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ビニース・ザ・ウィール -反逆少女と宝石令嬢-  作者: 悠葵のんの
第一章《星を追いかけて》
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第15話『プティ・シムティエール』

     ☆


 ――建物の屋根を、奔っていた。

 淡い光を身に纏い、曇天の空を見上げた誰かが雷鳴と見間違うような速度で。

 まさに疾風迅雷の如し。

 それが、校舎の二階から飛び降りた後の私たちの姿だった。


 危なげなく地面に着地し、すぐに校門へと続く森に入り、塀を飛び越えて市街地に入るのと同時に近くの街灯から喫茶店の屋上、喫茶店の屋上からアパートの瓦屋根へとコースを変えて――あとはずっと、障害物のないまっさらな草原にでもいるかのように、ライナさんは颯爽と街を駆け抜けた。


 一方で私は、ジェットコースターを思い出す風と揺れと時折訪れる浮遊感を、とにかく無心でやり過ごして……そうして数分ほど経った頃。


 速度が少しずつ落ちてきたと感じ、再び内臓の浮き上がる感覚に襲われた瞬間、ライナさんが地上のどこかに着地して足を止めた。


 場所は人通りの少ない住宅街の一角のようだった。


 似たような外観の家が立ち並ぶ光景。

 けれど、そんな変り映えのしない景色の中にひとつだけ、ともすれば場違いにも思えるほど広い敷地を有したお屋敷があった。


 私を降ろしたライナさんは、正面の大きな門扉を開けて、静かにお辞儀をする。


「――『プティ・シムティエール』にようこそ、お客様。ベルナデット様がお待ちです。ご案内いたしますので、どうぞ中へ」


 それまでの親しみやすい態度から一転。

 使用人として一本芯の通ったライナさんの一挙一動に驚かされながら、私は敷地内に足を踏み入る。


「プティ……シムティ、エール……」


 辺りに広がる庭園や、その奥でぼうっと明かりを灯して佇む荘厳な建築物に圧倒されながら、先ほどの言葉を……名前を繰り返す。


「ここはベルナデット様が個人で所有されているお屋敷なんだ。だから、ロードナイトの本邸と区別する意味も込めて名前が付けられたってわけ。プティエールって略して呼ぶこともあるよ」


「個人で所有……」


 そういえばルカが、先輩はご自身でも事業を立ち上げていると言っていた。

 ということは、先輩は自分でお金を稼ぎ、マイホームとしてこれほど立派なお屋敷を所有しているということか。


 ……すごい。

 本当にもう、すごいとしか言いようがなかった。


 私とたった一歳しか違わない人がここまでの成功を築き上げているなんて。

 その事実に抱く感情は、もはや純粋な尊敬じゃない。嫉妬なんて持ってのほか。

 上手くは言えないけれど、それでも強いて言うならばこれは――畏敬だ。


 だって何の理由も、そして努力も無しに、ここまでの結果を得ることはできないと思うから。


 何があの人を突き動かしたのか。

 常人には背負う機会すらない重圧を、その手触りを、この空間が教えてくれているようで、どこまでも身の引き締まる思いだった。


 ――ライナさんが扉を開けてくれて、お屋敷の中に入る。


 温かい暖色の明かりを浴びながらレッドカーペットの上を歩き、そうして玄関ホールを抜けると、次に待っていたのは煌びやかな大広間だ。


 なんて耽美で、厳格な光景だろう。


 足元に広がるのは精緻かつ鮮やかなデザインの大きな絨毯。

 その上を家具が彩り、壁面には絵画、存在感を放つ柱は部分的にダイナミックな意匠が施され、インテリアのランプも観葉植物も手が込んでいる。


 吹き抜けの高い天井。奥へと進めば階段から二階に上がることができ、手前にある暖炉の横や別のカーペットが敷かれているところにも扉がある。

 この広間は家具こそ置いてあるものの、おそらく普段は私室や食堂、書斎といった別の部屋への通り道なのだろうか。


 そんな複数ある扉のうちの一つに、淡いライトブルーの髪を持つ綺麗な人が立っていた。


 端正な顔立ちにすらりと伸びた高い身長。

 その恰好は、正装、と言えばいいのだろうか。

 執事の恰好と言われてイメージする黒い燕尾服を、きっちり着こなしている。

 雪の降る夜を思わせる静謐な雰囲気。

 中性的な外見だが、しなやかな身体のラインから女性であることが窺えた。


 ライナさんはその人とアイコンタクトを交わし、私を振り返る。


「オレはここまで。……またね」


 一礼したあと、片目でウィンクして去っていくライナさん。

 そんな彼と交代するように、今度は燕尾服の方に声をかけられた。


「どうぞ、こちらのお部屋です」


「……はい」


 案内されるまま、私は扉の開かれた部屋へと入った。


「マリモジュナ様です」


「む、来たか」


 暖炉の前のソファーに座っていた二人が、会話を止めて立ち上がる。

 一人は、百年前から不変を貫いていると言われても信じられる、重厚で煌びやかな家具たちの所有者。

 この『プティ・シムティエール』の主――ベルナデット先輩。


 そしてもう一人は、先輩と同じアプステラ高等部の三年生にして、今日はもう会えないと思っていた、こことは別の建物の主。


「こんばんは、マリモちゃん」


「りょ、寮長っ? どうして――」


 ストレリチア寮の寮長、ルキア・スウィンバーンその人だった。


「私が呼んだ。彼女にも事情説明が必要だと思ってな。まあとにかく座ってくれ。ラフィー、彼女に温かいお茶を」


「ただいま」


 ラフィーと呼ばれた燕尾服の方が部屋を出ていく。

 それを横目に、私は先輩二人に促されるままソファーに座った。


「まずは謝罪を。すまなかった、マリモ。君の名誉を傷つける手段を取ってしまったことを、酷く悔いている」


「い、いえ、そんなっ……あれは受けるべき当然の報いだったと思っています。その――」


 むしろ責められて当然。

 先輩が気にする必要など、ましてや謝ることなど何一つないのだ。


 ゆえに私は改めて、謝罪を口にして頭を下げようとした。

 が、そのとき、昼間の言葉が脳裏をよぎる。


 ――過度な謝罪は先輩の気分を害するだけだと。


「もう、そんなに思い詰めないで、マリモちゃん」


「その通りだ。……力不足を嘆くべきはこの私だよ」


「ベルナもそこで張り合わないの。あなただってよくやったと思うわ。コリーナちゃんのお茶会を守り、委員会と協会の衝突を防ぎ、マリモちゃんのことも保護してあげるんでしょ? こう言っては何だけど、守れたもののほうが多いじゃない。

 そして失ったものも、時間はかかるかもしれないけど、決して取り返しがつかないわけじゃない。だから反省はここまでにして、今後どうするか、そのために何をするかに切り替えていきましょう」


 いつまでも失敗を引き摺って足踏みするよりも、賢明なことがある。

 そう諭す寮長の言い方に、先輩が苦笑する。


「君の仕切り屋なところは、こういうとき心強くて助かるよ」


「あら、普段は面倒? というかあなただってそういう部分はあるわよね。人をまとめる立場にあるんだから。どうしてか最近は、少し鈍ってるみたいだけど」


「……返す言葉もないな」


 お互いに遠慮のない会話だった。

 いや、むしろ先輩が押され気味にも思えた。

 それは単に同級生だから、ではないだろう。


 同じ三年生のクラスメイトでさえ、ベルナデット先輩に対しては憧れや畏怖から距離感を作っているように見えたし、それを思えば、先輩と寮長は聞いていた以上に気の置けない友人なのかもしれない。


 砕けた様子のベルナデット先輩に、良い意味でギャップを感じる私。

 おかげで人心地ついたというか、知らぬ間に表情が強張っていたのだと自分で気付くぐらいにはリラックスできた――束の間だった。


「それじゃあ、そろそろ話を聞かせてくれるかな、マリモちゃん」


 さりげなく、けれどはっきりと、寮長が本題を切り出した。

 それまで感じていた歓談の雰囲気が、急速に薄れていく。


 一瞬、その切り替わりに戸惑いかけたけれど……大丈夫。

 謝罪や断罪のために来たわけでない以上、やるべきことは理解している。


「……はい」


「ではよろしく頼む、マリモ」


 そうして私は、今日という長い一日を振り返りながら、事情説明を始めた。


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