第37話『ディナー後、ハイネの助言』
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明日の朝食はビュッフェ形式です――と最後の業務連絡を済ませ、セレナ先輩を客室まで送り届けた私は、引き返して階段を下りていた。
そして大広間まで戻ってくると。
「……ハイネ?」
応接間の扉のほうに、視線が吸い寄せられた。
なんだろう、ハイネがいる。
先輩に続いて客室に戻るところだろうか……と思ったが、動く気配がない。
じっと付近の壁の装飾や絵画、家具などを観察しているようだ。
ふと、ベルナデット様がパーティーで挨拶をしたというエピソードを思い出す。
もしヒルデブラント家も、ロードナイト家と同じく貴族に等しい地位を築いているのであれば、その一員である彼は、骨董品などに目利きがあってもおかしくない。
少なくとも、毎朝慎重に慎重を重ねて掃除している私よりは、ずっとね。
だから美術館を巡るような感じで、お屋敷の中を見て回っている、とかかな。
それか単純に、誰かを待っている間の暇つぶしか。
何となく予測を立てながら、控えめに足音を響かせて応接間に向かう。
すると、ちょうど声を張らずとも会話できる距離になった辺りで、ハイネがすっと私を振り向いた。
「マリモ、今少し話せるか?」
……なるほど。理由は後者。相手は私のようだ。
どうも部屋の場所が分からないといった感じではなさそうだが。
私で役に立てることなら、使用人として全力を尽くそう。
「はい。どのようなご用でしょうか。ヒルデブラント様」
「……できれば、教室で話すときと同じようにしてくれないか」
「え。ええと……それじゃあ、うん」
なんだかさっきと同じ流れね……と思いつつ、口調を崩す。
ハイネは首元に指を添えて、タイを緩めながら短く息を吐いた。
「助かる。やっと少し、肩が軽くなった」
「そうなの? てっきり、ああいった場には慣れているものかと」
「そうでもない。本当はあのような華美な世界よりも、友人となけなしの小銭を持ち寄って、ファストフード店の一番安いハンバーガーにかぶりつくようなのが性に合っているんだ。中々叶わない願いだがな」
困ったように笑うハイネ。
その表情は年相応の少年のモノ、というには些か、くたびれすぎているように感じられる。
ずっと年上の自分が心の中に居て、それが幼い日の自分を優しく見下ろしていて、そして今の自分はどこにもいないような……そんなアンバランスさだ。
それは、先ほどまで話していたセレナ先輩にもどこか通ずるところがあって――転生者が纏う、独特の雰囲気なのだろうと思う。
「馴染んでいるという点では、マリモのほうが上のように思えたが?」
「本職の方々に倣って必死に取り繕っているだけよ。……いえ、失態を演じた以上、そんなことも言えないわね」
「気に病むことはない。責任と責任感は違う。行き過ぎれば、それは傲慢になる」
「…………」
ぽかんと、してしまう。
ハイネの言うことはまさしく正鵠を得ていた。
……声が出ない。言葉が浮かばない。
原因は見事に見透かされたことへの驚きでもあるし、その至極真っ当なアドバイスによって、自分の視野が狭まっていたことを痛感からでもあった。
だが、この場に満ちた静寂をハイネはどう受け取ったのか。
彼は自嘲するように言った。
「……いや、この過ぎた言葉こそ傲慢だったな。聞き流してくれ」
「ううん。なんて言えばいいか……的確な助言だったわ。ありがとう」
「だとしてもだ。……ただ、あれは何も悪いことばかりではなかった。彼女の魔術を見れたことは、少なくともオレにとっては、予想外の収穫だったと言える」
「…………」
――私は再び言葉を失った。
彼女の魔術。さらりと、ハイネがそう言ったから。
そうか、彼は……彼も気付いていたのか。
「さて、そろそろ本題に入ろう。オレが今日この屋敷に来たのは、晩餐会に中立の存在を加えたいというルキア先輩の依頼があったからだが、実は個人的な用事もあってな」
「個人的な用事?」
「以前渡しそびれた物を渡せる、いい機会だと思った。正確に言えば今回は物ではないがな。マリモは図書室に行ったことは?」
「一度だけ、ざっと見て回った程度だけど」
「貸し出し禁止の棚の存在は?」
「ええ。知っているわ」
「なら話は早い。その棚の上から七段目の列に『天使のラッパ』という本がある。そこに手紙やカードを挟み、本を上下逆さにして戻せば、それがオレへのメッセージになる。大抵のことなら力になれるだろう」
「ああ――」
図書館。貸し出し禁止。
そして、力になってほしくて、メッセージを出す。
それは言い換えれば……助けを求めるということ。
線と線が繋がり、私はいつかの疑問に、一つの解を手に入れた。
「私の机にあったカード……そういうことだったのね」
「ああ。事があった翌日だ。あの渡し方が最善だと判断した――のだが」
「……どうしてクロヴィスは、カードを突き返したのかしらね。私への助け舟だと、分かってなかったわけではないでしょう?」
「さあな。あいつは勇敢――いや、意地っ張りで、オレに対抗心を抱いていて、ケジメとやらのためにマリモの味方をすると決めていた。……オレに分かるのはそれぐらいだ」
言い終えて、微かな笑みを浮かべるハイネ。
その微笑は先ほどよりも少しだけ、クラスメイトの男子たちが何でもない話をするときに浮かべる、それに近くて。
ハイネとクロヴィスの奇妙な、ある意味で『らしい』友情が伺えた気がした。
「ともあれ、『依頼方法』はきちんと覚えたわ」
「来た甲斐があって何よりだ。与えられた役割はきちんと果たそう」
「……なんだか、もう依頼することが決まっているみたいに言うのね?」
「取り越し苦労でなければ、近いうちにそうなるだろう」
ハイネは冗談でも言うように比較的軽い口調で言う。
しかしそのコバルトグリーンの瞳の奥では、冷徹な思索が構築されているように、私には思えた。
例のお茶会での一件。
あれはマリモジュナではなくベルナデット・M・ロードナイトを狙ったモノではないか。
あれはただの魔術理論の実証実験ではないか。
ならば次に本番があるとすれば、それは式典演説という大舞台ではないか。
そしてあの手間のかかる魔術が複数の術者を要求するのであれば――対抗するには頭数が必要になるはずだ、と。
すべては私の妄想に過ぎない。
けれどハイネ・ヨハネス・ヒルデブラントは少なくとも、見えている側か見えていない側かで言うなら間違いなく前者であると、私はその眼差しに感じた。




