第43話『主人の胸中、沈むイカリ』
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世間話もほどほどにして切り上げ、ラザリオのお見送りをした私は、ティーセットの片づけをするべく応接間に舞い戻った。
するとソファーにはまだ、ベルナデット様が座っていた。
隣にいたラフィーネさんの姿はなく、目的のティーセットも見当たらない。
既に片付けられているようだ。
ならば邪魔しないうちに退散しよう。と思ったのだけれど、私の足音に気付いて、ベルナデット様がこちらを振り向いた。
「ああ、マリモか。ラザリオは帰り際、私に対して何か言っていたかな?」
「いえ、特には。ただ信頼を取り戻すのは骨が折れると」
「ふん……そんなもの、少し考えれば分かったことだろうに」
棘のある言い方だ。ぱたんと資料を机に置く音が、いやに響く。
それが妙に心に引っかかって、階下に戻ろうとした足が止まる。
「ベルナデット様は、彼の提案をお断りになるおつもりなのですか?」
「ん? いや、話を受けないとまでは言わないがな。あの計画は私にとっても重要な意味を持つ。素直にありがたい話だ……が、しかしタイミングが好ましくない。君との一件が効いたのか心を入れ替えたらしいが、積み上げた悪評が彼の再起の邪魔をしている」
「…………」
「まずは汚名返上からだな。ジュリエッタからいくつか寄付金を募っている施設や企業の話を聞いた。そこを紹介し、寄付やボランティアなどの形で貢献してもらう。そうしてイメージの回復を図り……あとは地盤固めもか。商会も一枚岩ではない。信頼できる部下を揃えてもらわなければ。その点はこちらで調査をしてやってもいいだろう」
思考を整理するためか、今後の算段をぽつぽつと語るベルナデット様。
その口調に先ほどまでの刺々しさはないものの、しかしその思考は冷淡――否、あまりにも冷酷だ。
まるでチェスの盤面を俯瞰しているように合理性を重視しており、大切なモノを視界から外していると感じる。
余計なことと分かっていながらも、私は黙っていられなかった。
「それは……彼のためになるのでしょうか?」
「というと?」
「彼は亡くなった父親からの自立を指針としています。そのために彼は父親の部下だった人たちを、自身の部下とするべく、身を粉にしている。ですので、ベルナデット様のご厚意はしかし、彼が自ら成長する機会を奪ってしまうのではないかと」
「言いたいことは理解するがな。これはビジネスだ。何事にも時流というものがある。彼に不用意に手を貸し、結果共倒れになるなど以ての外だ」
「それは、もちろんそうでしょうけれど……」
「なんだ。やけにヤツの肩を持つのだな? 彼から頼まれたか? いや、彼は君がそうすることを望んでいるのか?」
「…………」
返す言葉がなかった。
ラザリオの悪評。それは厳格な父親によって敷かれた『一度の失敗すらも絶対に許されないレール』から、どうにか外れようともがき苦しんだ、過ちの歴史。
だけどそれは同時に、彼が迷いながらも必死に上げた、産声でもあるのだ。
転生者である父の後悔を投影されて、再生を背負わされて、だからこそ自分の足でここに立っていると、ラザリオはラザリオとしてここで生きたいのだと、そう叫び続けた。
それを知っている立場として、せめてその想いを否定したくないと思った。
思って――そして、気持ちが逸りすぎてしまったようだ。
何だかんだと言ったところで、私が受けた被害はその極々一部にすぎない。
あくまで被害者の中の一人でしかない私が、ほかの被害者の痛みの分まで受け入れ、赦し、さらに受容を強要するなんてのは、傲慢どころの話ではない。
……手放しそうになった理性をどうにか取り戻し、私は頭を低くした。
「出過ぎた言葉を口にいたしました。申し訳ございません……ベルナデット様」
「……顔を上げてくれ。私のほうこそすまない。少し焦りが出てしまった」
「焦り、ですか……?」
「私は今の環境をこの手で築いたが、しかし人生はそれで終わりではない。生活を維持するために金はかかるし、財産は増えた分だけ減っていく。ゆえに慎重に、けれど迅速に、時に冷酷に駒を進めることを迫られるのだ。分かってくれるな?」
どう返したらいいか分からず、私は沈黙するしかなかった。
ベルナデット様の言葉は至極真っ当で、一分の隙もない完璧な正論だ。
文句はない。反論はない。そうするつもりもない。
けれど……何なのだろう、この違和感は。
いつものベルナデット様にあって。
今のベルナデット様には欠如しているモノは。
「……だが」
ソファーから立ち上がり、窓際へと歩いて行くベルナデット様。
その足音はいつもより乱雑で、怒りを覚えていることが分かる。
そしてそれは個人への憤りというより、もっと大きなところに向いていて。
「そもそもヤツは、変われる人間なのだろうか」
何かを堪えるように、抑えつけるように。
低く、小さく、ベルナデット様は呟いた。
「私が信頼と機会を与えたところで、待っているのは――」
最後の声は、紡がれなかった。




