第33話『金曜日の朝』
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翌日。七月三日。金曜日。
階下の朝食が始まり、テーブルの中央に置かれた山盛りトーストの最後の一枚がプランの口に放りこまれた、午前六時三十五分。
ぼちぼち食事を終えた人が増えてきたところで、全使用人を纏める立場にあるラフィーネさんが連絡事項の確認を始めた。
「お客様は夜の七時頃を目安にお見えになります。個別のお世話は不要とのことですが、お部屋へのご案内と荷物運びはするように」
「割り振りは?」
「スウィンバーン様はマリモ。ホーソン様はトワル。セルヴィール様はジスティ、頼めますね?」
「セルヴィール様、ね。……はいよ。謎の四人目についてはどうする?」
「私かグットレットさんで応対します」
「一体誰なんでしょうねぇ、その方?」
プランが投じた疑問に一瞬、場が静まる。
誰も答えを用意できないどころか、予想すらも立てられなかったからだ。
するとなんとなしに、皆の視線が私に集まる。
今回の予定が組まれた場に同席していたなら何か知らないの、といった声なき質問に、私は小さく首を振った。
同席したなんて言っても、昼休みになって三年生の教室に行ったらベルナデット様たちの雑談にほんの二分ほど迎え入れられた、というのが実際のところなのだ。
しかも謎の四人目についても、帰りの馬車内で『どうもルキアはもう一人、何者かを招くつもりらしいぞ』とベルナデット様から又聞きしただけで。
つまるところ、皆が知っている以上のことは私も知らないのです。
まあそれでも頑張って可能性を挙げるとするなら……そうね。
中立であるがゆえに派閥のあれこれに敏感な寮長のことだから、今回の訪問で唯一の委員会所属であるセレナ先輩の応援要員となるような方――あるいはむしろ、一切面識のない監視員みたいな立場の人、とかどうだろう。
ベルナデット様がきっといつも以上に注目を集めている今、友人間のお泊り会といえど妙な偏見を持たれたり、こじつけられることがあるかもしれない。
だから、その対策を目的とした招待というのは結構あり得そうだけど――なんて風に思考を走らせていると。
「ところで――」
ラフィーネさんが注目を集めるように、コンコンと机を二回ノックした。
「どうも今夜のことで頭から抜け落ちているようですが。以前から予定されていた通り、明日のお昼過ぎには商会のミラー様がお見えになります。そちらも念頭に置いておくように。お屋敷の品位を損なう振る舞いは許されませんよ」
「――ミラー、様……?」
思わぬ名前に、眉をひそめる私だった。
☆
「なんだ、既にラフィーから聞いていたか。そうだ。以前君に迷惑をかけた、あのラザリオ・ミラーだよ」
今日も今日とて紅茶の一杯を嗜みながら、ベルナデット様は部屋の隅に立つ私にそう言った。
ベルナデット様からお話があるとのことで、初日ぶりに朝の給仕を担当することになったのだけれど……なるほど。
お話とはラザリオのことだったらしい。
「話が来たのはちょうど一週間前のことだったか。何もこんな時期にと思うが、お互いの都合もあってな。少しビジネスの話をしなければならない。なに、昼食も夕食も増えることはない短時間の滞在になる予定だ。君はその間、階下にいるといい。そうすれば会わずに済むだろう」
まるで怯える子供を安心させるように、柔らかに微笑んでみせる主人。
その表情と、会わずに済むという言葉から推察するに、どうやらベルナデット様は私がラザリオに会いたくないと考えているみたいだ。
だからこの話は直前まで伏せられていて――いや、そこまでの意図はなかったのかもしれないけれど、少なくとも顔を合わせずに済むよう、気を回してくださっている。
相変わらずこの方は、どこまでも他者を思いやることのできる優しい人だ――と朝から平伏したい気持ちを抱き、それを噛み締めるように目蓋を閉じた。
……が、それでも私は。
恐れ多くも、主人の認識の過ちを訂正する方向で返事をした。
「お気遣いありがとうございます。ですが、あの一件について禍根は残していませんので、お出迎えも給仕も問題はありません」
「む、そうか? 意外な返答だな。てっきり避けたい相手かと思ったが、むしろ――会いたいようにも見えるかな?」
意外そうな顔をしてから、少しからかうような、こちらの本心を探るような表情をするベルナデット様。
「いえ、取り立てて何か用件があるわけでもないのですが……彼を病院に送ってから顔を合わせるタイミングがなかったので、どんな様子かなと。退院したことすら知らなかったものですから」
そう端的に説明すると、優雅な所作で再び紅茶を飲もうとしていた主人の動きがぴたりと止まり、持ち上げられていたカップがソーサーに戻される。
かつんと静寂の中でやたら大きく響いた茶器の音。
ゆったりとチェーンを垂らす金縁の眼鏡。
その丸いレンズの奥から、ベルナデット様はなぜか、神妙な雰囲気の流し目を私に送ってくる。
「それはつまり……退院後の挨拶に来なかったから、いわゆる焼きを入れたいということか?」
「…………はい?」
「今、彼を病院送りにしたと言っただろう、君」
「言ってません⁉ 病院に送ったというのはその、ミラー邸が放火された際に気を失っていた彼を、病院まで送り届けたという意味です……!」
「……ふぅん……?」
納得したような、してないような。
どうにも曖昧な声で、カップが持ち直される。
「君がそう言うなら……ふむ、早合点だったと認めるが。ともかく、ラザリオから君を隠す必要も、君からラザリオを隠す必要もないのだな?」
「……はい」
冗談交じりの問いに、苦笑しながら返事をする。
とはいえ客観的に見て、だ。
私が誘拐されたのと同じタイミングでミラー邸は火災に見舞われ、ラザリオ自身も入院することになった――という事実だけを抜き出せば、私からの報復があったと考えるのも不自然ではないのよね……。
いえ、むしろそっちのほうがよっぽど自然――。
ラザリオの行動に対して、連帯的な後ろめたさがあるのか。
協会所属の生徒から言及を受けたのはこれが初めてだけれど、その辺り、さすがに事情説明は行われているのだろうか。
少なくとも、協会内でもそこそこの地位にあると思われるベルナデット様は、事の詳細までは把握していないようだが……。
「念のため改めて言わせていただきますけれど、彼とは本当に禍根を残さない決着の仕方をしてますのでご安心ください」
「ああ、理解したとも。君は本当に……罪を憎んで人を憎まずだな。その器の大きさはぜひとも見習いたいものだ」
「いえ、そんなことは……」
そうできれば。そう在れたらいいとは思う。
けれど実際のところ、私の器なんてきっと、小さいことこの上ないと思う。
だから、誰かを赦すとか赦さないとか。どちらが正しいとか正しくないとか。
そんなことを決める権利なんて本当は誰にも無いんじゃないか――とか、細かく考えてしまうだけで。
そしてそれも多分、変わり往く季節のように変遷していく価値観の、そういう時期にあるというだけなのだ。
過去や未来の私はおそらく、現在とは矛盾する考えを持っていることだろうし。
真っ向から対立せずとも、新たな価値観を取り込んで変化することだって、あるだろう。
いつかレイヴン先生が話していたように、そんな清濁併せ呑む流動的な生き方こそ私の目指すところであって――ゆえにその反対にある清廉潔白を目の前にしてしまうと、どうしても比べてしまう。
「私のほうこそ、ノブレス・オブリージュを体現するベルナデット様を、心の底から尊敬しております。一つのことを張り続ける強さは、憧れます」
「……よしてくれ。私は貴族じゃない。貴族なんてこの世界にはいない」
私ではなくカップに向けて、小さく自嘲気味に囁いたベルナデット様は、それから椅子を引いて立ち上がった。
「そろそろ登校時間だ。この話はここまでにしよう。ラザリオのことは承知した。彼との話し合いにはラフィーも出席しなければならないのでな、せっかくだからお茶の用意は君に任せる。頼めるな?」
「はい、ベルナデット様」
そう返事をして、ダイニングルームを後にするベルナデット様を見送る。
さて、私も部屋に戻って支度をしないと。
そう思い、何気なく時計を見たところ。
普段お屋敷を出る時間まで、まだ余裕があることに気づいた。
「…………」
飲み干されることなく残った紅茶は、その苦みが伝わってくるほどに色濃く。
空いた食器を階下に運ぶ間。
屋根裏の自室に戻って登校準備を整えている間。
私は要らないコトまで感じ取って、色々と考えてしまったのだった。




