1 病院
夢から覚めれば、そこは見飽きるほどに見慣れてしまった、いつもの病室。
こてん、と体を起こす。
こちらを四角くとり囲う、白い壁と白い天井。ぶらさがる質素なシャンデリア。左どなりに顔を向ければ、灰色に塗りたくられた空が見える。きょうも晴れない。近ごろ太陽が顔を出さずに、かといって雨が唄うわけでもない、こんな空ばかりを眺めている。
そろそろ充分なそれから目が向かうのは、絵だ。額額の中のもの、そうでないもの。向かいの壁を彩る小さなラクガキたちが、ここに閉じこもる重たいソレを中和している。
病室の扉横には扉より大きな巨大本棚。いろんな種類の本たちが、情けも容赦もなく詰め込まれている。本好きには知られたくない。近くにはまるテーブルと、線の細いシャレたイス。さらにバスルームへつなぐドアが一つと、部屋の中央には羽毛のじゅうたん。ふわっふわで、なかなかの踏み心地だ。
と、正面にたたずむ柱時計が七時をさした。
同時に、こんこんこん。ひかえめなノックがされる。
毎朝毎晩、機械のような正確さだ。「どうして」なんて、たずねるつもりもない。
「入っていいよ」
ベッドから声をかけると、ギィ、と扉を開け、ひとりの老婆が入ってくる。
「おはようございます、チャーリーぼっちゃま」入ってすぐのテーブルに、洋服をそっと置く。「お召し物はこちらに」
「おすみになられましたら、下で朝食のご準備ができております」
口を開く隙も与えてくれずに、「お待ちしております」
ばたんと扉は閉じられて、遠ざかっていく小さな足音。それが聞こえなくなってから、ベッドを下りてスリッパをはく。
ほのかに淡い黄色のカーディガンと、ひざ下までの茶色の半ズボン。着替えをすませたら、パッパと身支度を整えて階下へ向かう。朝ごはんだ。
チャーリー・リムノン。綿毛のような金髪に、まんまるの黄色い瞳。幼顔の口もとに、とりあえずの笑みを浮かべて、日々の味気なさにはフタをする。
どうしたって変わらない毎日の中で、八年は、思っていたよりも長かったかもしれない。
三つのころから続く、ここでの暮らし。病院暮らし。
ずいぶん昔に慣れてしまった。
朝になれば目が覚めて、楽しくもない勉強をして、本を読む。八年を過ごすにはせまい気もする広い広い庭へ出たり、ときどき、 ヒマつぶしにちょうどいいプレゼントが送られてきたり。
ただ、四人用のボードゲームが届いたときには、なんの嫌味かと思ったものだ。なぜならチャーリー、この病院からは出られない上、ここに、誰が会いにくるワケでもないのだから。
だからここ数年、会話をしたのはじいやばあやの数人だけだ。ひまつぶしの相手がほしいわけではなかったので、かまわなかった、けれど。
どうしようもなく、つまらない八年間だった。
まだ、続くだろうか。
ふと思う。
いつまで続くだろう?
考えたところでしようがないと、考えるのをやめにして、飾り気のない簡素な階段を下りていく。
およそそれとは思えない造りをした病院だ。一番上の三階にはチャーリーの部屋、食堂やホール、使用人部屋のあるのが一階。二階はまるまる全部、大きな図書室のようになっている。けれどチャーリー、なにせ本が好きではないので、ここ八年で一、二回足を踏み入れたことがあるかないかだ。ヒマなのに。
それだけじゃない。この病院に、患者はチャーリーひとりだけ。おまけに〝患者〟といってみても、チャーリーの身体に異常はない。
ならなんなのかと、そう、ここはフツウのお屋敷だ。病院でもないなら当然、治療もなにもありはしないで、ただ、かご籠もりの日々を過ごす。
あと数歩で、地獄にさえなりえそうだと悟っている。
そんな毎日をつないでできた、線のおわりはいつだろう?
午前中には政治と地理の勉強を三十分ほど。難しい言葉ばかりでまるっきり中身の入ってこない本を読んでお昼まで。午後にはさしずめ、小さな森のような庭を散歩する。
途中、木かげに転がるサッカーボールを見つけ。脳裏によみがえる。あれは数年前にもらったプレゼントだったはずだ、だけどなにをどう蹴ろうとも、あさってへヘロヘロ転がっていくボールにものの数分で飽きが差す。
そんなチャーリーがいくら空を蹴ろうと、庭の池にボールを落とそうと、あげく落ちたボールに手を伸ばし、自分が池に落ちたときさえ「上手上手」とぐっしょり笑顔で手を叩いてくれた、あの使用人は元気だろうか。あのあと彼は風を引いた。
空の灰色がワントーンほど暗くなったので、もと来た道を引き返す。夕食にはずっとむかしに好きと伝えた、エビ入りのグラタン。木の実のパイ。いまはもう──
それでもできたてほやほやの料理からは、あたたかい湯気が立ちのぼる。
……なんて、つまらない日常を長ったらしく描いていたってしょうがない。
そんなこんなで、いつも通りの夜がくる。




