第10話:幸福を重ねる祝祭と、永遠の愛のレシピ
ナイトフォール帝国が建国以来、最も熱く、最も甘い匂いに包まれる日がやってきました。
収穫祭。そして、私の王妃就任を祝う記念すべき式典の日です。
帝都の広場には、色とりどりの旗がはためき、街の人々が朝から歌い踊っています。
かつては瘴気に怯え、不味い食事を義務のように喉に流し込んでいた彼らの顔には、今、心からの笑顔が溢れていました。
私は、城の巨大な厨房の真ん中に立っていました。
身に纏っているのは、マリア様がこの日のために用意してくださった、白銀のレースと漆黒のシルクを組み合わせた最高級のドレスです。
けれど、その上からしっかりとお気に入りのエプロンを締め、手には母譲りの銀のフライパンを握っています。
「クロエ様、全ての準備が整いました!」
料理人のガルトが、誇らしげに報告してくれました。
彼の後ろには、ルカをはじめとする帝国の料理人たちが、ぴかぴかに磨き上げられた包丁を手に整列しています。
彼らの瞳には、かつての諦めではなく、美味しいものを作ることへの情熱が宿っていました。
「ありがとうございます。では、仕上げに取り掛かりましょう。帝国中の人々に、最高の『幸せ』を届けますわよ」
私が本日作るのは、これまでの旅路で出会った最高の食材を全て詰め込んだ、五段重ねの『永遠を誓う至福の宝冠ケーキ』です。
まず、浄化した『月光小麦』と『雲チャボの卵』を使い、驚くほどふわふわでいて、かつ重厚なコクのあるスポンジを焼き上げます。
そこに、私の魔力で極限まで甘みを引き出した『宝石苺』のコンフィチュールをたっぷりと挟み込みました。
外側を覆うのは、帝国の北限に住む雪妖精から譲り受けた『雪妖精のクリーム』。口に入れた瞬間に体温でスッと消えてしまう、魔法のようなクリームです。
仕上げに、純度の高い『魔力銀粉』を振りかけると、ケーキ全体が星空のように淡く輝き始めました。
「……完成です」
私が呟くと、厨房中に拍手が巻き起こりました。
このケーキの一切れ一切れには、食べた者の魔力異常を完全に治癒し、心に深い安らぎを与える最強の浄化魔法が込められています。
バルコニーへ出ると、地平線を埋め尽くすほどの国民が私たちを待っていました。
隣には、正装に身を包んだゼノ様が立っています。
彼は私を愛おしそうに見つめると、その大きな手で私の手を優しく包み込みました。
「クロエ。お前が来てから、この国の色は変わった。……見てみろ、あの笑顔を」
ゼノ様が指差す先では、配られたケーキを一口食べた子供たちが、驚きに目を見開き、次の瞬間には顔をくしゃくしゃにして喜んでいました。
「うわあ! これ、お菓子なのに宝石みたいにキラキラしてる!」
「美味しい……! お母さん、僕、なんだか体がとっても軽くなったよ!」
広場のあちこちから、喜びの叫びが上がります。
警備をしていたバルガス様も、我慢できずに配給の一切れを口に放り込み、豪快に笑いました。
「ガハハ! こりゃたまらん! 俺の古傷が、このケーキを食べただけで完治しちまったぞ! クロエ様、あんたはやっぱり本物の女神だ!」
「本当に……。胸の奥が温かくなって、涙が出てしまいますわ。こんなに優しい味、世界中のどこを探してもありません」
隣で涙を拭うマリア様の横顔を見て、私も胸が熱くなりました。
その頃、ナイトフォール帝国の歓喜とは対照的に、ソルスティア王国は静かな崩壊を迎えていました。
浄化の力を失った大地では、作物が次々と枯れ、贅沢に慣れきった貴族たちは不味い食事に耐えかねて次々と国を去っていきました。
ジュリアン王子とレイラは、誰もいなくなった冷たい食堂で、黒ずんだパンを奪い合って罵り合っているといいます。
けれど、もう彼らの声が私に届くことはありません。
「クロエ、改めて言わせてくれ」
ゼノ様が私の前に跪き、帝国中の国民が見守る中で、私の指先に誓いの口づけをしました。
「俺の胃袋も、心も、魂も、全てをお前に捧げよう。お前が作る料理が、俺の、そしてこの国の永遠の糧だ。……愛している、俺の可愛い王妃様」
「私も愛しています、ゼノ様。貴方がお腹を空かせないように、一生、世界一のご飯を作り続けますわ」
私が微笑んで答えると、ゼノ様は私を抱き寄せ、情熱的な口づけを交わしました。
空からは祝祭の魔法の花火が打ち上がり、黄金の光が私たちを包み込みます。
美味しい料理には、人を救う力がある。
そして、愛する人と囲む食卓には、何物にも代えがたい幸福が宿る。
追放された悪役令嬢だった私は、今、世界で一番幸せな「聖美食家」として、愛する旦那様と共に新しい物語の一ページをめくったのでした。
(完)
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