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第9話:王国からの厚顔無恥な使者と、決別の透明なスープ


ナイトフォール帝国の謁見の間。

重厚な黒石の扉が開くと同時に、場違いなほど着飾った一団が足を踏み入れてきました。

先頭を歩くのは、ソルスティア王国の外交官、ヴァーリ伯爵です。

彼は鼻をつまむような仕草をしながら、軽蔑の色を隠そうともせずに辺りを見回しました。


「……やれやれ、相変わらず瘴気臭い国ですな。こんな場所に我が国の貴石を置いておくわけにはいきません」


その傲慢な態度に、玉座の傍らに立つバルガス様が剣の柄に手をかけ、低い唸り声を上げました。

しかし、玉座に深く腰掛けたゼノ様が片手を挙げ、それを制します。

ゼノ様の紅い瞳は、北極の氷山よりも冷たく、使者たちを射抜いていました。


「ソルスティア王国の使いか。我が婚約者に対して随分な物言いだな」


「婚約者? ハハハ、冗談を。クロエ様はジュリアン王太子殿下の許嫁。一時的な『預かりもの』を返していただきたいだけです。殿下も『過ちを認めて戻ってくるなら、側妃として迎えてやってもいい』と寛大なお言葉をくださっておりますぞ」


ヴァーリ伯爵の言葉に、私は拳を強く握りしめました。

毒殺未遂の冤罪をかけ、この死の森へ捨てたのは誰だったのか。

今更、都合が良すぎます。


「私は戻りません。私の居場所は、このナイトフォール帝国にあります」


私が一歩前に出てはっきりと告げると、伯爵は信じられないものを見るような目で私を見ました。


「クロエ様、正気ですか? こんな不味い飯しかない魔族の国に、あのおっとりとした貴女が馴染めるはずがない。さあ、美味しい宮廷料理が待っていますよ」


私はふっと、悲しい笑みを浮かべました。

美味しい宮廷料理。

彼らはまだ、自分たちの食卓がなぜ輝きを失ったのか、その本当の理由にすら気づいていないのです。


「伯爵。貴方たちがどれほど愚かな思い違いをしているか、私の料理で教えて差し上げます」


私はゼノ様に視線を送り、許可を求めました。

ゼノ様は一瞬だけ心配そうに眉を寄せましたが、私の決意の固さを悟ると、深く頷いてくれました。


「よかろう。クロエ、お前の望む通りにしろ。バルガス、厨房の警護を。鼠一匹近づけるな」


私は一時間後、謁見の間の大テーブルに一皿のスープを用意しました。

それを見たヴァーリ伯爵は、露骨に鼻で笑いました。


「……なんだ、この水のようなものは。具も入っておらず、色もついていない。これが帝国の『最高のもてなし』ですか?」


「これは『氷晶根ひょうしょうこん』と『純星の雫』を煮詰めた、決別のコンソメスープです。毒見は済んでおります。どうぞ、召し上がってください」


マリア様がまず一口飲み、その透明感のある味わいに深く目を見開きました。

続いてゼノ様、バルガス様も口に運びます。


「……驚いたな。見た目はただの水のようだが、口に含んだ瞬間に、森の全ての生命の力が喉を駆け抜けていくようだ。これほどまでに純粋で、濁りのない味があるのか」


ゼノ様の感嘆の声に、伯爵は疑わしげにスプーンを手に取りました。

そして、一口。


「なっ……がはっ……!? なんだ、これは……!」


伯爵が椅子をガタつかせて立ち上がりました。

彼の目から、ボロボロと大粒の涙が溢れ出します。


「美味い……美味すぎる……。雑味が一切ないのに、肉の旨みと野菜の甘みが、まるで奇跡のように調和している……。な、なぜだ。我が王宮で今出されているスープは、これと同じ材料を使っているはずなのに、なぜあんなに泥臭くて吐き気がするものばかりなのだ!」


「それは、貴方たちが『加護なし』だと笑った私の力が、全ての食材を無意識に浄化していたからです。貴方たちが捨てたのは、ただの令嬢ではありません。この国の、そして貴方たちの命の源を捨てたのですよ」


私の言葉が、静まり返った謁見の間に突き刺さります。

伯爵は皿を抱え込むようにして、最後の一滴まで夢中で飲み干しました。

その姿は、高貴な外交官などではなく、ただの飢えた獣のようでした。


「お、お嬢様、どうか……どうかお戻りください! 今や王宮の騎士たちは食欲を失い、軍の士気もボロボロなのです! レイラ様では……あの偽物の聖女では、何も変えられないのです!」


伯爵が床に膝をつき、私に縋り付こうと手を伸ばしました。

しかし、その手は届きませんでした。

ゼノ様が音もなく私の前に立ち、伯爵の手を冷たく踏みつけたからです。


「終わったか。ならば、その汚い顔を二度と俺の妃に見せるな」


ゼノ様の体から、凄まじい威圧感の魔力が放たれました。

伯爵とその従者たちは、恐怖のあまり腰を抜かし、這うようにして謁見の間を逃げ出していきました。


「……クロエ、大丈夫か?」


使者たちが去った後、ゼノ様はすぐに私を抱きしめてくれました。

彼の胸の鼓動は少し速く、私を失うことを本気で恐れてくれていたのが伝わってきます。


「はい、ゼノ様。ありがとうございます」


「クロエ様、今のスープ、本当に凄まじかったです。……俺、一生あんたについていくって改めて決めましたよ」


バルガス様が照れくさそうに頭を掻き、マリア様も優しく微笑みました。


「ええ。これで、過去との決別は済みましたわね。クロエ様、いよいよ収穫祭……そして、王妃就任の式典です」


私はゼノ様の腕の中で、遠い空を見上げました。

かつて自分を虐げた場所への未練は、今の一皿で全て飲み干しました。


「さあ、ゼノ様。明日の式典のために、世界で一番甘くて幸せなケーキの準備をしましょう」


私は満面の笑みで言いました。

帝国の未来を、そして私たちの愛を象徴する、最高の祝宴が始まろうとしていました。


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