第2話
シーボルト王国は戦争を是とする国である。
それも仕方のないことで、大陸はいつ終わるとも知れない戦乱時代に突入していた。
ありとあらゆる国が大陸の支配権をめぐって戦争を起こし、中立の国など成立し得ない。そんな〝弱腰〟を見せようものなら、隣国たちに食い物にされてしまう。
不可侵条約などあってないようなもの……約束は破るのがルール。
まさしく混沌である。
大陸を制覇した先にあるのは、覇権だけではない。
他国を支配するだけならば、戦争に依らずともやりようはある。情報戦を制したり、商業で切り込んだり、それこそ同盟を組んだり。
しかしそんなことには目もくれず、シーボルト王国もほかの国々も、戦争によってのみ大陸制覇を目指している。
それもこれも、〝神の寵愛〟を独占するため。
ある日、各国の〝預言者〟たちに〝神のお告げ〟が降りたのである。
『試練を乗り越えた者たちに、〝永遠の平和〟を授ける』、と。
〝預言の日〟とされるその日をもって、大陸は戦乱時代に突入することとなった。
「はあ……。なんで、僕は……」
戦争を是とするシーボルト王国の在り方を、アルベルトはどうしても認めることが出来ないでいた。
そのせいで、両親ともに戦死したのである。
〝クライバー戦役〟での活躍が認められ、〝英傑たち〟に名を連ねる功績を残し、二人の子であるアルベルトは不自由のない生活支援も受けられるようになった。
こうして寮から学校に通えているのも、食に飢えることがないのも、ぜいたく品を買っても困らないのも、国の手厚い支援のおかげではある。
それでも……。
アルベルトの手元に残ったのは、二人の遺品だけ。
幼いころに焼き付いていたはずの二人の顔も声も、十年という時とともに徐々に薄れていく。
忘れたくなくても、顔も声も残す方法などありはしないのだ。
両親の手のぬくもりなど、とうの昔に消えてなくなった。
「いっそ……。ここから……」
だからいじめられるのだと、アルベルトは理解していた。
そのきっかけを与えるのが弱腰な性格なだけで……戦争に固執するこの国において、戦争嫌いというのはそれだけ罪なことだった。
しかし、だからといって何をしていいかはまるっきりわからない。
反戦争を貫けるだけの力があればいいが、アルベルトが使えるのはたった一つの魔法。しかも、馬鹿にされても仕方がないほどに貧弱。
路頭に迷ったも同然だった。
「あ、みっけ! やっぱりここにいたんだ!」
ライプニッツ学園は、かつて城塞だった。
古めかしく堅牢なのも、小高い丘にあるのも、八角形の防壁に囲まれているのも、このため。
防壁内にはちょっとした街並みが作られ、各建物が学年ごとの校舎となっている。
そのため、逃避行は簡単。校舎から抜け出し、建物の陰に隠れればいい。
いくつかお気に入りポイントはあるが、とっておきは防壁の上だった。何の因果か、側防塔のカギはアルベルトの魔法で開けることができる。
塔を登り切り、誰にも見られないようはいずりつつ、そっと防壁の上から街を見下ろす。そうして、心地のいい風を浴びて、一息つく。
それがアルベルトの現実からの逃げ方であり、心の癒し方だった。
だというのに……。
純真無垢なシャルロッテ・リートゼルツが現れた。
「……!」
好奇心旺盛な青い瞳と目が合う。
いつもは、ゴルトをはじめとするクラスメイト達の壁でよく見えない。シャルロッテがこうして腕を伸ばせば触れられる位置にいるのは、初めてのことだった。
見つかってしまった焦りと恐怖が全身を満たす中でも、彼女は見とれてしまうくらいに整っていた。
目鼻立ちはくっきりとしつつも、目も鼻も口元もかわいらしい。
肌は白く、頬は桃色。ふわふわロングヘアーは、一切の陰りのない黄金色。
ライプニッツ学園の制服も似合っている。
白シャツにチェック柄のスカート、そしてくるぶしまで届くロング丈の黒ローブ。
どれもが質素で、ベアトリクスのように気崩しているわけでもない。のに、シャルロッテの制服姿は輝いて見えた。
そのまぶしさにこそアルベルトは目を細め……はたとして、その場から立ち去ろうとした。
「わ、わ! 逃げないで! 待って!」
愛らしい容姿に、鈴の鳴るような声。争いごとなど一つとして臨まないような、まさに天使のような女の子。
にもかかわらず、シャルロッテは随分と俊敏で大胆で豪快だった。
ぱっ、と飛びついてきたのである。
まるで獲物にとびかかる猫のように。宙に踊りだし、腕を広げて――足首を掴んできた。
驚きも相まって、アルベルトはべちゃっと地面に張り付き……。
「へぶっ」
「んにゃっ」
シャルロッテもまた、へちゃげた声を出した。ついで、声にならない声を上げて悶絶している。
心配はするものの、どう考えても自業自得。その間にもさっさと離れたいところだったが、シャルロッテの手が足首をつかんだままだった。
ゴルトが相手ならばともかく、その華奢な手を足蹴にして外すことはできない。
「あ、あの……。なにか、用……?」
「ご、ごめんね……。つい……。あ、鼻血」
パッと顔を上げたシャルロットは、それでも笑顔で、そっと手を伸ばしてくる。
瞬間。その華奢で綺麗な手が、アルベルトにとっては何か恐ろしいもののように思えた。
反射的に払いのける。
「いい、いいから……。気にしないで……かまわないで」
シャルロッテが悲しそうな顔をしたが、アルベルトの目にはそれも映っていなかった。ただただ、目をそらして、時間が過ぎるのを待つ。
それが、アルベルトの持つ唯一の身の守り方だった。
「ごめんね、本当に。けど、あの……仲良くなりたかっただけなの。――今は、それを言いに来ただけ」
シャルロッテは深々と頭を下げて、どこか名残惜しそうに立ち去った。
「……なんだったんだ、一体」