第23話『階上の朝食』
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午前七時。給仕用の清潔な制服に着替えて、白い手袋を着けた私は、ラフィーネさんと共に階下のキッチンでベルナデット様の朝食を受け取り、使用人用階段を使ってダイニングルームへと上がってきた。
階上の食堂は階下の大部屋以上に広く、明るく、飾られた内装だ。
ぼんやりと射し込む陽光。陰影が浮き彫りにする家具の装飾。無数の絵画。
明かりが無くとも映えるランプ。上質なカーペット。部屋の中央に鎮座する長テーブル。
汚れ一つないテーブルクロスを敷いた卓上には、見栄えの良い鮮やかな花や、これから使われる食器などが準備万端とばかりに揃っている。
「グラスに注ぐのはベルナデット様がお座りになられてからお願いします」
「はい。席の左右どちらからか、決まりはありますか?」
「ドリンクは右側から。料理の場合は左側からです。朝食では食事の配膳はありませんので、今は右側からとだけ覚えていただければ」
私は三角フラスコのような形の水差しを、ラフィーネさんは朝食を乗せた銀のトレーを、それぞれ壁際のテーブルに置きながら、そんなやり取りをする。
それからてきぱきとお皿を上座に運んでいくラフィーネさん。
一方でひとまず邪魔にならないところで行儀よく立っていることが役割となった私は、並びゆく朝食の内容を観察してみることにした。
見たところ、部屋の違いと同じように、階下とは些かメニューが異なっているようだ。
基本構成は変わらないものの、パンはカリカリに焼いたクロワッサン、卵料理はスクランブルエッグではなくオムレツ、ベーコンはミートボールに、サラダに変化はなく、そして最後にフルーツが一品、追加されている。
飲み物もお水だけでなく気分で紅茶やコーヒー、スムージーが飲めるようにそれぞれ用意があるし、まさに優雅な朝食の理想像そのもので――。
「――おはよう、マリモ」
不意に、玲瓏が鼓膜を微かに震わせた。
どくんと高鳴る鼓動。すべての思考が止まり、声がした方向に身体を向ける。
食堂の入り口に、先輩が――ベルナデット様が、いらしていた。
「おはようございます。ベルナデット様」
「昨日の今日で恥じらう様子もなくそう呼んでくれるか。使用人としてやっていくと言った覚悟、変わりはないようだな?」
感心したように笑いかけてくれるベルナデット様。
その姿には、学校で見せた華麗で神秘的で毅然とした雰囲気のそれとは少し違う、朝の陽だまりのように柔和な感触を覚えた。
柔らかな声のトーン。ゆるくまとめられたミルキーブロンドの髪。少しだけ無防備なシャツだけの制服。そして何より……学院では掛けていなかった、チェーンの付いた金縁の丸眼鏡。
顔を合わせるたび、絶世や高嶺の花といった言葉が思い浮かんだベルナデット様の美しさは、今朝は少しだけその鳴りを潜めていて。
綺麗よりも可愛らしい――まるで年頃の文学少女を見ているようなギャップを、良い意味で私は抱いた。
「ラフィーは下がってくれ」
「かしこまりました。マリモ、片付けは結構ですので、あとは時間通りに」
「はい」
ベルナデット様と入れ替わる形でラフィーネさんが食堂を後にする。
任された仕事は水を淹れることだけ。
負担が無いと言えば楽でいいかもしれないが、それでいいのだろうか。
せめてベルナデット様が座る際に椅子でも引くべきか、と悩んだ一瞬。
「あ――――」
その一瞬でベルナデット様は席に着いてしまい、ナプキンまでセットしていた。
所在無げに伸ばされた私の手を見て、口元を綻ばせるベルナデット様。
「ここはホテルではない。客人のいるディナーは別だが、普段は自分でやるよ」
「は、はい。覚えておきます」
気を取り直して、私は水差しを持ち、グラスにお注ぎする。
「ありがとう。今朝はマリモと話をしたくてな。下ではどんな仕事を任された?」
「今朝は正面玄関の掃除をいたしました。ドアノブ磨きや、扉の泥を拭ったりといったことを」
「ふむ、手応えはどうだ? 今後もやっていけそうか? 率直に聞かせてくれ」
「…………」
確かに仕事はこなした。が、あれはあくまで今朝限りの仕事だ。
明日も同じことを同じだけするかといったら多分そうではないと思うし、そう考えると私はスタートラインにすら立てていないだろう。
是か非を判断できるほどの役割を任されてすらいないのだ。
だから私は、心に浮かんだことをそのまま口にする。
「まだ何とも言えない、でしょうか。一般的な雑務でしたら、アルバイト――パートタイムで経験がありますので、よほど役に立たないということはないと思いますが……」
「ほう、どんなことをしていたんだ?」
「ファミリーレストランと喫茶店で、合わせて一年ほど勤めていました。接客や清掃、食器の洗浄、ゴミ出しなど、一通りのことは学ばせていただきました」
「それは頼もしいな。同じ仕事でもここにはここのルールがあり、勝手が違うこともあると思う。しかし職務そのものに対する心構えができているのであれば、問題はあるまい。ところで――」
食器を置いて、ベルナデット様が話題を変える。
「朝食の時間はどうかな。下のサイクルは少し早いだろう。昼食まで間隔が空いてしまうから学院で困りはしないか? 君さえよければ、明日からは私とここで一緒に食べるという選択肢も用意できるのだが」
「お心遣い感謝いたします」
確かに朝食が六時からというのは普段の生活――なんてもう随分昔のことのように思えるけれど、とにかく前の学校に通っていた頃――と比べるとまあ早い。
でも、空腹には慣れているというか。
きちんと食べてる時点で充分健康的というか。
とにかくこのままでも、困ることはないはずだ。
それに。
「……しかし」
加えて――というよりも、こちらが理由の大部分なのだが。
「同じ立場のプランシュも階下のサイクルに従っていますし、使用人として置いていただくからには私もそれに倣うべきだと……そうしたいと、思っています」
フリではない、本当の使用人として学びたいと思う気持ちに変わりはない。
なればこそ、ほかの使用人が受けていない特別扱いを受け入れるわけにはいかないのだ。
それはともすれば……もうすっかり自分を使用人の一人だと思い込んだ、階下の方たちの領域に土足で踏み込む、厚顔無恥と取られかねない言葉だけれど。
「そうか。気を回したつもりが、なんだかテストしたみたいになってしまったな。改めて君の気持ちが伝わったよ。認められようとしている者からその機会を奪っては本末転倒か。今の話は忘れてくれ」
ベルナデット様は私の心に寄りそうように笑って、グラスを手に取った。
グラスに反射するその表情には、たとえ文学少女的な外見をしていようとも隠しきれない、一国一城の主の尊厳のようなものが滲んでいて。
グラスを煽ってから、思い出したようにベルナデット様は言う。
「そうなると、君の部屋について再考する必要があるな」
「はい。実のところ、切り出すタイミングを窺っておりました」
お客様扱いを拒む以上、そこは見直さなければならない部分だ。
「ふ、少しずつ君のことが掴めてきた気がするよ。あとでリフィーに話しておこう。……さて」
ナプキンを卓上に置き、ベルナデット様は立ち上がった。
「そろそろ時間だ、マリモ。部屋に戻って登校の準備をするといい」
「……かしこまりました。速やかに準備いたします」
お辞儀をして、食堂を出ていく後ろ姿を見送る。
空いたお皿は片付けなくていいとのことだから、これでとりあえず、今朝私が割り振られた仕事はすべて終えたことになる。
時刻は午前七時半。
これをもう七時半と捉えるか、まだ七時半と捉えるかは人によるだろう。
けれど――どちらにしても。
「今日も長い一日になりそうね」
誰もいない食堂にぽつりと呟いて、私は客間へと戻った。




