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第8話:魔王様の理性決壊。とろけ出す闇の甘い秘事


収穫祭を目前に控えたナイトフォール帝国の王宮は、かつてない高揚感に包まれていました。

あちこちで飾り付けが進み、街の人々も「聖女様」と呼び始めた私の料理を心待ちにしています。

そんな喧騒から少し離れた夜の厨房で、私は一人、ゼノ様のためだけに特別な一品を用意していました。


「……よし、温度は完璧ね」


私は魔導コンロの火力を微調整しながら、小さな陶器の型を見つめました。

今夜作るのは、帝国で最も貴重とされる食材を使ったデザート。

『深淵カカオ』と『魔力銀粉まりくぎんぷん』をふんだんに使用した、温かいチョコレート菓子です。


深淵カカオは、そのままでは喉を焼くほど苦く、毒性すら持っています。

けれど、私の【浄化】の光でその苦味を「重厚なコク」へと昇華させ、純度の高い魔力銀粉を混ぜ込むことで、食べた者の魔力を底上げする至高の逸品に変わるのです。


「クロエ、まだ起きていたのか」


背後から、低く甘い声が聞こえました。

振り返ると、執務を終えたばかりのゼノ様が立っていました。

ヴェールを解いた彼の髪は夜の闇よりも深く、紅い瞳は少しだけ疲れを滲ませています。


「ゼノ様、お疲れ様です。ちょうど今、焼き上がるところですよ」


「お前の作るものの匂いには、抗い難い引力があるな。……また新しい魔法か?」


「ふふ、これは魔法ではなく『フォンダンショコラ』というお菓子です。さあ、こちらへ」


私は彼を厨房の小さなテーブルへ促しました。

焼き上がったばかりの型から、そっと皿へと移します。

表面はしっとりとした漆黒の生地。その上には、粉雪のような魔力銀粉が美しく輝いていました。


「……見た目は、まるで帝国の星空のようだな」


ゼノ様が銀のスプーンを手に取りました。

彼が中心にスプーンを差し入れた、その瞬間です。


とろり、と。


中から熱いチョコレートのソースが、溶岩のように溢れ出しました。

濃厚なカカオの香りと、魔力銀粉が放つ淡い光が、薄暗い厨房を幻想的に照らします。


「なっ……!? 中から溢れてくるとは……。一体どういう仕組みだ」


驚きを隠せないゼノ様が、一口分を丁寧にすくい、口へと運びました。


「……っ。なんだ、これは……」


ゼノ様の手が止まりました。

彼はゆっくりと目を閉じ、その味わいを確認するように何度も喉を鳴らしました。


「……熱いソースが舌の上で爆発したかと思えば、絹のような滑らかさで喉を通り抜けていく。この苦味……いや、これは苦味ではないな。深く、どこまでも甘い、魂を揺さぶるような悦びだ。魔力が、指先まで心地よく痺れていくのがわかる」


「良かったです。銀粉には魔力の伝達を助ける力がありますから」


「……信じられんな。あんなに忌まわしかった深淵カカオが、これほどまでに愛おしい味に変わるなんて。クロエ、お前は本当に……」


ゼノ様はスプーンを置くと、椅子から立ち上がり、私のすぐ目の前に立ちました。

彼の紅い瞳が、これまでになく熱く、色濃く私を射抜きます。


「……おい、俺にも残しておいてくれたんだろうな?」


そこへ、我慢できなくなった様子でバルガス様が顔を出しました。

隣には、呆れ顔のマリア様も一緒です。


「バルガス、空気を読みなさいと言ったでしょう。……ですが、この香り。厨房の外まで甘い誘惑が届いておりましたわ」


私は苦笑しながら、予備の二皿を差し出しました。

二人はさっそく、溢れ出すチョコのソースを口に含みます。


「うおおお! なんだこれ、脳が溶ける! 甘いのに、後から来るカカオの重厚感がたまらない! 力が、力が体の底から溢れてくるぞ!」


バルガス様が拳を握りしめ、感激に震えています。


「……素晴らしいです。この温度の差、外側のサックリとした食感と中のトロトロ感。これこそ、ナイトフォール帝国が誇るべき最高の贅沢ですわ」


マリア様も、頬を赤らめて夢中で完食してしまいました。

二人が満足して去っていった後、厨房には再び私とゼノ様だけが残されました。


「……邪魔が入ったな」


ゼノ様が苦笑しながら、私の手首をそっと掴みました。

そのまま引き寄せられ、私は彼の胸の中に収まってしまいました。

フォンダンショコラの甘い香りが、二人の間に漂います。


「ゼノ、様……?」


「クロエ。……俺の魔力飢餓は、もうお前の料理なしでは癒やされない。いや、胃袋だけじゃない。俺の心も、魂も、お前がいなければ欠け落ちてしまうほどに……君を愛している」


耳元で囁かれた、初めてのストレートな愛の言葉。

ゼノ様の腕の力が強まり、彼の鼓動が背中越しに伝わってきます。


「もう、お前を誰にも渡したくない。収穫祭の発表を待たずとも、今ここで誓わせてくれ。俺の妃として、一生、俺の隣で笑っていてほしい」


「……はい、ゼノ様。私も、貴方の隣で、貴方のために美味しいものを作り続けたいです」


私が答えると、ゼノ様は私の顎を優しく持ち上げ、深く、甘い口づけを落としました。

フォンダンショコラよりもずっと熱く、とろけるような心地に、私はただ目を閉じて身を委ねました。


幸せの絶頂。

けれど、その幸せを切り裂くように、翌朝、王宮の門を叩く者が現れました。


「ソルスティア王国より、第一王子ジュリアン様の名代として参りました! 我が国の至宝、クロエ・フォン・アルメリアを返還されたし!」


朝食の席に届けられたその報せに、ゼノ様の瞳から一瞬で温度が消え、凍てつくような魔力が王宮全体を震わせたのでした。


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