第31話『使用人流儀――プランシュ』
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七月二日。木曜日。
階下での夕食を終え、後片付けや自室の清掃を済ませた午後九時半。
共用のお風呂の順番を待ちながら学院で出された課題をこなすことにした私は、気分転換も兼ねて、大部屋に下りてきていた。
部屋にはグットレットさんが先客として居て、今も安楽椅子で本を読んでいる。
そして中央の長テーブルでは私が課題を広げていて。
隣の席には私のあとに来たプランが座っている。
明日の準備を終えたと言って現れ、おもむろにノートを広げだしたので、てっきり彼女も学院生として課題をこなすのかと思ったのだけれど。
ちらりとページを覗いてみた感じ、彼女を悩ませているのは魔的数式ではなく、今後の献立のようだった。
そのような経緯で、なんだか珍しい取り合わせな気がする三人の空間が形成され……二十分ほど経過した頃か。
ふと、プランから声をかけられた。
どうも考えに行き詰まったらしく、気分転換に雑談でもしよう、とのことだ。
中々に強引なお誘いではあったが、しかしいつも美味しい食事を作ってもらっている身として、少しでも力になれるならなりたい。
そうして話題を探すうち……ひとつ。
決して面白い話とは言えないけれど、私は尋ねてみることにした。
機会があれば訊いてみたいと考えていた、例の話題について。
「使用人になった経緯――? あぁ、なんか最近みんなに聞いてるらしいけど。そんなの知ってどうすんの」
「相談と思ってもらえたら」
「何の」
「人生の。私と同い年のプランが、どうして早くから使用人の道を選んだのか、興味があって」
「はぁ……いや、選んだっていうか、選んでないけどね別に」
腕を組み、足を組み、ふんぞり返るようにしながら天井を見上げるプラン。
「というと?」
「いやほら、おてんば娘を矯正するためにいいとこのお屋敷に奉公に出すやつ、あるでしょ? あたしそれだからさ」
「……分かるような、分からないような」
つまりプランは家庭の事情、教育方針で使用人になったということか。
「あたしからすればここは、給料が良いから我慢できてるだけの親から強いられたバイトよねぇ。高等部を卒業するまでって決まりだけど、もしお許しをいただけるなら、全然すぐ辞めるよ?」
「そ、そうなの……なんだか意外だわ。プラン、いつも熱心に、楽しそうに料理しているから。全然そんな風に見えなかった」
「ほっぽり出すわけにもいかないから、なんとか視野を狭くしてやりがいとか利益を見つけてるだけだし。自分のために。仕事ってそういうものじゃない?」
うぅん……と私は曖昧な声を返す。
そうかもしれないけど、そうだと認めるのは現実的すぎて寂しい気がしたから。
何より繰り返しになるが、私にはプランがそこまで乾ききっているようには見えないのだ。
だからここは、否定するべきでも肯定するべきでもないと、そう感じた。
「それにしても、ベルナデット様もなんで受け入れたんだろうねぇ。ウチとは大した縁もないはずなのに。そもそもの話、こんなに使用人いらなくない? あたしたち派遣組の三人がいなくなってもまだ多いぐらいだと思うけどなぁ」
派遣組って。案外、言い得て妙かもしれないけども。
「そりゃあ、明日みたいなお客様が来る日に人手があるのはいいことだけどさ。でもそれならそれで、まずキッチンメイドを増やしてほしいんだけどね……マジで、マジで、マジでぇ……」
机に突っ伏しながらぼやくプラン。
前々から定められている記念日ならまだしも、心の準備をする間もなく突然降って湧いた激務に身構える彼女の声は、中々に切実だ。
というのも明日の夜、このプティエールに四名のお客様が訪れて宿泊することが決まったのである。今日。学院で。何気ないお昼の雑談中に。
つまりそれがどういうことかというと、キッチンは明日の夕食と次の日の朝食、滞在状況によっては昼食も人数分追加で用意しなければならないということで。
上と下合わせて最大十三人分の食事を三回、基本二人で作る苦労は、何とも計り知れないものがある。
ベルナデット様や相手方の意向。それに応える階下の理念。
それを前にして、無神経に表に出すことはできないけれど、来訪の理由の一端を担っている身としては本当に申し訳ない気持ちだ。
手が空いているときは仕込みとか細々とした作業とか、とにかく何でも手伝わないとね……うん。
「……はぁ。だから、あたしが進路を選ぶとしたら使用人じゃなくて、ジュリエッタ先輩みたいなのが理想かな」
話を戻すように言うプラン。
使用人はあくまで他者が選んだ道であり、いつか人生の選択権を取り戻したときに選ぶ道は、ああだったらと。
「ジュリエッタ先輩ってラフィーネさんの妹さんの?」
「そ。あの人、昔はラフィーネさんと一緒に本家の使用人見習いしてたらしいんだけど、自分は仕える側の人間じゃないって言って家を飛び出してさ。今ではベルナデット様のビジネスパートナーとして、独立コンビ同士、対等な関係を築くところまでいってるわけよ」
「へえ、そんな話があったの」
以前、ジスティさんの家系が昔からロードナイトの家に仕えてきたと聞いた際に、ラフィーネさんもそうであるとトワルさんが言っていた。
つまりジュリエッタ先輩は、ロードナイトの使用人になるよう定められた家のしきたりに逆らって出奔し、仕えるべき方との対等な地位を手に入れた。
階下から、階上の人間になったというわけか。
「ここだけの話、実の姉妹よりも姉妹らしいぐらい。でもそういうの、素敵じゃない? 血縁とは別の、生き方が重なることで生まれる絆っていうさ。正直、結構憧れてたりして」
自分で使用人の道を選んだ人はともかく。
それを強いられたプランからすれば、自分の舵を手放さず自力で社会的成功を勝ち取ったジュリエッタ先輩の生き方は、劇的なシンデレラストーリーのように映っているのだろう。
少し違うけど、私もベルナデット様がこのお屋敷を個人で所有していると知ったときは畏敬の念を抱いたし、その気持ちは理解できた。
ただ家を出て、支えを失ったことを独り立ちとするのではなくて。
自分の選んだ道できちんと成果を出して、誰かを支えられる側の人となったことを自立とする。
その在り方は、確かに、憧れるほど素敵だ。
「ならプランも、将来的には何か起業したいと考えて?」
「まあ、そう。悲しいことにあたしはジュリエッタ先輩ほど先が見えてないから、具体的なことはまだ決められてないんだけどね……。ていうか今更だけど、マリモは使用人になりたくて、こうして色々聞いて回ってるわけ?」
「というよりは、誰かのためになる生き方――献身の秘訣はなんだろうって感じ」
「ふーん?」
怪しいものを見つめるように、目を細めるプラン。
「あたしがわざわざ言うことでもないだろうけど……気を付けなよ? 献身って確かに美しく感じることもあるし、転生者みたいな生き直そうとしてる人がそっちに傾くのも分かるけど」
――でも、とプランは言葉を続ける。
同僚としてではなく、同い年の学生としてでもなく。
前世に悔いを残してきた者の生き方を客観的に見ることができた、ヘリオスレッタに非転生者として生まれた者の立場から。
忠告というよりは、ただ、自分の感想をこぼすように呟く。
「奴隷みたいに誰かに尽くすんじゃなくて、もっと自分第一になったほうが、他人に左右されない本当の幸せが手に入るように思うなぁ」
「……プランには、私が奴隷のように見える?」
「少なくともあたしと同じで、そうせざるを得なかった人には見える」
遠回しな言い方だが、その言わんとすることは何となく分かった。
八日間限定の使用人。それは私が自分の意思で望み、選んだことだ。
しかしそのひとつ手前の、私を危険な立場から保護したいと言った、ベルナデット様の提案がなかったとしたらどうだろうか?
そもそも今回の一件が起こらなかったとしたら?
果たして使用人をやるという選択肢が、私の内側から自然と生じることはあっただろうか――そういうことをプランは言いたいのだと思う。
無論これはたらればの話で、未来のことなんて基本的には誰にも分からない。
それでも彼女は、マリモジュナがこれから歩むはずだった本来の人生には、使用人の仕事をする道などなかったのではないかと感じている。
プラン自身がそうであるように。
現実という外側からの干渉を受けて歪んでしまった道を歩いているだけだと。
選んだつもりが、結局は状況に流されているだけの、不自由な立場であると。
でも……たとえプランから見た私が、同じ立場に見えているとしても。
私から見たプランは、その現状の不自由さを訴えられてなお、奴隷のようには映ってないのよね。
職人気質なクーペさんがプランのことを助手と認めているように。
少なくとも彼女には、他者から認められるだけのモノが存在している。
望まぬ環境の中でも腐らず、自分のためにやりがいや利益を追求する姿勢。
もしもそれが、奴隷という見方に逆らう輝きを、彼女に与えているのであれば。
――私は、どうだろうか?
いつか宿したはずの星。
それに殉じたいという祈り。
たとえ何も得るものが無かったとしても。
そうすること自体が、私自身のためになっているつもりだ……けれど。
それがどこにも行けない自己満足だとするなら?
それが他者から見れば奴隷でしかない、見た人を悲しませるだけの在り方だとするなら――?
諦めて、切り捨てるしかないのだろうか。
価値観の相違だと。平行線だと。人は誰もと分かり合えるわけではないと。
……ええ、そうね。
誰にどう思われたとしても、きっと私の見上げる星が変わることはないだろう。
けれど――だからといって、私はそこで開き直りたいわけではない。
現在のマリモジュナの根底は他者によって形作られているわけだし、誰かによる私の観測結果を頭ごなしに否定はしたくない。きちんと向き合い続けたい。
それは弱さなのかもしれないけれど。
私は強さが欲しいわけではないから。
……いえ、もっと正確には、強さ自体は宿していていいと思う。
だけどそれが、他者の介在する余地のないほど強固なものであってほしくない。
自分らしく在ることと、他者を拒絶し傷付けなければならないことが、イコールであってほしくない。
だって、いかに現代的な個人主義を掲げたところで――生きるということは結局、否応なしに誰かと関わりを持つということなのだから。
協調性を切り捨てた人間がそれでも誰かと繋がりを持てているなら、それは相手が繋がりを保つ努力を続けてくれているからに過ぎない。
それをこの身で思い知った私は。
やはり人と人が繋がることの意味を。
差し伸べられた手にきちんと報いることのできる柔軟な心を。
諦めずにいられる人間になりたい――――。
……と、自らの気持ちを改めて確認したところで再度同じ疑問にぶち当たる。
結局のところ、私はどうすれば不自由に見られずに済むのだろうか……と。
「…………」
長々とした堂々巡りに陥っていた自分に心底呆れる。
そうして言葉を失っていると。
「――口を挟んでも、よろしいかな?」
意外な声が聞こえて、私とプランは軽く軋んだ安楽椅子のほうを向いた。




