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ビニース・ザ・ウィール -反逆少女と宝石令嬢-  作者: 悠葵のんの
第二章《to dress, un-dress and, re-dress》
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第53話『破れた矜持、砕けた信仰、望んだ永遠』

     ★


 父への信頼。ロードナイトの誇り。それらが育んだノブレス・オブリージュ。

 そのすべてから色が消え、揺らぐ足場に耐え切れず、失意の底に落ちた私は。

 雨の夜――屋敷を出た。


 追いかけてくる者はいなかった。家族は来賓の相手。使用人は晩餐の後片付け。皆がそれぞれの役割を果たしていたからこそ、それを投げ捨てた私の居場所など、世界には存在しなかったのだろう。


 月は隠れ。人の気配はなく。街灯の明かりでさえ黒い雨に塗りつぶされる、濁った水槽の街。

 訳も分からず走り。転んで手足を擦り剥いて。

 疲れて徒歩で知らない路地を、這うように歩いていた。

 すると、声が聞こえた。


『――おいおい、これがあのロードナイトの一人娘ってマジぃ?』


『なんかウチらが来る前からボロボロなんですけど、ほかも動いてんの?』


 その身なりや言葉から、行きずりの少女ではなく私を――ロードナイトの名を持つ私を狙う者たちであると、すぐに理解した。

 私はすぐにその場から逃げようとしたが、弾けるような雨音が、背後から迫るもう一人の存在を隠していた。

 背中を思いきり蹴飛ばされ、正面で構えていた二人の間に、私は倒れた。


『知ったことかよ。いいから命令通りやるぞ。おら、さっさと足縛れ、足。金ぇ逃がすんじゃねえぞ』


 魔術での抵抗をする間もなく、追い打ちに腹部を蹴られ、その痛みに悶え何も考えられなくなっている間に、髪を掴んで頬を一発。

 それでもう、おしまいだ。全身の力が抜けて、意識は遠のいた。


 気が付くと私は、見知らぬ廃屋で鎖に繋がれていた。

 体中が傷だらけだったが、人質としての価値を保つため、不可逆な変質は何一つなかった。

 だからすぐに魔術で鎖を破壊し、私を攫った者たちを行動不能にして拘束し、脱出させてもらったよ。

 事があまりにも上手く運びすぎて油断していたのが功を奏した。

 あまりにもあっけない肩透かしな幕切れだろう――だが、真の困難はここからだった。

 ヤツらは魔術師としての私の力量を見誤っていたが、唯一、使い手が極端に少ない治癒の術式を私が修得しているはずがない、という予測だけは的中していた。

 私も大勢の魔術師たちと同じく、傷付かないことは可能だが、一度受けてしまった傷を自力で癒すことは不可能だった。

 それも、ヤツらが私の逃走を低く見積もっていた理由の一つだ。


 しかし失意にあった私は、傷だらけだった心を、同じく傷だらけの身体で抱いて、当てもなく歩き続けることを選んだ。

 あとから知ったことだが、私が監禁されていたのは東区の外れも外れだったそうだ。

 東区はほかの三区の喧騒から離れるような、簡単にいえば田舎。

 そしてそこは、災害があって人が離れたゴーストタウンのような場所でな。

 時折騎士団の巡回もあるそうだが、基本的に人が寄り付くようなところではなかた。

 廃屋の群れ。乾いた草原。街灯のない山道。

 それを身一つで歩む、箱入り娘の初めての一人旅。

 字面からは痛快な冒険活劇が思い浮かぶかもしれないが、あれは断じてそんなものではなかったよ。

 きっと自暴自棄になっていなければ、正気であったなら到底成し得なかった旅。

 それはまるで冥府へと続く道を、延々と歩かされているようなモノで。

 私の血の運命を暗喩する、無間地獄のようなものだった。

 どれだけ歩いただろうか。口の中は鉄の味がして、髪も肌も乾燥してボロボロ、服も身体も雨や汗、泥土に塗れてひどい臭いで、裸足同然の足は爪が割れて皮は擦り切れていた。


 もう――限界なのかもしれない。

 不思議と落ち着いた心持ちでそんなことを悟り、足を止めて、何か、最期に相応しい景色はないかと、折れそうな首で必死に支えて顔を上げた。


 すると視線の先には――孤児院があった。

 その名は、ミリエルホーム。そうだ。私はそこであの場所と巡り合った。

 明らかに普通ではない私の姿に、子供たちは怪訝な表情を浮かべていて。その中にはライナも居たな。

 しばらくするとシスターがでてきて、心配そうに駆け寄って来ては、何も聞かずこの手を優しく握ってくれた。

 そうしてまた、ゆっくりと、私の意識は遠のいていった。


 目覚めた私はベッドの上にいた。

 目覚めてからもしばらくは、ベッドの上にいた。

 どうも止んだはずの雨は暴風を引き連れ嵐と化したようで、騎士団の助力を得ようにも、ミリエル側も身動きが取れない状況だったらしい。

 天候面でも、体調面でも、最低限動けるようになるまでの三日間。

 私はミリエルの世話になった。

 あそこでの日々は、まあ美化はできないか。

 とてもではないが良い環境とは言えなかったし、そこから身動きの取れない自分を恥じ、ひどい居心地の悪さを覚えた記憶がある。


 衛生的ではない人数分すらもないベッド。

 それを占領して汚す私。

 満足とはいえない、味も不十分としかいえない食事。

 それを受け取ってしまう私。

 どこかお姫様でも眺めるように羨望を浮かべる子供たち。

 それを直視できない私。


 私を綺麗だと言ってくれた子がいた。

 それは私が望んで獲得したものではないのだ、と思った。

 私を不潔だと言ってくれた彼がいた。

 それでも当然のように見捨てないという、信念があった。


 ミリエルに居た日々の大半、私は恥辱に塗れるような気持ちを抱いていた。

 失意のままに役割から転がり落ちて、辿り着いた場所。

 そこでも私は、使用人に世話をされる令嬢そのもので。

 持たざる者からさらに奪い取ることしかできない恥晒しだった。


 シスターたちも大変だと思ったものだ。

 清貧な生活。門を叩いた者を受け入れなくてはならない役割。

 それをたった一人の大人と、複数の幼子たちで果たさなければならないとは。

 そうすることでしか、持たざる者は生きてはいけないのか。

 あるいは私の見返りを期待して、それを演じているのか。

 そのような嫌な思考が延々と空回りしていた。


 それでも、気が紛れる瞬間もあった。

 ――子供たちは皆、宝物を持っていた。

 ほかの何も手に入らなくても、それさえあればいいと思えるほどの宝物。

 手製のぬいぐるみ。花が咲くのを待っている植木。一冊の絵本。木を削ってできた剣。よく手入れされた櫛。

 それらを誇らしげに自慢するあの子たちの姿に、私はどこか安堵した。

 あげるばかりの、奪われるばかりの子供にも、きちんと守りたいと抱き締められるモノがあることが嬉しかった。


 そうして時は過ぎ、嵐が止んだ四日目の朝。

 ライナが騎士を呼びに外出した。どれだけ遅くとも昼頃には戻ってくると彼は言った。

 けれど次に孤児院の扉が開かれたのは、その一時間後だった。

 颯爽と現れたのは、招かれざる客だった。

 私を追ってある程度同じ道を辿りここに行き着いた、ヤツらだ。

 シスターたちは私を隠し、子供たちもそれに従った。

 それから彼女は単身、対話の姿勢を見せたが、ヤツらはミリエルに侵入し、部屋を荒らした。


 シスターは賢しくシラを切る。ならばまだ幼い子供ならどうか。

 ――子供たちは皆、宝物を持っていた。

 ほかの何も手に入らなくても、それさえあればいいと思えるほどの宝物。

 それが目の前でバラバラに砕け散る様を、これでもかと見せつけられた。

 それでも、子供たちは何も言わなかった。

 もうやめてくれと立ち上がろうとする私を必死に抱き締めて、守ってくれた。


 愚かだ。心の底からそう思った。

 私は愚かだ。そう認識を改めた。

 それは、役割や義務から生じたものではなかった。

 当然だ。車輪の一部であることを放棄した私が行き着いた場所なのだから、同じく車輪から弾き出されたモノ以外あるはずもなかった。


 だからそれは、見返りを求めない――紛れもない光だった。

 

 あまりにも悲しく美しい、見ているこちらの胸が押し潰されそうなほどの輝き。

 人の心が生み出す――温かいモノ。

 人を捨て、永遠に到達したあの輝きとは違う黄金色の光。

 泣いてしまいそうだった。

 これこそが、私にとっての本物だと思ったから。

 これが本物なら、私はどうあっても偽物にしかなれないのだと、悟ってしまったから。


 私は自ら姿を晒した。私のために賭された身命、宝物、善意――それらすべてを踏みにじる行為だったけれど、どうしても許せなかった。届かないと知ったからこそ、守りたいと思った。


 結果は、駆けつけた騎士が最初に拘束しようとしたのは私だった、とだけ。

 誘拐犯たちは逮捕されて、そして私は、逃げ出したロードナイトの屋敷へと帰ることになった。

 ロードナイトの家に縋らざるを得ない自分を不甲斐なく思いながら。

 ミリエルの何倍も優れた環境で休養し、頭の中では父との決別の方法を模索していた。


 数日後。私は再びミリエルを訪れ、それからひと月ほど交流を続けた。

 当時の私は個人の資産を持たず、またロードナイトが築いたモノを動かすのは罪だと考えたため、それは本当にただの交流だった。

 子供たちの話を聞いて。たまにボランティアに参加して。何もせず傍に居るだけの時間があって。

 そうしてさらに数日が経った頃――ある神父と出会った。

 君が知っている、例の男だよ。

 彼は食料や生活用品などを度々持ってきていたようだった。

 所属している教会から命じられたわけではなく、個人的な支援で。

 一度その理由を尋ねたことがあったが、彼は教義に基づいた隣人愛と言うだけだった。

 その裏に何か個人的な思いが隠れていることは明白だったが、言及はしなかった。

 むしろ反対に、彼の聞き手としての能力の高さから、つい懺悔でもするように私が自らの矜持を失ったことを話してしまった。

 彼はそんな私に、一つの道として、信仰を説いた。

 私はそれに、不確かだった足場が均されているような感覚を覚えた。

 父と決別した私は、きっと空白を埋める何かを求めていたのだろう。

 私はそれを、彼に求めた。

 信仰という新たな骨子を。年頃の少女らしい、父性への憧れを。


 それでも何も持っていなかった私は、できることから人助けを始めた。

 身分にはそぐわない、小さな、小さな行いを。

 だが、同時に私は、持たざる者の限界を見た。

 持たざる者が分け与える美しさの中に、理想では叶わない現実を見た。


 ミリエルが――廃院するという話を耳にした。


 話自体はずっと前から持ち上がっていたらしいが、ミリエルの置かれた状況を私が知ったのはそのときだ。

 ミリエルはいわば、見捨てられた場所だった。

 セーフティネットをすり抜けてしまったものとでもいうべきか。

 ヘリオスレッタの基盤は転生者によって作られため、転生者以外への支援措置は、最低限は整備されていたが充分とは言えないのが現状で。

 まあ何を優先すべきか、という話さ。

 転生者たちが以前生きていた世界にだって、どうしても取りこぼしてしまうモノがあったはず。

 あるかもしれない。でも実際に見たことがないから多分ないだろう、と何の根拠もなく思うモノ。だけど現実には確かに在ったモノ。

 ミリエルもそうだった。本当にそれだけで、仕方のないことだった。


 聞けば今いる子供たちは、シスターがどうにか他の孤児院に引き取るよう要請しながらも、そしてそれが少なからず受け入れられながらも、どうしてもあぶれてしまった――あるいは自らの意思で、最後のときまでミリエルに居ることを選んだのだという。

 その気持ちはよく理解できた。

 私もそうだった。終わってほしくなかったし、それが変えられない運命なら、せめて最後まで見届けたかった。

 だけど手段があった。終わらせない方法が。魔法が。

 私にはなかったけれど、ロードナイトの血にはあった。

 だから私は――そこで終わらせないことを、永遠を求めた。


 すると何か、頭の奥のほうで、途切れていた回路が繋がった感覚が駆け抜けて。

 自然、こう思っていた。

 ああ、かつてのロードナイトも、きっとこのようにして永遠に手を伸ばしたのだな、と。

 私もまた、罪深き一族の人間だったというわけだ。

 自らに流れる永遠の血を、それが生み出すモノを否定しながらも。

 あの日見た美しさに背を向けて。

 私は身体の一部を――この左目を、宝石に変化させた。


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