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ビニース・ザ・ウィール -反逆少女と宝石令嬢-  作者: 悠葵のんの
第二章《to dress, un-dress and, re-dress》
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第32話『使用人流儀――グットレット』

     ☆


 ぱたん、と本を閉じる音がして、グットレットさんが顔をあげる。


「マリモ、使用人とは主の奴隷ではなく、その道のプロフェッショナル――専門家であるべき存在だ。

 確かに我々には作法を重んじる心や、お仕えする方への献身といったものが求められるが、基本的にそれらは賃金や生活の保障など相応の見返りがなければ成り立たないものだよ」


「うんうん」


 ですよね、と相槌を打つプラン。


「だが――たとえ相応の見返りがなかったとしても、己を律する意思、専門家としての誇り、主に尽くす喜びが、泥中に花を咲かせることもあると私は思う」


「――――、それは暗闇の中に星を見出すような……?」


「そうとも言い換えられる」


 思わず口を衝いて出た質問とも言えない呟きに、グットレットさんはそう言って、不安がる子供を勇気づけるような不敵な笑みを浮かべた。


 大部屋の明かりが温かいオレンジ色なこともあって、なんだか映画やドラマでよくある、年季の入ったバーのマスターに相談している気分だ。

 強張っていた心が、少しだけ夜の雰囲気に酔って、溶けていく。


 その一方で、


「あのぉ、二人だけで通じ合わないでくれません?」


 不満げに唇を尖らせていたプランが、怪訝な声を上げた。


「つまりその花だか星だかは、その人なりの幸福のことを言っているんですか?」


「ああそうだ。身も蓋もない言い方をすれば、それは所詮、精神論だろうがね。

 望まぬ環境でも星を見ることはできるというだけで、望む場所に行ける手段を持っているのであれば、そうしたほうがよほど健全だ。

 ……だが、それができない者も世の中には存在する。プランシュ、君のように」


 グットレットさんは言葉を続ける。


「しかしマリモの目には、君は奴隷ではなく、むしろそれに逆らう者に見えている。それはおそらく、君が望まぬ環境の中でもやりがいという星を見出し、理想と現実に折り合いをつけているからだろう」


「…………」


「理想だけでは現実には敵わず。現実だけでは理想には届かない。なればこそ、それらを両立する者は、どのような場所に在っても色褪せない輝きを放ち、不自由の鎖に縛られないしなやかな強さを宿す――」


 まるで、万感の思いが込められた書の一節を朗読するような、その声。

 そこにはもう何年も、きっと何十年も、その在り方を張り続けてきた大人としての説得力や重厚さが、これでもかというぐらいに感じられた。


 献身の道の、生き字引のような方が問う。


「プランシュは自らを、お嬢様やご両親の奴隷だと思うか?」


「……そうならないようにしているつもりです」


「悪くない答えだ。ではマリモは? 君は自分を何かの奴隷と思うか?」


「思いません。ですが、私の意思とは別にそう見られることへの不安はあります」


 それはともすれば、他人の目など気にするだけ無駄だよと一蹴されるしかない、世界にとっては些末な感情なのかもしれないけれど。


 私ははっきりとそれを口にした。

 子供が大人に悩みを打ち明けることは、何も恥じることのない、とても自然な行為に思えたから。


 ふむ、とグットレットさんは思案げに顎を撫で、私の目を真っ直ぐに見つめる。


「君は既に自らの星を見つけ、理想を、祈りを手にしているように見える。ならば次に必要なのは、目の前の現実のための、芯となる理念だ」


「理念ですか?」


「美学。そして、それを表す言葉だよ」


「美学はなんとなく分かります」


 これまで話を聞いてきた方は皆、ベルナデット様への敬意と共に、使用人として仕えるにあたっての自分なりの美学――動機や流儀と呼ばれるモノを宿していた。


 納得して働ける仕事。捨てたくない人間関係。恩返しと居場所。個人の尊重。


 使用人をやることは本意ではないと語ったプランにも、やりがいだとかお給料だとか、そういうのが大なり小なり存在していた。


 祈りとは世界に望む理想。美学とは行動を指し示す流儀。


「ですが、言葉はどういう……?」


「理想と現実の架け橋――ざっくりと言えば、建前だ」


「……建前ですか?」


「本来は必要のないモノだろうがね。大切なことは目には見えないというだろう?

 しかし人は成長するにつれて、心で感じたままを理解することができなくなってしまう。あらゆることを理屈や点数、肩書きで評論するようになってしまう。

 ゆえに――そのような者にも何かを訴え、折り合いをつけたいと望むのであれば、こちらもそれを用意する必要があるわけだ。

 ……例えばの話をしよう」


 理解が追い付いていないのが顔に出ていたからか、グットレットさんは続けた。


「お嬢様が君のことを、何か命の危険から助けたとする。

 それは見返りを求めない無償の愛からくる行動だった。しかし君にはその行動の意味が理解できず、ひどく不安になり、やがては恐怖した。

 理由が分からない。

 あとで何か要求されるかもしれない。

 泥沼から抜け出したつもりが底なし沼に足を踏み入れたのかもしれない。

 見返りを求めないなど、決して信頼することはできない――と。

 しかし君は、お嬢様が背負った『ノブレス・オブリージュ』という建前ことばを知ると、その言葉たてまえに納得し安堵した。

 なるほどそうか。この人は己の義務やエゴを果たすために自分を助けてくれたのだ……とね」


「――――ああ」


 ……そうか。そういうことか。

 私はずっと、深読みしすぎていたみたいだ。

 見えないモノを見つめすぎて、普段は見えているはずのモノを見失っていた。

 地に足が付いていなかった。


 語り得ない――語る必要のない理想と、語る必要に迫られる現実。


 その現実というのがずっと、どうにも掴めずにいた。

 だって、もしもそれがプランの語った『自分の利益』だとするなら、私はもうそれを手に入れているから。


 誰かのために何かをする。

 そのこと自体が既に私のためになっているつもりで。

 だから正直、これ以上何をどうすればいいか分からなかった。


 けれどその在り方が。

 他者から見ればひどく曖昧で、不自由で、理解できないことだというならば。

 もっと表面的な、架け橋となるような別の言葉に、置き換えてしまえばいい。


 つまり、献身を誰かの奴隷と見られないためには。

 己が己を奴隷と思わないならそれでいいと、開き直らないためには。


 祈りから生じる理想に。

 美学から生じる流儀に。

 ある程度まで共通する現実的な言葉という、建前を被せる必要があるのだ。


 そうすることで私たちは、たとえ違う立場で、違う景色を見ていたとしても、同じ幸せの中を泳ぐことだってできるかもしれない――せめてそう、祈りを籠めて。


「言葉は形の無いモノに形を与えてしまう。それが不粋な行為に思えるときもあるだろう。だがそれは、いつかきっと自分自身のためになる。生きていれば自らの在り方を見失う時期などいくらでも訪れるからな。そのとき言葉は、自らの原点に立ち返るための、目印になってくれるはずだ」


「――――」


 ……私の、目印となる言葉。

 言葉とは経験から生まれるモノだ。

 そして私の中には、本来であれば生命が経験し得ない経験が内包されている。


 それは――死。絶対的虚無。からっぽのそら。くうくう。その奔流の記憶だ。


 ならば私は、私の祈りに、それに流されないための、強く佇むための、逆らうための言葉を名付けられるはずだ。


「…………」


 目蓋を閉じる。

 墜ちてしまったあの日のことを思い出し、胸に手を置いて、言葉を探す。

 心地良い沈黙が、グットレットさんもプランも見守ってくれているのだと教えてくれた。

 潜る。思考の海へ。魂の奥底へ。灯火の世界へ。


 けど。


 ――がたん。


 突如響いた物音が、私を現実へと引き戻した。

 三人で揃って、裏口のほうへと視線を向ける。


 すると少しして、ふらふらと幽鬼じみた足音が響いたと思ったら。


「ふぃ~……疲れた~……」


 顔を真っ赤にしたライナさんが、大部屋に姿を現した。


「うわ、酒くさ! また今日も夜遊びですかぁ、先輩……!」


「不健全ですね」


「グットレットさん……申し訳ないですが、水を一杯持ってきていただいても? 今日の相手はちょっと手強くて……」


 乱暴に前髪を掻き上げながら、ぐったりと椅子に座り込むライナさん。


「少し待っていなさい。……老人の長話に付き合ってくれた礼だ。彼の介抱は私に任せて、二人は部屋に戻るといい」


「言われなくてもそうさせてもらいます……」


 そそくさとノートを閉じて席を立つプラン。

 私もお言葉に甘えて、それに続く。

 ライナさんには悪いが、酔っ払いは苦手だ。


「……お話、ありがとうございました。おやすみなさい」


 グットレットさんに挨拶をして、私はプランと共に屋根裏へと退散した。


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