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ビニース・ザ・ウィール -反逆少女と宝石令嬢-  作者: 悠葵のんの
第二章《to dress, un-dress and, re-dress》
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第50話『誰かを裏切る者は、誰かに裏切られた者だ』

     ☆


 部屋の中に戻られたベルナデット様は、しかしどこにも身の置き場がないとでも言うように、青白い光のもとに立ち尽くしていた。


 普段の超然とした雰囲気はなく、今にも粉々に砕けてしまいそうなか細い姿。

 月明かりを跳ね返すミルキーブロンドの髪が、風に揺れている。


 対照的に、逆光で影に包まれているその表情は暗く、普段の部屋姿と違って金縁の丸眼鏡を通していないその左目は、心なしか、紅く染まっている気がした。


「ベルナデット様。本当にこれでよろしいのですか? ラルエットは――」


「……終わった話だ。もうよせ」


「まだ何も終わっていません。このままでは彼女は、多くの人を巻き込んで破滅の道を辿ることになります」


「前例を作ればまた同じことが起きる。今後ずっと、助けを乞い縋りついてくる者のために身を切り続けろと? それこそ地獄だ。しかし窮した者たちは暴力的に叫び、訴え、どうにか私の目に留まって救いを求めるだろう。そんなのはごめんだ」


 ベルナデット様は、力無く垂れる左腕に、そっと右手を添えた。不安の表れだ。


「……マリモ、この話はここまでにしよう。それがお互いのためだろう。他者に心を預けることも、土足で踏み入ることも、するべきではないよ」


「それでもあなたは私を助けてくださった。その高潔さは……気高きノブレス・オブリージュは――」


 本物だ。そう続くはずだった声を遮り、ベルナデット様は言う。


「偽物だ。ラルエットの言葉を否定するつもりはない。君を助けたのは君の友人であるキリスキリエに恩を売るためであり、投資のつもりだった」


「…………」


「魔法が使える君はいずれ大成するだろう。ゆえに今のうちに貸しを作っておけば、多くの見返りを望めると考えた。だから助けた。使用人として雇い、一肌脱いで見せ、私が上だと心に刷り込んだ。私は本当はとても利己的な人間なのだ。……存分に失望してくれ。私は君の、身勝手な信頼を裏切ったのだからね」


「裏切られたのはあなたのほうでしょう――ベルナデット様」


「――――――、」


 息を呑んで、主人は目を伏せた。

 それ以上の追求しないでくれと、私の視線から逃げてみせる。

 だけど私は言葉を組み立てることを止めない。


 ベルナデット様、今から私はあなたの心に土足で踏み込みます。


 これは私の選択。嫌なら聞かなくていいとか、間違っていたら否定していいとか、そんな自分を守る言葉は吐かない。

 もし突きつける言葉があるとするならそれは、止められるものなら止めてみろ――それだけだ。


「ラフィーネさんから聞きました。あなたはマルシャンから預かった資料を基に、計画をかなり細かな部分まで詰めていたそうですね。そして話を断ってからも、資料を保管し何度も確認していると。私も一度、その場面を目撃しています」


 ジュリエッタ先輩から預かった宝石の返却に訪れた際に見た、青いファイル。

 あれこそがそうなのだと、ラフィーネさんが教えてくれた。


「ベルナデット様はマルシャン一家のことを、本当は助けたいと思っているのではありませんか? なのにその気持ちを、裏切られた悲しみが、悲しみから己を守るために沸き立つ怒りが、覆い隠してしまっている。だからそれに触れるとき、あなたはいつも悲哀に満ちた表情を浮かべる」


「とんだ精神分析だ。よしてくれ。君は医師免許でも持っているのか? 素人の当てずっぽうの押し付けなど不愉快でしかない。的外れな推論を以て、私を自分の都合のいい方向に誘導している」


「あなたは、一体何に裏切られたというのです? あなたが反発心を持つ父親ですか? だから父の罪を赦すといったラルエットを、あのような顔で――」


 伏せた前髪の隙間。目玉だけが動いて、ぎろりと睨みつけられる。


「見損なったぞ、マリモ……! 君はラルエットを助けたい気持ちを盾にすれば、何を言ってもいいとでも思っているのか……⁉」


「――――」


 私は答えない。ベルナデット様の指摘は正しい。

 私は結局のところ、誰かのためにという最も利己的な行動をしているに過ぎない。

 それはきっと褒められることじゃない。むしろ責められてしかるべきことだ。


 ゆえに私はこの行動の一から十までを、自分のエゴにしなければならない。

 よって私は答えない。何も言い訳しない。

 その姿勢もまた、どうしようもなく卑怯なのだという、自覚と自戒を携えて。


「君はなぜ……そこまでラルエットに、私の意思に固執する……」


 揺らがない私に対して、ベルナデット様は狼狽するようにか細く、別の問いを口にする。

 理由。つまりは動機。ならばと私は、軽く息を吸った。


「ベルナデット様は私に、無理をするなと言ってくださいました。だから私も、ベルナデット様に無理をしてほしくない。自分に嘘を吐いて、辛く泣きそうなあなたを、これ以上見ていられない――それが、答えの、半分」


「は……それで、もう半分は?」


 興味なさげに、くだらない綺麗事が続くならこれ以上聞く価値もないが――と態度で示すベルナデット様に、私は告げた。

 与えられた愛を受け取ることをせず、無邪気に裏切り続けた己の、惨めな末路を。


「――墜落死。それが前世の私の死因です。学校の屋上から飛んで、空っぽの空に墜ちて、命を落としました」


「それは……自殺をした、ということか」


「はい」


 誤魔化すことなく答えた私の瞳を、合点がいったように覗き込むベルナデット様。

 ヘリオスレッタ的、なんて言い回しがあるように、きっと主人も私に何かしら転生者らしさを感じていたのだろう。


「……続きを」


「この世界で目覚めたあとも、私は生きることを投げ出そうとしました。かつて死なせてしまった大切な家族を差し置いて、二度目の生という奇跡を受け取ってしまった事実に、絶望して」


 七年前に亡くなった母。あれから言葉遣いや立ち居振る舞いを変えて、一人で三つ編みもできるようになった。

 でも、その絶望は今でもまだ、私を何よりも優しく抱擁することがある。


「――ですが自殺とは、ただ虚無に飲まれることでしかありません。何の救いも報いも受け取れない。何もかもが存在しない。孤独なのです。自分が孤独であることも理解できない孤独――なんて次元すらも生温い。理解や思考を行う自己をも剥奪される絶対的な断絶なのです。

 それを、私に気付かせてくれた人がいた。もしも贖いというものが存在するのなら、それはどんなに辛くても、苦しくても、ここで生きている自分を赦すことでしか成されない――と」


「……なるほど、そうか。それが理由のもう半分か。ラルエットの行いはまさしく――自殺行為、だものな」


「ええ。自ら死に向かう彼女は、昔の私と同じです。そして私の魂は記憶している。運命に押し流され、大いなる車輪に押し潰されようとしているラルエットの、行き着く先を。だから見捨てられるわけがない。だってラルエットにはもう――次はないんですから」


 本当は次なんて、最初から存在しないはずなのだ。してはいけないはずなのだ。


 だから生きとし生けるものは、一瞬の生に永遠の美を内包することができる。

 死の中でさえ輝く眩しさを追い求め、その道を駆け抜けることが、できるのだから。


 そんな当たり前のことに今さら気付く私は、真実、すべてが遅すぎたのだろう。


 だけど。

 このヘリオスレッタという小さな箱庭で。

 私も、彼女も……まだ確かに生きている。


 それが神様の悪戯だとしても、何かの間違いだったとしても、何も正しくなかったとしても、それでも生きてしまっている以上、まだ間に合うことができるのだから、私は諦めたくない――!


「……ただ彼女を止めるだけならば、大言壮語でなく、私ひとりでも可能でしょう。しかし本当の意味で彼女に道を示せるのは、ベルナデット様だけだと私は思います。どうか、どうか――お力をお貸しいただけませんか?」


「断ると言ったら、君も、私を脅して言うことを聞かせようとするのかな? それとも、この部屋にある宝石でも盗っていくか?」


「――いいえ」


 実のところ、私からラルエットにできる提案が、ひとつだけ存在する。

 それはベルナデット様の助力を得られた場合と比べたら、本当に微々たる時間稼ぎでしかないけれど……仕方がない。

 それをせめて渡せるモノとして、精一杯、彼女と向き合うしかないだろう。


「これ以上はもう、祈ることしかできません」


「どうだかな。私は……やると思っているよ。君を信じればいつか私を裏切ると、本気でそう思っている」


 嘲笑と共に、哀れなほどの猜疑の眼差しを浮かべて、ベルナデット様は語る。


「ジャン・マルシャンも、ラザリオ・ミラーだって。信じたところで傷付くだけだ。ミリエルホームがラルエットを受け入れたように、信仰を説いた神父が殺人者だったように、ロードナイトの栄光や父の示した矜持が――罪悪だったように」


 それは、初めて吐露された、本心の一端だった。

 私に心を許したというよりは、ひたすらに諦めから零れたものだろう。

 だけど言葉を、心を交わせるのならば構わないと、一歩を踏み出す。

 その心から溢れたものを、この胸で受け止められるように。


「ベルナデット様。あなたが抱えたその重荷を、私に預けてください。たとえ抱えきれなかったとしても、押し潰されるだけだとしても――あなたが話してくれるなら、せめてそれを知った上で、別の道を歩いていくことができます」


「……そうだな。すべて話してやろう、マリモ。裏切りと喪失。その傷と痛みを繰り返すのがこの血の宿命ならば、その定めを以て、私と君の縁を断ち切る……」


 ベルナデット様は自暴自棄になって、破滅願望のような衝動に身を任せて、ゆらりと――本棚のほうへ歩き出した。


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