第58話『水面下に潜む、さらなる深淵』
♰
――『テアトルム』、地下水路。
ハイネ・ヨハネス・ヒルデブラントはそこで、アプステラ魔術学院の高等部三年生――フルエレという男子生徒と対峙していた。
およそ十五メートルの距離を空けて、浅く水の溜まった路の上、向かい合う二人。
先に口を開いたのはフルエレのほうだった。
「失せな、一年。ここで帰るなら痛い目みなくて済む」
「それはこちらの台詞だ」
「……は。伊達に剣を持ってきちゃいねえってか。いいぜ、この学院での二学年差がどれほどの実力差に繋がるか……教えてやるよ‼」
杖を抜いたフルエレ。
「『ᛚ』――!」
一言の詠唱と、式の構築――それはさながら、ガンマンによる早打ちだった。
流れるように杖の先端に魔術式が展開され、ハイネに向けて高水圧のビームが放たれる。
幸いその威力は水路を構成するレンガを切り裂くほどではない。
……が、しかし、その表面を抉ってみせる程度には強力だ。
人体で受ければ、一定の対魔性能を有しているアプステラの制服越しといえど、意識を刈り取るに事足りる。
よって、ハイネは弾けるように駆け出した。
逃走のためではない。それは反撃のための行動だった。
フルエレの視線からその軌道を完璧に読み切り、ハイネは三秒とかからずその懐に到達する。
「な、ッ――にィ⁉」
最速を破られたことに驚いている隙に、ハイネの腕が伸びる。
「――フ、ッ――」
フルエレの手首を掴み、捻り回すようにして杖を弾き飛ばしてから、腹部に膝蹴りを入れ、もう片方の腕を頭に回し――投げ飛ばす。
水の弾ける音と、石畳に叩きつけられたフルエレの短い呻き声。
「――ッ、ァ――んだよ、なんかの、格闘術、か……?」
ふらふらと、それでもすぐさま立ち上がろうとするフルエレ。
良い根性だ、と内心思いながらハイネは魔的法則を起動する。
それは先日見た、端的に言えばワイヤーを出現させる魔術だ。
ハイネはそれを利用して、先ほど弾いたフルエレの杖を手元に引き寄せた。
そして――。
「――――『ᛚ』」
「は――ぐおァ……⁉」
フルエレと全く同じ工程を踏み、全く同じ威力を宿す、全く同じ魔術を繰り出す。
それを腹部に食らい、カビの生えたレンガの壁まで吹き飛ばされるフルエレ。
「俺の、魔術を……? ……んで、だよっ……⁉」
「自分の力で死ぬやつは滅多にいない。相手を殺さない戦い方をしようとすれば、自然とこういった真似事が上手くなる。それだけだ。
演説が終わるまで気を失ってもらう。悪いがもう数発食らわせるぞ。……なに、金属バットで頭をフルスイングされるよりは、ずっとマシだ」
「…………っ」
気丈にハイネを睨みつけるフルエレだったが、しかし反撃の術も、声を張り上げる気力さえ、彼にはもう残されていなかった。
上から演説の声が響いてくる中、こうして二人の対決はあっけなく終わりを迎えた――、
「む」
はず、だったが。
気絶したフルエレを運び出すために近付こうとした、そのとき。
影が伸びる。ゆらりと、フルエレが立ち上がる。
「意識は確実に落とした。だとするならば、精神干渉系の魔術、か――? それも気絶した者を操れるとは」
それだけの強い暗示。
仮にコピーできたところで、それを解除できるとは思えなかった。
そもそも暗示において掛けるのと解くのでは、後者のほうが圧倒的に難度が高いと聞く。
「拘束するという手もあるが……その場合……」
フルエレの身が危ないかもしれない、とハイネは思考する。
舞台裏に潜む未知の四人目。精神に干渉する魔術の使い手。
そしてその操り人形は、自らの意識を必要としないときた。
……術者は明らかに、操り人形の安否を考慮に入れていない。
ハイネが思案する中、フルエレはラルエットの魔術式構築のために指先を噛み、流れた血を媒介に、水路の水に魔力を浸透させていた。
「……やられたな。とりあえずできることはやってみるが」
様々な対処法を模索しつつ、出たとこ勝負だ、とハイネは天井を見上げた。
この理不尽な法則をひっくり返せるのは、それを上回る規格外だけだ、と。
――白い魔法使いを仰ぐように。




