第10話『立ち込める香りと暗雲』
☆
「――――っ」
思わぬ問いに。
いや、聞きたくなかった問いに目を見張り、思考が切り替わる。
「そうお尋ねになるということは……ベルナデット先輩はご存知ではないのですね? 寮長のお話を受けて、来ていただいたのではなくて」
「寮長? ルキアのことか? もしやこれは、彼女が画策した私への警鐘なのか?」
「……警鐘? いえ、違うと思いますが」
「であれば、私は何も聞いてない」
どうも先輩は先輩で、入寮テストのこととは違う別の心当たりがあるらしい。
「私が招待を受けたのは、明らかに事情を抱えている様子だった君の背景や、その真意を見定めようと考えたからだ。必要なら手を貸すため、あるいは、こちらから打って出るために」
「……打って、出る……」
「そう不安を表に出さないでくれ。精一杯お茶の用意をする君は悪人には見えなかった。どのような事情であれ悪いようにはしないと約束しよう。――私を信じて、事情を話してくれるか?」
「…………」
逡巡する。なにも、話すタイミングが一度も無かったと言うつもりはない。
無理を押せば一度か二度は機会を作れたはずだ。
ならばなぜそうしなかったのかと問われれば、こう答えるしかない。
私は――何も訊かずに誘いを受けてくれた先輩に、甘えたのだ、と。
要は、藪蛇になることを忌避したのだ。
先輩の快諾の理由が、入寮テストのことをあらかじめ聞いていたからなら、それでいい。
万が一そうでなかった場合でも、一応の対策は講じたつもりだ。
だから憶測の域を出ない話をして無闇に不安を煽るよりも、『厚顔無恥な後輩に恥をかかせないよう先輩は誘いを受けてくれた』という舞台を、最後まで貫き通すことが最善と考えた。
何も起こらないことを祈るのが一番であると。
しかし先輩は強い人であり、そして寛大な人だ。
……話そう。きちんとした理由があるのなら、この人は一方だけでなく、もう一方の事情もきちんと汲み取ってくれるはずだから。
「分かりました。推測も含まれますが、私の知ることをすべてお話します。その代わり、と言える立場ではありませんが、今回の一件に関しては寛大なご処分をお願いいたします」
「約束しよう。君の勇敢な決断に感謝する。では――」
突然立ち上がった先輩は、ティーコジーへと手を伸ばし、
「……え?」
中からガラスポットを取り出して、優雅な所作でお湯をカップへと注いだ。
紅茶を淹れる前準備だ。
隣に置かれた砂時計に目をやる。
ちょうど、中の砂がすべて落ちきるところだった。
「まずはお茶をいただこう。これでも秘密を打ち明けられることには慣れているつもりだが、どのときも大抵、あとから一杯の紅茶が欲しくなるのでね」
冗談交じりに言う先輩。
その柔らかな声が言外に、心して味わうと決めたのだろう、と告げている気がして、私も急いで立ち上がる。
そうだ。言葉は濁さないと決めた。ならば紅茶も濁してなるものか。
味わうならちゃんと、最大限美味しく、何も損なわないようにしないと。
私はもう一方のポットを手元に寄せる。
そこから抽出し終えたティーバッグを、味ムラができないように軽く揺らしながら持ち上げて、ゴールデンドロップと呼ばれる最後の一滴まで落としきり、ポットに蓋をして……と。
先輩のおかげでカップは既に温まっている。
不要になったお湯を、観賞用も兼ねた水瓶に捨て、これで下準備は終わりだ。
ティーポットを手に取り、私は慎重に丁寧に、輝かしい虹を描くように、紅茶を注いだ。
すぐさまカップに満ちてふわりと浮かぶ、スイーツのように甘く、それでいてしつこくないフルーティーな香り。
……素敵だ。人は言葉や仕草を使って場を支配する。だけどこの紅茶は、そのフレーバーを以てして、この空間を我が物としていた。
まだ口にしてもいないのに確信する。
これは間違いなく、今まで飲んできた紅茶の中でも特別な一杯になる、と。
「ああ……さすがに良い香りだ。最初の一杯にこれを飲んだ者は、確かに紅茶の魅力に気が付くだろう。良くも悪くもこの味が忘れられなさそうだが」
「同感です。……どうぞ」
ソーサーごとカップを持ち上げて、先輩の手元に置く。置こうとした。
その、直前だった。
「 、」
何か、背筋を震わせる奇妙な感覚が、脳の奥を貫いた。
産毛が逆立つ。瞳孔が開く。
右手に持ったカップを眼下に望み、琥珀色に染まった底面が、僅かに光を放っているのを目撃する。思考する前に身体が動く。傾いた重心と慣性に抗うように身を捻る。そして、次の瞬間。
――紅茶が爆ぜた。




