第26話『食堂での騒動』
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午前の授業を終え、お昼休みになった。
そそくさと廊下に出た私は、階段で三年生の教室へと向かう。
お昼はベルナデット様とご一緒する予定だ。
今日はお弁当を用意していないため、おそらくは学食をいただくことになる。
となると、食堂が人込みで賑わう前に席を確保するため、素早い合流が必要だろう――なんて考えていたのだが。
「手間取らせて悪いが、適当に見繕っておいてもらえるか? 何でも構わない」
何やら所用があるらしいベルナデット様にそう言われてしまい、結局私は一人で食堂に行くことになったのだった。
うーむ。これは中々、腕の見せ所というか困った注文というか……何でもいいが一番困るとは言うけど本当に何を選んだものか。
目の前に並ぶサンドイッチ、チョココロネ、カツサンドバーガー、アップルパイ、ガーリックトースト等々を眺めながらとにかく思考をフル回転する。
食堂を訪れてすぐに巻き込まれた長蛇の列を逃れて、注文カウンターの対岸にある購買スペースへと避難してきたとはいえ、こちらもぼさっとしていたら人波が押し寄せそうなのだ。
この白い髪のおかげで私が件のマリモジュナであることは即バレして、悪目立ちもしているし……選択は慎重に、けれども迅速にしなければ。
「よし」
私はいくつかのパンと飲み物のパックを注文票に書き込んだ。
二人で食べきれる量かつ甘い系やしょっぱい系などの様々なラインナップだ。
これならベルナデット様の好みがどうあれ、できる限り対応できるはず。
注文票を窓口の女性に差し出す。
「いっぱい買うんだねぇ」
「何でもあって助かります」
「新入生? 今後もご贔屓にね。ところでこれ、結構なお値段だけど、お金大丈夫そう?」
「え――――あ」
普通の学生がお昼一食に使うにはやたらと多い金額が算出されて、しまったと口が空いた。
お金は……あるにはある。
転生者への寄付金制度によって、一か月は何もせずとも暮らしていけるお金が。
私はその大半を学院の入学金に充ててしまったが、それでもこれぐらいの残金はある……のだけれど、それは生憎、銀行に預けてしまっている。
つまり私の現在の手持ちは、本来ならば昨日の放課後にでも少しぐらいは厚みを取り戻すはずだった私のお財布の中には、ほんの僅かな額しか入っていないのだ。
「あの、銀行のお金を引き出せるところって……」
「あるわよ」
「あるんですね⁉ 本当に何でもある……」
「ないのはツケだけよ。そっちの奥まったところに手続きするところがあるから」
私はお辞儀をして、すぐに戻りますと告げて踵を返した。
そのときだった。
「――――ッ」
即座に振り返り、右腕で自らの髪を庇うようにしながら数歩後退する。
自分でもどうしてそうしたのか、思考は追い付かない。
ただ、何か直感めいたモノが心臓から頭を貫いて、身体が勝手に動き出したとしか言えない。
それでも後退しながら正面を見やると、先ほどまで私が居た位置には女生徒が立っていて、虚を掴むように空の手を伸ばしていた。
どうやら私の髪を引っ張ろうとしたみたいだ。
刹那――再び突き抜けた感覚が、私の身体の操縦桿を握る。
まずは足元。男子生徒の投げた掃除用のデッキブラシが迫っていた。
例えるなら車輪にストッパーを差しこみ転倒させようという魂胆らしい。
さらに右斜め後方。女生徒がコップに入れた水を私にかけようとしている。
視野を広げる。空間を認識する。何もせず避けることはできない。
だが――すぐ横の壁際に、ブラシとセットで置いてあったのだろう空のバケツを見つけた。
これなら、行ける気がする……!
「ッ、――!」
私は投げつけられたブラシの先端を右足で踏みつけた。
そうして起き上がってきた持ち手を右手でキャッチ。即座にバトンの如く手元で半回転させ、その長いリーチを生かしてバケツの取っ手を引っかけ――慎重に、勢いよく振りかぶった。
私めがけて放られたコップの水が広がり切る、その、一秒前。
虫網で虫を捕まえる要領で、空中の水をバケツで受け止める――!
「ふッ――」
瞬間、バケツの空洞に満ちて響き渡る水音。
キャッチ完了。あとはそれを溢さないよう、勢いを殺して。
元々あった場所にブラシとバケツをセットで戻して、と……。
「なに今の……後ろに目でも付いてるの?」
「身体強化の魔術じゃあないよな」
「はっ、さすがは魔術学院の魔法使い様って感じ?」
「……あなたたちは?」
自分でも不思議なほどに動いた身体。その火照りを鎮めながら三人を見回す。
すると最初に私の髪を掴もうとした女生徒が近づいてきて、耳元で囁いた。
「――青春履行委員会」
「…………」
「あなたが昨日やったことは未来玲瓏協会との抗争に繋がりかねない火種なの。だから、分かるでしょ? ウチとあなたが無関係だってことを証明するために少し痛い目に遭ってもらいたいのよ。悪いとは思うけどね」
……そういうことか。
転生者という出自とルカやキリエとの繋がりから、私は入学前から既に、委員会に加入しているも同然といった立ち位置だった。
つまり昨日の行いは見方によっては、委員会の一員が協会の有名人に喧嘩を吹っ掛けたようにも見えるし、そのように強引な解釈をして新たな問題を起こす者が続出するかもしれないのだ。
ゆえに委員会は、マリモジュナに敵対的な態度を表すことで、協会員であるベルナデット様への粗相は決して本意ではないとアピールをしたい、ということ。
これはきっと……返すべき私の負債。
ならばこの身を好きにしてくれていいと、そう答えたい――が、周囲を見る。
食堂は大勢の生徒でごった返している。
先ほどの出来事を目撃した生徒は多いはずだ。
これ以上は被害者と加害者の立場が逆転し、別の問題に繋がりかねない。
罪なき者が罪人に石を投げるとして、ならば罪人に石を投げる行為は罪にならないのか……ということだ。
個人が善悪の天秤を傾けるべきではない。
であれば、このまま彼女らを撃退して、私が加害者の役を全うするか?
否、それは烏滸がましい行いであり、主人の顔に泥を塗る行為だ。
そんなことは断じてできない。
となると……私には何も無い。
この状況を理想的に収めるための主義主張が。
夢幻を現実に落とし込むための力が。
今は、どうしようもないほどに――。
「目撃者ならさっきので充分に生まれたはずよ。だからどうか、この場は引いてくれない?」
でも、それでも、と私は言葉で訴えた。
「どうだろうね。あなたがあんなに綺麗に避けちゃったから、仕込みだって思ってるかも」
「それは……っ」
確かに自分でも驚くぐらいテクニカルだったけども……。
言葉に詰まった私を見て、女生徒が目配せをした。
それを受けた残りの二人が私の肩を掴み、身動きを取れないようにする。
そして女生徒はポーチからコンパクトサイズのハサミを取り出した。
ガラス窓から射し込む光を受けて閃く鈍色の刃。
「すぐに済むわ。そのほうがいいでしょ、お互いに」
その切っ先の行く末は髪か、制服か。
狙いを定めた断罪の刃は、素早く慎重に迫り、もうあと数センチで私に届く。
脳裏を掠めた一秒後の未来。
これが報いであるならばと、目蓋を閉じようとした、けれど。
「――よせ」
眼を突き刺すような空が、それをさせなかった。
鈍色の閃きなど容赦なく飲み込んでみせる。
より鮮烈で、より絢爛な、スカイブルーの煌めきが――。
「ベルナデット様……」
ベルナデット・M・ロードナイト様が、いた。私の前に立っていた。
普段の優雅さではなく、気高き凛々しさを湛えて。
ハサミを持つ女生徒の手を掴んでいる。
「君たちの事情は理解する。が、ここが引き際だ。見誤ってはならんぞ」
「あ、あなただって抗争は避けたいですよね……? ならばほかにどんな手が?」
「私を信じ、預けろ。彼女は私が正しき方へと導く。派閥間の緊張状態は自然と立ち消えよう」
「……ご立派なお言葉ですね。式典で行われる演説では、ハンカチを手放せないようです」
皮肉げに言いながらも、ハサミを握る手の力を弱めたからだろう。
ベルナデット様は掴んでいた女生徒の手を放し、女生徒もまた刃先を収めて、私の肩を掴んでいた二人に撤退の目線を送った。
「マリモジュナ……奴隷として、しっかり教育してもらいなさいね」
「聞き捨てならんな。使用人は奴隷ではないよ」
「ご奉仕なんてのは、私たちからすれば似たようなものです、上流階級のお嬢様。彼女の存在があなたの評判を落とさないことを願っています」
その言葉を最後に、三人は人混みをかき分けながら食堂を出ていった。
ベルナデット様は一息ついてから、私に向き直る。
「やれやれ。委員会を思っての行動だろうが、使命感とは人を盲目にするな。……ところでマリモ、見たところまだ手ぶらのようだが」
「あっ――も、申し訳ございません。実はまだ、その……お金が足りなくて」
「なんだ、そんなに持ち合わせがなかったのか? そちらのほうがよほど私の沽券にかかわりそうじゃないか」
「いえ、そういうわけでは……ただ、ベルナデット様のお好みが分からなかったので、いくつか買ってその中からお選びいただこうかと」
注文票を取り出すと、それを覗き込んだベルナデット様が驚いたように眉を吊り上げた。
「これはまた、随分と沢山買おうとしたな? 私は本当に何でも構わなかったのだが……あまり良くない伝え方だったか。次からは気を付けよう。だが、マリモ」
呆れたように、そして自嘲するように、控えめな笑みを浮かべた主人は。
するりと私の指を解いて。注文票を抜き取って。記入用のペンを手にする。
「倹約は美徳だ。私の父のような人にはできない、中流の特権なのだよ」
言いながら紙上に一本、二本と取り消し線を引いていくベルナデット様。
絹のように垂れる横髪の隙間から覗くその瞳は、やはり怖いほどに眩しくて。
だけど同時に、憂いを纏うように細められていて。
「私の使用人であるうちは、君もそれを覚えていてほしい」
上流に対する中流という言葉と、『私の父』と少しだけ冷たく紡がれたその声。
そして親元から独立しているベルナデット様の背景が、頭の中で線を紡いだ。
この方は――何か、親子間の確執を抱えていらっしゃる。
そんな風に感じ取ってしまった私に、ベルナデット様自身も、普段は見せない己を晒してしまったことを自覚したのだろう。
「ここで待っていなさい」
主人は使用人を置いて単身、購買の窓口へと向かった。
お札しか入らないお財布が取り出され、素早く手短に済まされる買い物。
どうしてか……ベルナデット様は、お釣りを受け取っていなかった。




