第1話『Even when apart, like Spica.』
☆
――無いモノをあげることができるか。
それが愛を受け取れなかった私の、それでも愛を返したかった私の。
人生のテーマだった。
「ん――ちょっと待って、マリー」
「どうかした?」
隣を歩いていたキリエが、急に足を止めた。
私は振り返ってその顔を見上げる。私と彼女の身長差はちょうど三十センチもあるので、さながら星の浮かぶ夜空を観測するみたいな、結構な角度になるのだ。
そうして見つけたキリエの、まるで流れ星のように煌めく紫色の右目は、すぐ横の路地へと向けられていた。
視線の先を追いかけて、キリエが立ち止まった理由を理解する。
「あ……」
北区特有の、個性を引き換えにして見栄えのいい統一感を手に入れた、西洋風の街並み。
その建物と建物の間。眩い朝の陽射しでさえ仄暗さを拭いきれない細い路地に――女の子が座り込んでいた。
外見から推察するに、年齢は小学校の中学年ぐらい。
傍から見て一目で迷子だと分かるほどに、その子は今にも泣き出しそうな顔をしていて。
どこに通じているのかも定かではない道を前に、怯えて動けなくなっていた。
親が手を離してしまったのか。
一緒に登校していた同級生を見失ってしまったのか。
あるいは――このヘリオスレッタで迷子といえば、思い当たる節がもう一つ。
「あの子、もしかして」
「うん、あの日の君と同じだ。……ごめん、先に行ってて」
申し訳なさそうな声で、もう見慣れたお人好しの顔で、キリエはそう言った。
「私も行くわ。転生直後の人を見つけた場合、速やかに最寄りの騎士団まで送り届けなければならない――それがこの世界のルールなのでしょう?」
「一人付き添えば問題ないよ。君を初日から遅刻させるわけにはいかない。それに、どうせこのまま一緒に行ってたら、また迷惑かけてただろうしさ。ここは私も一緒に助けると思って、ね?」
「……もう」
苦笑してしまう。
そんな言い方されたら納得するしかないと、すっかり見抜かれている。
それがなんだか、もどかしくて、小気味よくて。
「分かった、分かったから。……代わりにこれ。よければあの子に」
私はポケットから飴――りんご味とぶどう味――を二つ取り出して、それをキリエに握らせた。
このあと緊張したときのためにと忍ばせていたものだが、役立つかもしれない。
飴で気を引こうだなんてとんだ子供騙しで、気休めにもならないありがた迷惑だと自覚してはいるけれど。
それでもと……祈りを込めて。
「うん。任せて」
「それじゃあ、また学院でね。サボっちゃダメよ?」
ちょっとしたお返しのつもりで言ってやると、キリエは私と同じ困ったような笑みをこぼしてから、路地のほうに足を向けた。
「ちぇー、よく分かってらっしゃる。……また、あとでね」
黒革の手袋を付けた右手を軽く振って、路地へと吸い込まれていく彼女の背中。
その姿を横目に、私は通学路へと踵を返す。
束の間。陽射しが生み出した私自身の影の中に、いつかの光景を見た。
――夜の世界。青白い月明りだけが照らす、もう見慣れたレンガの街並み。
カビくさい路地裏の壁に背中を預ける私と、私に手を差し伸べてくれた彼女。
ここは異世界――ヘリオスレッタ。
ある誰かは、ここを『大いなる車輪に押し潰された者の行き着く世界』と。
ある神父は『天国と地獄の狭間である罪を浄化するための煉獄』と。
私は『報われなかったモノに報いを与えるための世界』と解釈した。
きっと、明確な答えはないのだと思う。
ただ確かなのは、ここに転生した以上、あの子もきっと何か大切なモノを失ったということで。
そして前世と同じ魂を宿すその身体は、忘れたい記憶を嫌でも忘れさせてくれないはずだ。
……失意の果てに空へと墜ちた、私のように。
あの子のもとにも、きっといつか報いが訪れる。
それを、あの子はどう受け取るだろうか。
この世界のことを教えられて。
もう二度と会えない家族や友人の顔を思い出して。
絶望に病んでケア施設に送られるか――あるいは授かった奇跡を胸に、前を向いて生きていくことを選ぶのか。
……分からない。
それはあの子の物語で。
それは私の与り知らぬところで紡がれていく物語だから。
それでも一つ言えることがあるとするなら。
あの子のエスコートを引き受けたキリスキリエは、星の光を宿している。
身を焦がすほどに眩しく、雪を融かす春の陽光のような。
そんな優しい温もりを。
六月二十一日になったばかりの夜。
あるいは六月十九日の昼間から始まった、再誕の六日間。
それを乗り越え、命をやり直すことを決めた私は、彼女の輝きをこの身を以て味わった。
だから心配することはない。
あの子に何があっても、きっとキリエが力になってくれる。
ふとよぎった一抹の不安を振り払うように、私は歩き出した。
いつかどこかで、あの子と巡り合えることを、想像しながら。
さあ往こう。
本日、六月二十九日。アプステラ魔術学院にて。
私――マリモジュナの、第二の学生生活が幕を開ける。




