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ビニース・ザ・ウィール -反逆少女と宝石令嬢-  作者: 悠葵のんの
第二章《to dress, un-dress and, re-dress》
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第48話『時計の針を、少しだけ戻して』

     ☆


「ラフィーネさんは――?」


「案ずるな。あの程度でどうにかなるほどラフィーはヤワではない。よって今は」


 己の足で地面を踏みしめて、主人はスカイブルーの双眸を彼女へと向けた。


「打って変わって、情熱的な行動だな――ラルエット・マルシャン」


 名を偽り、学年を偽り、そうまでして己の存在を隠匿していたというのに。

 なぜ式典の前日というこのタイミングで姿を晒したのか。

 毅然とした態度で、ベルナデット様はそう問いかける。


「そろそろ、その名が伝わった頃だと思いましてね。まあ、あのお茶会に手向けた『アネモネ』で検討ぐらいはつけてほしかったものですが――最後通告に来ました。ベルナデット、ロードナイト」


 燃えるような瞳で、存外、冷静な声色で答えるラルエット。

 だがそれでもやはり、あの日寮を案内してくれた彼女とは様子がかけ離れている。


 悪戯気な笑みも、はつらつとした声も、愛嬌のある仕草も、そこにはない。

 あるのは引き金に指が掛かった拳銃のような、いつ弾丸が放たれてもおかしくない、正気と狂気の境界線上に立つ限界の一歩手前の雰囲気。


 そしてその手には、大きな封筒が携えられている。


「最後通告だと?」


「この封筒には、以前父が貴女に提出した資料のコピーが入っています。今度こそこれを、ゴミ箱に捨てずにきちんと目を通し、その真価を見極めていただきたい。さもなくば貴女は、明日――ご自身のプライドで身を滅ぼすことになるでしょう」


 誘拐犯による身代金の要求のように、脅迫とも交渉とも取れる主張をしたラルエットは、封筒を地面に置いて滑らせる形でこちらに寄こす。


 魔術式を使った遠隔爆破を警戒してか、ベルナデット様はそれを拾わない。


 そして私も動かなかった。それは警戒心から――ではなく。

 何か、ラルエットの言葉に、引っかかるものがあったのだ。


「君の目的が私への復讐で、実行現場は明日の式典で、私がそれを知ってなお演説を辞退しないと考えているのなら、なるほどその通りだよ。しかし心外だな。私はその資料を君の父親の前でしかと読んだ。その上で話を断ったのだが?」


「それはどうでしょうか。利他の精神、無私の行い、ノブレス・オブリージュを体現するご令嬢――世間は貴女をそう評価していますが、本当の貴女はとても利己的な人だ。そこのお騒がせ者を助けたのも、廃院間近の孤児院に多額の寄付をしたのも、結局は自分のためでしかない。そんな貴女だからこそ、この資料を読めば、父の存在が計画の再始動にとても不可欠なピースであると分かるはず。しかし今そうなっていないということは、貴女は資料を読んでいないということです」


「とんだ暴論だ」


「暴論で結構。この会話はほんの少しの義理によって、時計の針を戻して行われているに過ぎませんので」


 独り言のように呟いて、ラルエットは再びベルナデット様を見つめた。


「私の要求は何も、価値のない石を金に思えと言っているのではありません。ただ、公平なチャンスを。どうか貴女自身の信念に基づいた決断を下すようにとお願いしているのです。それさえ叶うのでしたら、私の処分は好きにしてくれて構いません」


「……一つ、訂正してもよろしいかな」


「なんでしょう」


「君はどうも私のことを、ジャン・マルシャンの信頼を裏切り、不当にチャンスを与えない悪者のように考えているようだが――先に信頼を裏切ったのは彼のほうだ。彼の過ちの影響は私も少なからず被っている。なのに借金で苦しんでいるから、家族を助けたいから、大事な仕事を預けて金を稼がせてくれというのは、些か虫がよすぎるとは思わないか?」


 言ってベルナデット様は、ご自身の少し後方にあった、脱輪し横倒しになった車輪に座り、足を組んだ。


「そもそもなぜ君が私に復讐をする? 仮に私を殺したところで状況が好転することは断じてないと言える。もしも切り捨てるべきものがいるとするなら、それは裏切り者である君の父親ではないかな。恨むなら私ではなく彼。世相に迎合すれば、多少は君と母親の味方も増えよう」


「まさか。父を切り捨てたところで、世間様は何も救ってくれませんよ。ですが、ええ。まさしく父は家族を、生活を、私と母の人生をめちゃくちゃにした。それはもう、憎んで、憎んで、憎みつくしましたとも。そして、その果てに――」


 一拍置いてから、ラルエットは答えた。


「それでは何も始まらないことに気付いた。だから私は、赦すことにしたのです。父の罪を。この腕で抱き締めることにしたのです」


 ――私は、その目を知っていた。

 彼女の目に何が映っているのかを、知っていた。


「……そうか。君もそちら側なのか」


 それは私だけが微かに聞こえる、ベルナデット様の囁き。

 何かに置いていかれたような寂しさを感じさせる、嘆き。


「ラルエット。私は神ではない。医者がより助かる見込みのあるものを優先するように……私もそうするつもりだ」


「つまり、どういうことでしょうか」


「君の話はお断りする。だが約束しよう。ジャン・マルシャンに手を差し伸べない代わりに、より誠実で、より努力し、より多くの人の助けになるような人間に手を差し伸べると。君と君の父親には、それで納得していただきたい。なに、子の赦しを得た時点で、親はきっと充分に救われているはずだ」


「…………」


 絶句する。言葉を、失う。ラルエットが。そして――私も。

 信じられなかった。何かを、言い間違えたのかと、思った。


 まさかベルナデット様は、最低限の金銭的援助も弁護士の紹介も、忘れてしまったというのか――いや、そもそもそれは私の提案で、主人は別に賛同を示したわけではなかった、が……それでも正直、心のどこかで思っていたのだ。


 ベルナデット様だったら、最終的には何かしら、マルシャン一家に手を貸す選択をなさるはずだ、と。


 しかし今の主人に、そんな素振りは一切ない。

 先の言葉だって、きっと主人なりの誠実さが籠められていたはずだ。

 けれどマルシャンを、その受け取り相手に含めないことを徹底するあたりが、冷遇どころか挑発しているようにさえ感じられた。


 ラザリオのときより、もっとずっと、明確に。

 この人はラルエットに、ジャン・マルシャンに対して――怒りを、憎しみを抱いている。赦せないモノを抱えている。


 それを感じ取ったのは、私だけではなかった。


「は――――あ」


 天を仰ぐようにして、長く、ため息を吐くラルエット

 それは怒りを堪えるような、何かを諦め手放すような、震えた息遣いだった。

 そうして彼女は、ベルナデット様を見返した。


「やはり私は、貴女に復讐するしかないようです」


 凍り付いた眼光。光を失くした表情。あまりにも強固な意思が滲む声。

 普通に生きていれば他者に直接ぶつける機会などないだろう情動を、ラルエットは纏っている。

 けれど、それでもなお、私の背後から響いたのは。


「憎むだけでは、何も始まらないのではなかったか?」


 あまりにも皮肉げな、他者の覚悟を軽んじて一笑に付す、業腹な声だった。


「ええ。ですからこれは終わりです。

 転生者は――転生者たちは、誰もが後悔を抱えている。ゆえに過ちを犯した者に極端に優しい場合もあれば、その反対もある。どちらに転ぶかは運次第。

 そして後者に振り分けられてしまった私の父は、偽りの清廉潔白を保つために石を投げられ、やり直しの機会を奪われ、正しい道に戻ろうとする意思すらも黙殺された。どれだけ必死に足掻いても、眼中にも入れてくれない。

 果たしてそんなものが本当の……本当の罪の清算と言えるのでしょうか? 転生者が形作ったこの世界は、報いを与えられなかったものに、報いを与えるための世界。

 ならば教えて差し上げましょう。奪われる側も奪う側であると。追い詰められた者は、追い詰められた先で取れる手段しか選択肢を持たないのだと。

 そうして復讐という報いの果てに、悔いなく穏やかに、終わりを迎えてみせます」


 ああ――と、気付いた。

 父を赦す。父の罪をこの腕に抱き締める。

 その言葉の意味するところは、共に罪を背負って生きていくのではなく、罪を抱き締めて共に沈む――つまり心中することなのだと。


「――名演説を、どうもありがとう」


 感心したような声。平淡で軽い拍手。

 私は思わずベルナデット様を振り返る。


 覗き込んだその顔は、態度に反して悲痛に満ちていて。

 嗤いながら泣き叫んでいるような、憎悪しながら愛を抱いているような――なんて、チグハグな表情。見ているこちらが不安を覚える。


 ざっ、と踵を擦る音がして、私は視線をラルエットへと戻した。


「最後に一つ。私は今、ある場所にお世話になっています。親元に居ては身を隠せませんからね。行き場を探していた私を受け入れてくれた温かい場所に、私は居ます」


 そうしてラルエットは告げる。

 自分を見下すベルナデット様を、見下し返すような、一瞬で精神的優位を逆転させる一言を。


「ミリエルホーム――貴女が援助することで廃院を免れた、孤児院です」


 主人の声なき声が、かろうじて保たれていた何かが砕かれる音が、聞こえた気がした。


「私の事情も、復讐のことも、シスターたちは知りません。でもきっと、事情を知ってもあそこは私を受け入れてくれた。貴女もそう、思いませんか?」


 ひどく不敵な笑みを浮かべながら紡がれた、去り際の言葉。

 それは私をすり抜けて、ベルナデット様に深く突き刺さったのだろう。

 

「そう、か……ミリエルは、そうか……受け入れるか、ラルエット・マルシャンを……は、はは……はっ……」


 薄弱とした自我から垂れ流されるようなその声は、ラルエットの姿が完全に消えてから、夕闇の中に落ちて、沈んでいった。


 長い髪が地面に触れることすら厭わず、両手で覆った顔を伏せるベルナデット様。


 気丈に、嘲るように、言葉を交わした主人は。

 だけどその姿は、完膚なきまでに打ちのめされたとでも言わんばかりに、満身創痍だった。


「お嬢様――」


 新たな影、新たな足音。現れたのはラフィーネさんだった。

 きちんとこちらを見据え、歩いてくる姿は普段と変わらない。

 どうやら大きな怪我はなさそうだった。


 しかしそれは決して、無傷だったことを意味しない。


 ボロボロになった燕尾服と無数の切り傷を見て、今さらながら合点がいった。

 ライナさんが言っていたあと一度の意味。

 今回の馬車襲撃。その狙いはここにあったのか――。


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