2 夢喰い
九時半前になったので、黄色いスリッパをぽいぽいっと放り、ベッドに入る。と、こんこんこん。時間ぴったしにやってくる。
「おやすみになられますか?」
「うん」
「では、証明をお消しいたします」
パターンの決まりきった、短い会話。
壁のスイッチを押して、シャンデリアの明かりを消してくれる。すると部屋に残るのは、廊下からの光だけ。
「おやすみなさいませ、チャーリーぼっちゃま」
「おやすみ」
夢見の前のあいさつを終えて、静かに扉は閉じられる。
……することがないのなら、さっさと寝てしまうに限るっ。いつものように頭まですっぽり毛布をかぶると、どうしてかふっと、あの日のことが呼び覚される。
きょうはよく、昔を思い出す。
八年前のあの日。父親から、『異常者だ』といわれた。 わけもわからないまま、『病院』に入れられた。
おまえを治すため、と。
その日から、父親の色が消えた。いや、父親だけじゃない。周りにいたみんなから。──世界から。いまではもう、鏡に映る自分の色さえくすんで見える。
味のしない食事。「おまえの病気はうつるから」、最低限のみを許された会話。使用人以外の、誰にも会わず会えずの日々。
抜け出したいのは病室からじゃない──世界から。
色のない世界を生きていた。色あざやかな世界にこがれていた。
そんなときだった。
夜が深まる。今夜はやけに、月がまぶしいようで。
ふと目を覚ますと、いつの間にやら毛布から顔だけ出して眠っていたようで、足もとのほうから光を感じる。まだ眠たげな体を座らせれば、半分開いたカーテンから、月の光が差している。チャーリーの足もとから向こうに立ち込める、黄色い光。
なにかが起こりそうな、そんな予感にあふれる夜だった。きょうもまた静かな夜だ。聞こえてくるのは、カチ、コチ、カチッ、コチ……真夜中を飾る時計の秒針、コンコンコンッ、扉をノックして弾む音。
…………。
…………?
──扉をノック?
違和感に気づき、病室の入り口へ目を向ける。光の届かない、暗闇の中。
空耳だろうか? けれどまた。
コンコンコンッ。
誰だろうか、こんな夜中に?
「アンナ?」
使用人の名前を呼ぶも、返事はない。さらに、
コンコンコンッ!
誰かと約束でもしていただろうか? そんなはずはない。
コンコンコンコンッ!
もちろん身に覚えもない。徐々に回数も勢いも増してきた。チャーリーはしかたなく、扉の向こうへたずねかける。
「──誰だい?」返事の代わりに、
コンコンコン! ゴンゴンゴンッ……ドンドンドン!! ドンドンドンドン──開けてくれといわんばかりに、扉をこぶしで叩く音がする。
そこまでするなら扉に鍵はかかっていない、開ければいいのに。
この部屋に充満した空気のせいか、かすかに芽生えた好奇心。口を突いて出た、その言葉──
「入っていいよ」いい終えぬうちに、
バンッ!!
待ってましたといわんばかりに、わりと乱雑に扉は開かれ──ソレは現れる。
「ハッハッハ、スバラシイ満月! きょうの夜にふさわしい!」
大声でいって、部屋に足を踏み入れるソレ。ヒョロリと背が高く、頭に乗せたシルクハットが扉にくっつきそうだった。扉は閉めずにチャーリーの足もとに立ったソレの全身が、月光の明るみにさらされる。
降り注ぐ光に照らされたニンマリの笑みが、こちらを見ている。
ひとまず喰われる心配はないようだと、そのカオを見つめ返しながら思う──その、人形のカオを。
暗がりの中では『予感』に留まっていたものが、いま『実感』として、くっきりと目と鼻の先にある。ソレの姿は、まさしく動く人形のようで。
布製のカオにぬいつけられた高い鼻。二ンマリと、ギザッ歯をむき出しに笑う口。左右で微妙に色や大きさが違うボタンの目は、いまこちらを見下ろしている。細いウエストに合わせて着つけられた紳士服に、首もとには赤の蝶ネクタイ。シルクハットのつばの部分には、ゴチャゴチャとおもちゃがかざりつけられていた。
けどそれだけじゃない。はじめにチャーリーを驚かせたのは、なんといっても彼の声。その声は、いつもの夢で聞いていた声。だからだろうか、いま目の前にいるソレ自体、どこかなつかしく感じられた。
いろいろと、ついていけなくなったチャーリーに、ソレは、かまわず自己紹介をはじめる。
「ハッハ! 私はドミー、〝夢喰い〟のドミーだ! よろしくチャーリー!」
と、白手袋の手を差し出してくる。
「……よろしく」
その手を、握り返してしまった。握手。
どうやらチャーリーの名前を知っているようだけど、いや、そもそもなんなんだろうか。手を離しながら、〝ゆめくい〟のドミーに目を向ける。
その視線には気づかずに、それにしても、と部屋をクルリと見渡す〝ゆめくい〟。
「やはりせまっ苦しい部屋! 息が詰まる! あっ、しかしここの絵はイイ!」
壁の絵をのぞき込みながら、折った腰をこちらに向けていたソレは、やがてハッと立ち上がると、こちらに体を向ける。
「説明しよう! 簡潔になッ」
そういったかと思うと、人差し指を立て、歩き回り出した。




