第1話:婚約破棄の記念品は、冷え切ったスープと追放令状でした
きらびやかなシャンデリアの光が、今の私には酷く痛々しく感じられます。
王宮の大広間。
音楽が止まり、着飾った貴族たちの視線が突き刺さる中心で、私は最悪の言葉を突きつけられていました。
「クロエ・フォン・アルメリア! 貴様との婚約を破棄し、この国から追放する!」
声を張り上げたのは、この国の第一王子であるジュリアン様です。
その隣には、私の異母妹であるレイラが、弱々しさを演じながら彼にしがみついていました。
「ジュリアン様……おっしゃってください。私が何をしたというのですか?」
私が問いかけると、ジュリアン様は忌々しそうに鼻を鳴らしました。
「白々しい。レイラが持っている聖女の加護を妬み、彼女の食事に毒を盛ろうとしただろう。おまけに貴様は、十八歳の成人の儀でも加護を授からなかった。我が王家には、そんな無能で心の醜い女は必要ない」
毒なんて、盛るはずがありません。
私はただ、この国で出される料理があまりにも味気ないから、せめてレイラには栄養のあるものを食べてほしいと、厨房の片隅で少し手助けをしていただけなのです。
レイラはわざとらしく涙を拭い、私を憐れむような目で見つめてきました。
「お姉様、本当のことを言ってくだされば許しましたのに。加護がない焦りは分かりますけれど、毒を盛るなんて……」
「レイラ、もういい。こんな女に慈悲をかける必要はない」
ジュリアン様はそう言うと、手元にあったスープの皿を私の足元に投げ捨てました。
ガシャン、という高い音と共に、冷め切った濁った液体が私のドレスを汚します。
それは、かつて私が王宮の料理人たちに教えた、滋養強壮に効くはずの琥珀煮込みでした。
けれど、今目の前に散らばっているのは、灰色の脂が浮いた、泥水のような代物です。
「さあ、さっさと出て行け。二度とその汚い顔を見せるな」
私は汚れを拭うこともせず、静かに頭を下げました。
悲しみよりも先に、一つの確信が胸を支配したからです。
ああ、この国にはもう、本当の意味で美味しいものは残っていないのだわ。
私はその日のうちに、必要最低限の荷物を持って馬車に押し込められました。
持っていくことを許されたのは、亡き母から譲り受けた古い銀のフライパンと、使い古された包丁セット、そして魔法の保温機能がついた革製の袋だけ。
馬車は数日かけて、隣国との国境にある「沈黙の森」へと向かいました。
そこは、強大な魔物が生息し、瘴気に満ちていると言われる、人間にとっては死の地です。
「ここで降りな。王命だ」
無愛想な兵士に背中を押され、私は森の入り口で降ろされました。
二人の兵士、カイルとバルトは、剣を携えたまま私を見下ろしています。
「おいおい、可哀想にな。加護なしの令嬢がこんな場所で生きていけるわけがないだろうに」
バルトが嘲笑うように言いました。
カイルは対照的に、少し申し訳なさそうな顔で私の荷物を見つめています。
「まあ、せめて最後くらいは何か食わせてやるか。俺たちの保存食を分けてやろう。……って、おい、そりゃなんだ?」
カイルが目を見開きました。
私は、森の入り口に生えていた、見たこともない紫色のキノコと、トゲのついた不思議な果実を手に取っていたからです。
「これは『月見キノコ』と『星トゲの実』です。毒があると言われていますが、正しく調理すればとても美味しいはずですよ」
「正気か? そんな魔力の毒に染まったもん食ったら、腹を壊すどころじゃ済まねえぞ!」
私は微笑んで、魔法の袋から小さな携帯用の魔導コンロを取り出しました。
そして、母から譲り受けた銀のフライパンをセットします。
「大丈夫です。私、加護はないと言われましたけど、料理のことなら分かるんです」
私は意識を集中させました。
すると、指先から温かな光が溢れ、食材を包み込みます。
食材にまとわりついていたどす黒い霧のような瘴気が、キラキラとした金色の粒子に変わって消えていきました。
私の加護、それは【聖美食家】。
食材を浄化し、その本来の力を百二十パーセント引き出す力です。
まず、星トゲの実の皮を包丁で器用に剥き、中から現れた真珠のような果肉を刻みます。
それを熱したフライパンに入れると、パチパチと心地よい音が響き、甘酸っぱい香りが辺りに広がりました。
「なんだ、この匂い……。めちゃくちゃいい匂いがするぞ」
バルトが鼻をひくつかせ、ゴクリと唾を飲み込みました。
次に、スライスした月見キノコを投入します。
キノコは果実の果汁を吸い込み、あっという間に綺麗な飴色に変わっていきました。
最後に、私が隠し持っていた「草原の塩」をひとつまみ。
「はい、出来上がりです。簡易的ですが『月見キノコと星トゲの実の甘塩ソテー』です。よろしければ、お二人もいかがですか?」
私はフライパンから、持参した二枚の木の小皿に料理を取り分けました。
一皿には、大きなキノコが三切れと、たっぷりの果肉ソースが乗っています。
もう一皿も同じ分量です。
「いや、俺たちは……。でも、この匂いは反則だろ」
カイルが我慢しきれない様子でフォークを伸ばしました。
バルトも、毒を警戒していたはずなのに、いつの間にか身を乗り出しています。
二人は顔を見合わせ、同時にはふはふと口に運びました。
「う、美味い! なんだこれ、キノコなのに肉みたいに弾力があって、噛むたびに旨みが溢れてくるぞ!」
カイルが目を丸くして叫びました。
「この実のソースもすごいぜ。酸味が効いてて、疲れが吹き飛ぶみたいだ。……おい、見てくれよ。俺の手、魔物との戦いで痺れてたんだが、痛みが消えてる!」
バルトも驚きに声を震わせています。
私の料理には、浄化と治癒の力が宿っています。
二人は夢中で、皿に残ったソースまで指ですくって綺麗に平らげました。
「お嬢さん……あんた、本当に加護なしなのか? 王宮で食ってたどの高級料理よりも、今のこれが一番美味かった」
カイルが本気で感心したように言いました。
二人はその後、私を置いて去るのを躊躇っていましたが、王命には逆らえず、予備の薪を多めに置いていってくれました。
一人になった私は、フライパンに残った最後の一切れ、自分用のキノコを口に含みます。
「ふふ、やっぱり美味しい。これならどこでも生きていけそうね」
お腹が満たされると、少しだけ勇気が湧いてきました。
私は森の奥へと足を進めます。
どこか、安心して眠れる場所を探さなくてはなりません。
しばらく歩くと、森の空気が変わりました。
重苦しく、冷たい魔力の渦。
その中心に、誰かが倒れているのが見えました。
黒いマントを羽織った、長身の男性です。
顔色は青白く、呼吸は浅い。
「大変、しっかりしてください!」
私が駆け寄って彼の肩に触れると、指先から伝わってきたのは、凍りつくような冷気と、耐え難いほどの「空腹」の感覚でした。
「お腹が……空いているの?」
彼はうっすらと目を開けました。
紅い瞳が、朦朧と私を捉えます。
「……何か、食わせろ。何でもいい……この渇きを、止めてくれ……」
その声は、消え入りそうなほど掠れていました。
この人は、ただの行き倒れではありません。
あまりにも強すぎる魔力を持ちすぎて、自分自身の魔力に胃袋を焼かれているのだと、私の本能が告げています。
私は即座に、新しい食材を探すべく周囲を見渡しました。
彼の命を救えるのは、今のこの場所では、私の料理だけかもしれません。




