太りすぎと婚約破棄されたぽっちゃり令嬢はお菓子作りで無双する
太りすぎと婚約破棄されたぽっちゃり令嬢はお菓子作りで無双する 〜【悲報】推しが連れて来た婚約者がぽっちゃりだった編〜
何の脈絡もなく唐突に、あの女は現れた。
数日前から、私の心は浮き足立っていた。
アルバート様が、王都の公爵屋敷にそろそろ帰ってくる頃だったからだ。
王立騎士団を通じた王子からの依頼で、魔物狩りに出かけていたアルバート様。
一介のメイドである私が、お相手にされることなど勿論ない。
それでも、美しく、屈強なアルバート様を遠目から眺めるだけで満たされた。
どこか神秘的な、深い海の底を思わせる藍色の髪と瞳。
貴族にありがちな傲慢さもなく、メイドや使用人にも分け隔てなく接してくれる人格者だ。
嫡男のアルバート様だけでなく、公爵閣下も夫人であるダリア様も素敵な方だ。
モンフォール家に仕えさせていただけるだけでも光栄なのに、その家人達が素晴らしいのは、私の自慢だった。
同じように、アルバート様に憧れているメイドは多い。時折、アルバート様の素晴らしさを語り合っては、適齢期となったアルバート様に、いつ婚約者ができるかヒヤヒヤしたものだ。
最も、モンフォール家に来るご令嬢は、素晴らしい方に間違いないのだろうけれど。
そんな複雑な思いを抱きつつも、その時は長らく訪れなかった。
社交の場に出かけていないわけでも無いし、当然だが、人気がないわけでもない。
我こそはと自ら名乗りをあげるご令嬢も少なくなかった。
もしかしたらアルバート様は、何か思うところがあって、独身を貫かれるのかもしれない。
そんな淡くも儚い望みを抱きかけていた矢先だった。
アルバート様が帰って来たという連絡を門番からうけて、私も含めた幾人かのメイドは出迎えのために、玄関ホールへと急いだ。
いよいよ、久しぶりに、アルバート様のご尊顔が拝める……!
迎えにでたセバスチャンが、再び扉を開く。私たちはスカートを持ち上げて、片足を斜め後ろに引き、もう片方の膝を折り曲げて、丁寧にカーテシーをした。
「「「お帰りなさいませ、アルバート様」」」
「ああ。彼女に部屋をあてがってくれ」
…………彼女?
顔を上げると、あの女がいた。
一体、彼女は何者なのだろう?
湧き上がる疑問を押さえつけて、言われた通り、部屋の準備に取り掛かる。セバスチャンに指示されたのは、最上級の客室だった。
部屋の用意を終え、私たちは使用人用の休憩室へと集合した。いつも噂話をする時に集まる、秘密の場所だ。
「聞いて! 執事長から教えてもらったのだけれど、あのお方は、男爵家のご令嬢で、アルバート様の婚約者になるんですって!」
情報を入手してきたメイドが興奮とともにまくし立てると、休憩室は阿鼻叫喚となった。
あるものは悲鳴をあげ、あるものは啜り泣き、あるものは頭を掻きむしった。
皆、貴族女性相手だから、口には出さない。
しかし、心のうちでは同じことを思っていたに違いない。
嘘でしょ⁉︎
あんな野暮ったいドレスに、ぽっちゃりとした、芋っぽい女が、アルバート様の婚約者だなんて……!
アレなら、もしかしてひょっとして私にもワンチャンあったんじゃない……⁉︎ なんていう、分不相応な夢を抱いてしまうほど、あの女 ——セレスティア様は、パッとしなかったのだ。
その日、モヤモヤとした気持ちを抱えて寝台にもぐりこんだ私は、うまく眠ることができなかった。
翌日。
キッチンで朝食の片付けをしていたら、なんと、あの女とアルバート様がやって来た。
キッチンの隅に移動し、何事か料理を始めるようだ。
一体、何をしているのだろう? どうしても気になってしまい、作業の手を止めて、時折そちらの様子を伺った。
乳棒を手に持ったアルバート様が、何かをゴリゴリと削っている。腕の筋肉に見惚れていると、アルバート様は手を止めて、銀のスプーンを手に取って、何かを口に入れた。
瞬間、毒でも盛られたのかと思うほど、激しく苦しみ出す。
慌てて、水差しとコップを掴んで駆け寄った。
「大丈夫ですか、アルバート様! お水です!」
「助かる」
キッとセレスティア様を睨みつける。もしや彼女が毒を、と思ったが、アルバート様と同じように苦しんでいた。仕方なく、水を差し出す。
「あ、ありがとう」
「いえ」
毒でないのなら、一体なにが?
乳鉢の中身を覗き込むと、公爵夫人のダリア様が取り寄せた、カカオ豆が入っていた。思わず、目を細めてしまう。
「こちらは、奥様が南方から薬用にと取り寄せたものの、苦くてとても飲めなかった、と存じ上げますが……?」
アルバート様が苦しんでいたのが許せず、お灸を据えるような口調になってしまった。セレスティア様はオロオロと戸惑った様子で、
「……ええ、そうね。でも、これはとっても美味しいお菓子に——」
「先ほど、苦くて苦しんでおられましたよね?」
「…………」
さっさとキッチンから出ていってもらおう。そう決心した私の目の前にずいとコップが差し出された。アルバート様だった。
「助かった。下がっていてくれ」
「……はい」
仏頂面で告げられては、引き下がるしかない。でも、視線だけは引かない。アルバート様とあの女は、変わらず苦いカカオを調理している。
途中、あの女に命じられて、乾燥した果物を食糧庫から取り出し、手渡した。
「ありがとうございます!」
「いえ、当然のことですので」
答えて、再び作業に戻る。しばらくして、公務でもできたのか、アルバート様はキッチンから出ていった。あの女と一緒にいるところが見たいわけではないが、料理をするアルバート様の姿は貴重で、いくらでも見ていられたのに残念だ。
私自身も、掃除や洗濯など、他の仕事があり、キッチンには時折顔を出す程度で、戻ってこれたのは夕食の準備の時間だった。
私が見る限り、あの女はずっと作業台に向かっていて、熱心に試行錯誤を行っているようだ。
すごいな……。
私のささやかな趣味は手芸や服飾だ。刺繍や編み物なんかを、いくらでもできる! とは思うのだけれども、実際には長く続かない。1時間もすれば飽きてしまって、ちまちまと進めていくのが精一杯だ。
最後には納得のいく出来のものができたのか、どこか満足そうな顔で冷蔵庫に皿を収めていた。
一体、どんなものが出来たのだろう。
覗くだけなら問題ないだろうと、作業の手が空いたタイミングでそっと冷蔵庫を開けてみた。中には、ドライフルーツに茶色い何かが付けられた、見たこともない料理が収められていた。
……あの女は、これを菓子だと言っていたっけ。
確かに、乾燥した果物は、貴族のお菓子として出回っている。私自身もほんの少しだがかじったことがあり、とても甘く、美味しかったのを覚えている。
扉を閉じる。
思い出した乾燥果物の味を振り払う。これは、あのカカオ豆から出来ているのだ。とてつもなく苦くて、食えたものじゃないに決まっている。
夕食の準備を終えた私は、使用人用の食事部屋へと向かった。ようやく一息つくことができる、憩いの時間だ。
「アルバート様とセレスティア様、キッチンで何かしているみたいだったね」
同室のメイドがそんなふうに言った。彼女は庭仕事を中心にしているから、事の詳細が気にかかるのだろう。
「カカオ豆からお菓子を作っていたみたいよ」
「カカオ豆から⁉︎ 信じられないわね」
「実際、すごく苦くて、アルバート様は苦しまれていたのよ……」
「まあ! おいたわしいわ!」
この子もアルバート様を陰から見守る会の一員だ。口には出さないものの、あの女への敵意がひしひしと感じられる口調だった。
そんな、他愛もない夕食を終えて、食後の仕事に取り掛かろうと廊下に出た時だった。
——何者かの気配が……ぴったりと、私の後をついてくる。
背中がぞくぞくと泡立つ。
使用人達にあてがわれた食堂は、地下階にある。格式高い公爵家なので、主人方の生活動線とは離れた場所に私達の居住空間があるのだ。
魔石の仄かな明かりはあるが、薄暗く、人気のない廊下。
呼吸が少し荒くなる。怖くない、怖くないと考えるほど、背後に何かが忍び寄って来ているような気がする。
手汗がすごい。グッと拳を握りしめる。一体、何年ここで暮らしていると思うのだ。
ここは薄暗い地下階だが、後少しで、メインフロアへと上がる階段だ。
上階にはアルバート様も、ダリア様もいらっしゃる、公爵家なのだ。何も、おかしいことなど起こることはない。
勇気を振り絞り、私は背後を振り返った。
「…………ほら。やっぱり、誰もいないじゃない」
鼻歌でも歌いたい気分で、視線を前に戻す。先ほどと比べて、自然と背筋が伸びる。
階段の向こうに——何か、黒い影がある。
瞬間、ギョッとした。
段々と明るさに慣れてきた瞳が、その輪郭を捉え、ますますギョッとした。
それは、先ほどまで私たちの口上に上がっていた者——あの女、セレスティア・アルトハイムだった。
あの女は、上階から上半身だけ出して、こちらを覗き込んでいる。私と目があったことに気がつくと、にんまりと笑った。
…………ああ、そういうことか。
私は、ある種諦めの気持ちを持ちながら、廊下を進む。この屋敷に来てから、ほんの少しだけ……世間の厳しさを忘れていた。
どうしても、アルバート様への感情が先走り、あの女への敵意が滲み出ていた。それは、私自身分かっていたことだ。
けれど、アルバート様やダリア様と一緒にいる時の、どこか間抜けなフワフワとしたあの感じ。舐めた態度を出したとしても、やり返してくることはない。
その直感が、判断が、間違っていたということだ。
とんだ狸だ。
どんな仕打ちを受けるのだろう。悪口も、折檻も構わない。相手は貴族だ。けれど、一つだけ。この公爵家を追い出されることだけは、何としても避けなければ。
「セレスティア様、何かご用でしょうか?」
階段を上がり背筋を伸ばし、堂々とした態度で口に出す。これから何が起きるのか、怯えた様子は一切見せたくなかった。ただの虚栄だけれど、私なりの精一杯のプライドだ。
あの女は、にっこりと笑って、両手で持った大きな皿を突き出して来た。
「ええ。あなたにコレを食べてもらいたくって!」
「…………は?」
心から間抜けな声が出た。
お皿の上に乗っていたのは、今日一日中、キッチンで二人が作っていた菓子だった。
オレンジ、りんご、いちじくの一部分が、カカオによって茶色くなっている。けれど、粉のようではなくて、ツヤツヤと固まっている。
もう一つは、同じようにツヤツヤと固まった茶色い物に、細かに砕かれた乾燥果実が練り込まれている。
「チョコレートっていうお菓子なの。信じられないかもしれなけれど、美味しく出来たから……是非、あなたにも食べてほしくって」
「『ちょこれーと』……」
これは、何かの罠ではないだろうか。
皿を差し出すあの女の顔を、こっそりとうかがう。彼女の表情には、期待と緊張が入り混じっており、不穏なものや腹黒いものは感じられなかった。
貴族の方にこうまで言われて、食べないという選択肢は取れない。
それに、一体どんなお菓子が出来たのか、気にならないといえば嘘になる。
そっと指先で、いちじくの乾燥果実をつまむ。
えいやと思い切り口に入れた。
「……………………」
「…………ど、どうかしら?」
黙って味わっていたら、不安そうな表情で尋ねてきた。ごくりと飲み込む。
「…………もう一ついただいても?」
「! ええ、もちろん」
乾燥果実が細かく砕かれている物をつまみ、ゆっくりと口に入れた。いちじくの甘酸っぱさを強く感じた先ほどのものより、よりカカオ豆の苦味と、乾燥果物の甘さが混じりあっている。
どこかほっとする甘さのある乾燥果物の甘味に対して、苦味のあるカカオ豆の『ちょこれーと』は、なるほど、良いアクセントになっている。
「…………美味しいです、すごく」
分け隔てのない感想を伝えると、ぱぁと輝くような笑顔を浮かべた。
あぁ、この方は、こんなにも可愛らしい方だったのだ。
「気に入っていただけて良かった! たくさんあるから、よければ他のメイドさんや、使用人さん達にも分けていただけるかしら?」
「良いのですか? 皆、とても喜ぶと思います」
「ありがとう!」
大皿を受け取り、使用人たちの食堂へと踵を返す。
そのタイミングで「待って!」と声をかけられ、首だけ振り返る。
「あの……あなたの名前は何かしら?」
「…………マリーです。セレスティア様」
「マリー……マリーね! これからよろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げて、セレスティア様が立ち去っていく。その背中を少しだけ見送ってから、前を向く。
アルバート様の婚約者。
そのお立場への羨ましさから、私の目は狂いに狂っていたらしい。
「メイドに頭を下げたり、菓子をくださる貴族はなかなかいませんよ、セレスティア様」
ひとりごとをつぶやき、薄く微笑む。
確かに、見てくれは他の貴族令嬢に見劣りするかもしれない。けれどその中身は、存外アルバート様にふさわしいのかも……いやいや、まだ完全に認めたわけじゃあないけれど!
うん。やっぱり見た目も大事だし、もっとよくできる余地が多分にありそうだ。長い栗色の髪の毛に、油をつけて手入れをしたほうが良いし、ヘアアレンジだって必要だ。緑の瞳を引き立てるアクセサリーだって、公爵家にふさわしいものを身につけていただかなければ。
アルバート様にふさわしいご令嬢となれるよう、微力ながらお力添えをしよう。
そんなふうに、セレスティア様に似合う服の色を考えながら、ちょこれーとを抱えた私は、弾むような足取りで使用人の食堂へと向かった。
お読みいただき、ありがとうございました!
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本作は、長編の一部を掌編として切り出したものになります。
もしこの短編を気に入っていただけましたら、長編もぜひお読みください!
セレスティアとアルバートの甘く温かい恋愛と、美味しそうなお菓子作りが満載です。
◆長編はこちら ページ下部にリンクもあります!
https://ncode.syosetu.com/n7315kv/