第9話『お茶会の始まり』
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四限目の授業を乗り越え、ついに勝負の時がやってきた。
昼休みを迎えてすぐに三年生の教室に向かい、ベルナデット先輩と合流。
そうしてすれ違う生徒たちからの羨望、嫉妬、好奇の視線を浴びながら、中等部と高等部の校舎が囲い合った――中庭の一角に到着した。
思い返してみると、セレナ先輩と初めて会ったのは、校舎正面の噴水庭園だったっけ。
だから、こうしてお茶会のメインフィールドとも言うべき中庭に来るのは、初めてのことで。
中庭を見渡す。席は全部で六組分あるようだ。
校舎に合わせた意匠のガゼボがあり、そこに一組分。多分これは元々あった物。
そこから扇形に広がるようにして、あとから持ち込んだ物が五組分並んでいる。
と、観察しているうちにセレナ先輩の姿を見つけた。
ガゼボの前で花のように美しく佇む彼女のもとに近付き、会釈をする。
「ようこそマリモちゃん。そして初めましてロードナイト先輩。このお茶会の主催をしています、セレナ・ホーソンです」
「初めまして。今日は素敵なお茶会に参加できてとても嬉しいよ」
「恐縮です。先輩は普段から様々なお茶会にご出席されていると存じます。それらと比べれば洗練されていない部分も目立ちましょうが、どうか学院内の羽休め場所として、お気軽にお使いいただけたらと思います。――どうぞ、こちらのお席へ」
挨拶もほどほどに、先にベルナデット先輩から案内される。
その隙にちらりと確認を、と……よし。
予定通り、ガゼボに鎮座するガーデンテーブルの隣には、茶葉やティーカップをいくつも乗せたワゴンが置かれている。
「……マリモちゃん」
セレナ先輩が段差を下りて、さりげなく柱の陰になるような位置で、こっそり耳打ちをしてくれる。
「……言われた通り、いくつか未開封の茶葉を用意しておいたわ。ティーカップも普段は仕舞っているとっておきを何種類か並べたから、どれもお気に召さないなんてことはないはずよ」
「助かります。お礼のケーキセットは近いうちに必ず」
「うふふ、本当にいつでも大丈夫だからね。最長四時間の行列だし」
「はい、覚悟を決めておきます」
短くやり取りを済ませて、私も席に着く。
そして持参したお弁当箱を、ちょっと似つかわしくないかな、とは思いつつテーブルの上に置く。
お茶会は授業時間の都合上、いわゆるアフタヌーンではなくランチタイムに開催されるので、昼食は自分で用意しなければならないのだ。
……今朝これを作ったときは、最悪お手洗いで孤独に食べることになるかもと想像していたけど、まさかこんな素敵な場所になるとはね。
「わたしはこれにて失礼します。細かな決まりなどはぜひマリモさんから、お話のタネとしてお聞きください。それでは、ごゆっくりどうぞ」
丁寧に一礼して、セレナ先輩は踵を返した。
その後ろ姿と、人が集まり始めた別の席の様子を眺めながら、ベルナデット先輩は言う。
「学院内の羽休め場所か。ここは彼女を中心に、生徒たちが様々な物を持ち寄って形作られているのだったな?」
「はい、そう聞いています」
「……良いところだ。どことなく、ミリエルの優しい雰囲気に似ている」
「ミリエル、ですか?」
「少しばかり縁のある場所の名前さ。ところで、先ほどから気になっているのだが、私はこの中から気に入ったカップと茶葉を選んでいいのかな」
テーブル横のワゴン――ティートローリーの上に並べられた品々を見る先輩。
「あ――はいっ。どうぞ、お好きな物をお選びください」
「では……茶葉はそれを。その『アネモネ』は、以前から一度飲んでみたくてね。ここで巡り合えたことに、実のところかなり驚いている」
最初から目を付けていたと言わんばかりに、先輩はお洒落なデザインの袋を手に取った。
「有名な物なのですか?」
「いわゆる著名人とのコラボ商品だな。君が淹れてくれるのかい?」
「お任せくださひ」
「ひ?」
「い」
なんとか平然を装って答える。……装えていると信じたい。
ただでさえベルナデット先輩と対面しているこの状況に緊張しているのに、その先輩に私が紅茶を淹れるなんて……。
予想していたとはいえ予想以上の重圧だ。
「カップはシンプルなレリーフの……いや、そちらのポットマリーゴールドの物にしよう。あまり見ない意匠だ。たまには派手に舞い上がってみるのも悪くない」
「かしこまりました」
差し出された袋を受け取る。
成分表の隣に記された淹れ方の説明に目を通す。
……ふむ。種類としてはティーバッグみたいね、これ。
抽出時間はカップとポットで少し変わるけど、基本三分から四分の間をお好みで、と。
これでも紅茶の淹れ方については、あらかじめティーポットやカップを温めておくとか、茶葉を蒸らす時間を取るといいなど、最低限の知識はあるつもりだ。
加えて今回は、セレナ先輩から頂いた説明カードも読み込んである。
だからいける、はず。
「――――」
早速私は、テーブルの上に二つ置かれた半球型の保温カバー――ティーコジーというらしい――を片方ずつ持ち上げた。
中から、抽出用のガラスポットとサーブ用のティーポットが姿を見せる。
既に熱湯を注いで保温状態にある物だ。
本当なら沸騰したてのお湯を使うのがいいらしいけれど、カセットコンロがあるわけでもなし、屋外では難しい部分もあるのだろう。
セレナ先輩は、出来る限りすぐにお茶を淹れられるような準備をしている、と説明カードの注意書きに記してあった。
……さて。今回の『アネモネ』はティーバッグだ。
つまりリーフティー――茶葉をわざわざポットで抽出する必要はなく、カップに入れてお湯を注いで待てば、それで淹れられるタイプの紅茶だ。
よってのポットは不要……だけど、確かに手軽さがティーバッグの長所ではあるが、ポッドを使ったほうが保温が効いて、長く味わえるというのもまた事実。
お茶会であれば、都度淹れ直すよりそちらのほうがいいだろう。
ということで私は取り出したティーバッグを二つ、抽出しやすいようによく広げてから、サーブ用のポットに浸した。
わざわざサーブ用のほうを選んだのは、陶器製であるこちらのほうがより温度の維持に優れていると判断したからだ。
紅茶はとにかく温度が命――と力強く書いてあったため、私も過剰なぐらいそれを意識する。
抽出用のポットはついては、茶葉が散らばる心配はないから、今回はお休みね。
蓋を閉めて、すかさずティーコジーを被せる。
抽出時間は三分から四分のため、Ⅳと彫られた砂時計をひっくり返す。
ええと、あとやることは……待っている間に使わないお湯でティーカップを温めるのだけれど、それは淹れる直前でいいと思う……多分。
「……ふぅ」
よし。ひとまずはこれで完了だ。
基礎編をすっ飛ばした応用編って感じだったけれど、何とか乗り越えられた。
カップを温めるお湯を捨てる水瓶を手元に寄せつつ、私は席に座り直した。
すると、一連の動作を微笑ましそうに観察していたベルナデット先輩が言う。
「――『アネモネ』は、多方面で活躍するスタァであるアネモネ氏の、『共通のお供』と『紅茶を嗜む生活への入り口』をコンセプトに、氏のファンに向けて作られた品でね」
それはきっと、邪魔するまいと宙づりにしていた、最初の質問の解答だった。
「有名店に勤めていたプロをコンサルタントに起用したおかげだろう。価格を抑えたエントリー向けの商品でありながら、その質はかなりのものだった。試飲会でその手のマニアが『希少ブレンドの高級品と同じステージに立っている』と評したことをきっかけに、ファンだけでなく、それ以外の層にも一口味わいたいと思わせた逸品だ」
「すごい話ですね」
「ああ。しかしまあ、売れなかった。残念なことにな」
「それはまた、どうして?」
苦い思い出を語るような先輩の声に、私は首を傾げる。
売れなかった。それは前評判ほどヒットしなかったということだろうか?
一部のマニアが声高に魅力を訴えても、結局マニア好みの域を出ることはなく、ターゲット外の大衆には響かなかったというのは、ままある事例だと思う。
けれど元々がファンに向けた品なのだから、想定以上の購買層が立ち消えたところで、少なくとも当初の見込み通りには売れそうなものだけど……それは甘い素人考えなのだろうか?
「欲しいという者は大勢いた。だが流通に関わった商会が責任を果たしきれなかったのだ。いくつかのトラブルと発覚したミス、充分ではなくなった在庫、それはいい加減にばら撒かれて――あとは話題性と目先の利益に囚われた、普段は紅茶を飲まない簒奪者の餌食さ。……おかげで今やこれは、元のコンセプトに反する見事な『希少品』というわけだ」
「…………」
いくつかのミス、というのが具体的にどんなものなのかは分からない。
けれど膨れ上がった需要に対して、ひたすらに供給が追い付かなかったことは理解できた。
だから結果として売れなかった……か。
「でも、それほどの物がここにあるということは」
「主催者が用意したか、誰かが寄付したのだろう。感謝しなければな」
それを聞いて、私はティーコジーを、その中のポットを見つめる。
ベルナデット先輩と違って、私は紅茶に対して特別な思い入れや、強いこだわりを持っているわけではない。
ましてやアネモネ氏とやらのファンでもない。
そんな私が、貴重な一杯を飲んでしまっていいのだろうか。
数奇な巡り合わせに、まるで行列に横入りをしてしまったみたいな、後ろめたさを覚える。
いえまあ、そうは言っても、一度お湯に浸したものを今さら元に戻すわけにもいかないし、先輩のカップにのみ『アネモネ』を淹れて、私だけ改めて別の茶葉を選ぶというのも違うだろう。
それは選び直された茶葉への酷い冒涜になってしまう。
……となれば。考えを固めて、伏せた目を上げた。
「そうですね……心して味わおうと思います。せっかく機会を恵んでくださったのですから」
そうだ。私は恵まれたのだ。
望まずして転生という奇跡を賜った、この命と同じように。
そしてその事実は私をどうした?
そう、踏み出すことを決意させた。
あの日見送った、奇跡の起こらなかった命に認めてもらえるようにと。
意に反する偶然であっても胸を張って受け止め、価値ある必然にする――それこそが、叶わなかったモノに対して、せめて報えることだと知ったから。
だから同じように、私はこの巡り合わせを、己の行動を以て必然にしよう。
「これを機に紅茶のことを学んだり、何かお茶会へのお返しを考えてみます」
「うむ。それもまた恵まれた者の負うべきモノだとも」
先輩は微笑んで私の意思を肯定した。
さらりとした声音だったが、しかしそこには戒律を順守する信仰者のような、独特な精神の堅牢さが感じられた。
ノブレス・オブリージュの一端――私は今、それを垣間見たのだろう。
同時に先輩も、その吸い込まれそうなスカイブルーの瞳で私の中の何かを射抜いたらしい。
「いやはや正直言って感心したよ。君がそのような殊勝な心がけを見せてくれるとは。……いや、誤解を生む言い方だったな。私は、まだ知らない部分の多い君が見せてくれた一面に、良い意味で驚かされたと言いたいのだ。立派な志を持っているとな」
机の上で指を組んで、先輩は続ける。
「この調子なら――私をお茶会に招いたことにも相応の理由があると、期待していいだろうか?」




