第35話『晩餐会に張り巡らされた糸』
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スープの配膳を終えて話が一区切りしたところで、次は魚料理だ。
キッチンで料理を受け取り、それを持って再び晩餐の場へと舞い戻る。
そして先ほどと同じように、片手に持った大皿を差し出して、ベルナデット様から順番にお取り分けをしていただいていたところ――。
「それじゃあ次は学院での様子を尋ねてみようかしら」
お待ちかねだったと言わんばかりに、寮長が雑談の口火を切った。
さらにその矛先が向いたのは私ではなく、寮長の斜向かいに座る、これまで沈黙を保っていた五人目の客人だ。
「その辺り、きっと私たちより詳しいでしょう――ハイネくん? マリモちゃんのクラスメイトである、貴方なら」
名前を呼ばれ、顔を上げる彼。
食堂を照らす暖色の明かりの下でも、なお涼やかな淡さを纏うホワイトブロンドの髪が僅かに揺れて、いつも突っかかる私の隣人を静かに見返す色鮮やかなコバルトブルーの瞳が、優美な眼差しでルキア寮長とベルナデット様を捉えた。
「騒動の直後は、彼女を嘲笑する声が多数でしたが、今はみな静観しています」
普段の印象と違う、煌びやかな正装を見事に着こなした彼――ハイネ・ヨハネス・ヒルデブラントは、しかしいつも通りの落ち着いた態度で、上級生たちとの会話に加わる。
「ロードナイト先輩の食堂でのお言葉や、彼女の授業への勤勉な姿勢のおかげでしょう。このままいけば、仮に真相が明かされずとも、状況は好転していくかと」
「ほう、それは良いことを聞けた」
「今の時代、他者に過剰な清廉潔白を求める声が大きい一方で、完璧な人物像のほうこそが信じられないという価値観も存在しますから。
犯した過ちの経歴が露わになっており、かつそれが許容できる出来事であり、そして更生の道を歩んでいる場合こそが最も信頼を預けられる状態、だとか」
「誰もが過ちを犯すことから逃れられない以上、罪に自覚的であり、その程度が既に露呈していたほうが、損得勘定しやすく付き合いやすい、といった考え方か」
「そう聞くと……あまり健全な肯定には感じられないわね? 許容や寛容とは少し違う、まるで鎖に繋いで管理するみたいな……」
「正しく罪人の扱いをしているわけだからな。それも人が人に」
「……そのような価値観を持ち込んだ転生者の側としては、耳が痛いです」
転生者の側。その括りに冗談の含みを持たせつつも、飲みかけたグラスを置いて、セレナ先輩は少し遠い眼差しを浮かべながら心境を吐露した。
「けれど同時に、頭ごなしには否定できない部分もあります。
他者に過剰なまでの社会的倫理や清廉潔白を求めるのも、損得勘定を持ち込んでまで人間関係を管理しようとするのも、その根源にあるのは自分を守りたい、守らなければならないという防衛機制でしょうから。
そして、そうまでしてでも人を信じて繋がろうとする愚直さは、それはそれで尊重されるべきものではないか……なんて」
もちろん、それは誰かを傷つけていい理由にはなりませんが――。
セレナ先輩はやや慌ててそう付け加え、それから自嘲するように、ほんの少しだけ口角を上げた。
「……申し訳ありません。一人で盛り上がってしまいました」
「いえ、ホーソン先輩のお考えは理解できます。
牙を立てることでしか自分を守れない。誰にでもそのようなときがあるからこそ、そのすべてを否定することは、まるで過去の自分を殺してしまうような、かつて抱いた後悔や失望を踏みにじる、何も未来に繋げられない行為なのではないか――とても思慮深い着眼点だと、自分は思います」
「ええ、私も素敵だと思うわ」
「……ありがとうございます」
ハイネの言葉と寮長の優しい理解。
それにほっとした表情を見せるセレナ先輩。
その光景を横目で見ていたところ。
「……三人とも、起源がかなり被ってるのかな。すっかり意気投合って感じだね」
これまで会話に参加せずにいたジュリエッタ先輩の、囁くような言葉を聞いた。
「起源論分析か。熱心になれない身としては、あまり持ち出してほしくないのだが」
「ベルナもそろそろちゃんと知っておかないと、時代に置いていかれちゃうんじゃない?」
起源論――初めて聞く単語だ。
ニュアンスから推察するに、パーソナリティに関する話だろうか。
魔術に基づいた性格診断、みたいな。
「ご高説が続くなら結構。しかし、そうも退屈するなら、無理に予定を合わせなくても良かったのではないか?」
「それは……どうだろうね。ん、このお魚、美味しい」
ディナーを再開するジュリエッタ先輩を訝しげに一瞥しつつ、一区切りついたベルナデット様は、セレナ先輩とハイネのほうへと向き直った。
「二人とも貴重な話をどうもありがとう。先ほどの言葉は、現代のヘリオスレッタを生きる若者への正確な評論と受け取るよ。お茶会という中立の場を創設したセレナさんもそうだが、ハイネくんもまた一目置くべき後輩のようだ。
いやはや、ルキアが秘密の客人を連れてくると言ったときは、一体誰が来るのかと身構えたものだが――かの夫妻の立派なご子息とディナーを共にできるとはな」
「恐縮です」
「確か五年ほど前のパーティーでご両親と挨拶をさせてもらったが、そのときは君の話が出ることはなかったな。秘蔵っ子、というわけかな」
「いえ、その頃はまだこの世界にはいませんでした。自分は養子です。もし自分がこのような場に慣れていると感じていただけているなら、それは自分を温かく迎え入れてくれた、ヒルデブラント家から賜った物です」
「……なるほど。いや、その言葉を聞いてより一層強く感じたよ。君はご両親にとって自慢の後継者なのだとね――」
その後も話題を変えながら、会話は途切れることなく続いた。
ジュリエッタ先輩が、魚料理はこれまでのスタイルと違う新鮮な味付けが良かったと感想を呟いて。
ラフィーネさんがさりげなく魚料理を手掛けたのはプランであると告げて。
するとベルナデット様がプランの本名を挙げ、実は彼女がセレナ先輩のクラスメイトであると言及、普段の多忙を強いてしまっている使用人の様子を気に掛ける一幕がありつつ……。
しばらくして全員のお皿を下げ終えたタイミングで、ラフィーネさんに目配せをされた私は、ボトルの置かれた棚のそばに寄ると。
「メインディッシュの用意を」
そう指示を出され、再び階下のキッチンへと舞い戻った。
「――おう、嬢ちゃん。準備、できてるぜ」
キッチン前のテーブルには既にトレーが敷かれており、人数分のお皿が準備されていた。
本来であれば、メインディッシュもこれまでと同じようにお客様にお取り分けをしてもらうのだが、このようにシェフが特別丹精を込めた一品は、既に完成された状態でお出しすることになっているのだ。
そしてこれが本日のメイン料理――鴨肉のグリルとコンフィした物を組み合わせた一皿だ。
何でも元々、式典で演説をすることになったベルナデット様を祝うためにコンフィを仕込んでいたらしく、それを今回の来訪に合わせ、人数分に切り分けサブメインとし、新たにグリルした物を用意。それをメインに据えることで、この一品は生み出されたらしい。
ある種、即席ではあるが、創意工夫が見られる素晴らしい一皿――。
「……綺麗」
思わずそう呟いてしまうほど、お皿の上は芸術的な仕上がりを見せている。
メインの鴨肉はミディアムレアで仕上げられた鮮やかなピンク色の断面と、こんがり焼き目の付いた皮とのコントラストが見事で。
ソースは更なる輝きをもたらすのと同時に、シンプルな陶器を飾る美しい模様を描いており。
そしてメインの隣に添えられた、まるで薔薇か折り鶴かといった精緻な形をしたパートフィロ。
コンフィされた鴨肉はその中に仕込まれていて、同じ鴨肉でも多角的な味と食感を楽しめるようになっているわけだ。
付け合わせにはライナさんがお屋敷の敷地内で育てた自慢の野菜を使用し、色合いと味わいの両方の観点から、この一皿に調和をもたらしている。
「――――」
何度目かも分からない敬意を、二人の料理人に抱いて、トレーを手に取る。
二人が心血を注いだモノを、きちんと最高の状態を維持したまま、上の方々にお届けしなければ――その使命が、責任が、私の手足を突き動かした。
階段を上がり、手前の配膳室にトレーを置いて、左右の手にお皿を持つ。
手元と足元の神経を尖らせ、今まで以上に慎重に、晩餐の場へと帰還する。
「……クーペさんの仕事ぶりは、今日も最高だな」
目の前に現れた一皿に、ベルナデット様は控えめな声で、けれども最大の賛辞を感じさせる声でそう呟いた。
続いて配膳された寮長も、それに深く頷く。
……よし、次だ。
グラスにノンアルコールワインを注いで回るラフィーネさんとすれ違いながら、次のお皿をトレーから持ち上げ、ジュリエッタ先輩のお席へ向かう。
無事に配膳済ませ――次はセレナ先輩のお席に、と足を動こうとした。
そのときだった。
「失礼、この料理は?」
ウルフカットで整えられたブルーアッシュの髪、その外側にハネている襟足がさらりと、露出した陶器のように綺麗な肩を撫でるように流れた。
ジュリエッタ先輩が見上げるようにして、私にそう問いかけてくる。
料理の説明を求められたのは、これが初めてだ。
どうしてメインディッシュになっていきなり……と疑問に思わなくもなかったが、私は焦らず答える。
「鴨肉のグリルとコンフィを組み合わせた一皿になります。コンフィはこちらのパートフィロに包まれており、味付けや食感の違いをお楽しみいただけます」
「へえ、食べるのが楽しみ。火入れも完璧そうだし。ソースは何を?」
「ソースは、軽く頂けるように酸味の効いた――」
ラフィーネさんと同じハニーイエローを宿す、どこか蠱惑的な雰囲気の目。
見ているこちらの視線を掴んで放さない、ジュリエッタ先輩の目に射貫かれたまま、求められた説明を続ける。
「……ジュリエッタはテストでもしているのかしら?」
「さあな。幸い、マリモの予習は行き届いていたようだが」
「――と、以上になります」
「そう、丁寧に説明してくれてありがとう。おかげで、この料理の価値をきちんと理解した上で頂けそうだよ」
「お役に立てたのでしたら幸いです」
な、なんとか乗り切った……!
顔を上げると、ノンアルコールワインを注ぎ終わったラフィーネさんが、私の代わりに残りのお皿を運んでいるのが見えた。
私も早いところ、右手に持った最後の一皿を配膳しなければ。
ジュリエッタ先輩の席から一歩引いて、ハイネの席へと歩み始めようとした。
「――――――――、」
その、刹那――デジャブを覚えた。
前のときほど強くはない、けれども。
確かな、虫の知らせとでも言うべき、予感めいた電気信号。
それが一陣の風のように身体を貫いて、波が引くように過ぎ去った束の間。
――何か、とても強力な力が、私の服を引っ張った。
「ぐぇっ――⁉」
間の抜けた、カエルが潰れような声が喉の奥から這い出る。
身体を支えていた足が勢いよく滑る。
どうにかしなければと込めた力のすべてが空ぶる。
成すすべなく――私の身体は仰向けに倒れていく。
「――――ぁ」
そんな。また私は、全部を、台無しに、して、しま、う。
既に右手のお皿は宙に放り出されている。
その絶望的な光景が、見開かれた眼球に嫌というほど突き刺さる。
もう本当に、どうしようも、ない。
だけど……だけれど……‼
「――――ッ!」
私は歯を食いしばり、それでも手を伸ばすことを選んだ。
再びお皿の底を指先で捉え、息を吐く間もなく落下してくる料理を、絶対に無駄にしてなるものかと、次々に受け止める……!
そうして、メインディッシュを床に落とすという最悪の事態だけは阻止。
ほぼ同じタイミングで、私はカーペットの上に腰を打ち付けるのだった。
「ぐ……っ……ぁ……」
ダイニングルームに響いた珍妙な声と鈍い音。注目を集めないはずもない。
私は天を仰ぐような気持ちで、その一部始終を見届けた末の、ベルナデット様のお言葉を耳にした。
「……一応、お見事と言ったほうがいいかな?」
最悪の事態は防がれたはずのお皿。
だけど、その盛り付けはぐちゃぐちゃになり、完璧な芸術品だった頃の面影は、ある意味潔いほどに消え去っていた。




