出たこと、その人柄を詳しく知りたがったことが、ずっと気になっていたのだろう。
特に勿体付けていたわけではないが、今さらながらに私は、内ポケットに入れていた例の指令書をルカに見せた。
「今朝ちょっと寮に寄ってきたのよ。そうしたら机の上にこれが置いてあって」
「あ、もしかして入寮テストの、ですか」
「さすが寮生。話が早くて助かるわ。中にはベルナデット先輩を誘って昼のお茶会に参加しろと書いてあったの」
「ふぅん、なんだか珍しいテストですね」
「そうなの?」
新参者の私にしてみれば、中途の新寮生に課題を出す伝統自体がもう珍しく感じられるのだけど、その上でさらに不思議がるルカの反応はかなり意外だった。
私の怪訝な声を聴いて、すかさずルカはそう思った理由を話してくれる。
「まあ伝統って言っても非公式なモノですし、結局は身内ノリですから。だからベルナデット先輩みたいな寮生じゃない人を巻き込むことって、あんまりないんじゃないかなぁ?」
「そう――なのね」
「あ、でも! 先輩と寮長は仲がいいので、さすがに了承済みだと思いますよ! 確かにあの方をお茶会に誘うハードルの高さは、マリモさんみたいな大型新人向けじゃないですか?」
「……かもね。なんて」
要らぬ懸念を与えてしまったとばかりに言葉を付け加えたルカに、私は何とか笑みを作って返した。
しかし裏腹に、胸の内では警戒心が募っていく。
やはりこの指令には、何かがある。
頭の中に浮かぶいくつかの疑問点……今はまだ、その点は繋がりそうで繋がらないけれど……。
止まるべきか、止まらないべきか――私は。
机の下。スカートの上でぎゅっと拳を握ってから、再びルカと目を合わせた。
「ちなみにそのお茶会って、以前に紹介してくれたアレよね? 青春履行委員会の生徒が始めたっていう」
「はい、そうです。早速このあと飛び入り参加するんでしたら、わたしのほうから話を通しておきましょうか?」
「ううん、自分で頑張ってみるわ。でもフラれちゃったときは付き合ってくれる?」
「あはっ、りょーかいです! どっちに転んでも楽しみに待ってますね!」
そう言って自分の席へと戻るルカを見送る。
……そろそろ次の授業だ。まずはそっちに集中しないと。




