裏の顔
朝から驚きの事実にさらされ、たった一日ちょっとが濃密すぎてすでに何日も経ったような気持ちになった昼休み。
私は食後のコーヒーでも入れようと給湯室に向かっていた。
いつもであれば簡単に自動販売機で買って済ませてしまうことも多いけど、今日みたいな日はゆっくりとコーヒーをドリップしながら考えをまとめたい。
良い香りを嗅ぎながら少しずつ落ちていくコーヒーを眺めていると心が落ち着いていく。
だからマグカップとドリップコーヒーを持って移動していたのだけど。
給湯室には扉があるわけではなく、廊下との間を暖簾が隔てている。
当然防音効果なんてあるはずもなく声は筒抜けだ。
ただ、場所自体が廊下の端ということもありここに来るのはそれこそお茶を入れる人だけ。
その結果固定メンバーしか利用することがなくなり、さらには集まった女性社員の噂話の場と化していた。
「本当、全然頼りないんですよね」
給湯室に近づいたところで聞こえてきた声に私は反射的に足を止める。
「年も上だし給与も私より多いからいい店に連れて行ってくれるかと思いきやスーパーですよ?」
「ええ!? スーパーに行ってどうするの?」
「そこで食材を買って家で料理するんです」
「誰が?」
「もちろん私がですよ! 信じられます? 結婚もしてないしつき合って何年も経っているわけでもない彼女に料理を作らせるって。ケチだし所帯染みてるし最悪」
愚痴をこぼしているのは昨日私を見下すように見ていたあの女。
「せっかく口うるさい先輩から略奪したのに、これじゃあ予定と全然違うわ」
「ああ。そういえば昨日対決したんだっけ?」
「そうなんです。先輩何も言えずに黙り込んでましたよ」
ふふふ……と忍び笑うような声が聞こえた。
よく考えなくてもわかる。
今話題にされているのが私と元婚約者だということが。
略奪された『口うるさい先輩』が私で『ケチで所帯染みている』と言われたのが元婚約者だろう。
そういえば、あの男は外で食事をするよりも家で食べることを好んでいたのよね。
家の方がリラックスできるとかで。
……もしかして本当にケチってたのかしら。
下手に外で食べるよりも私の料理の方が美味しいと言っていたのも外食にお金をかけたくなかったからかもしれない。
見栄を張るタイプだから外で食事をしたら奢らずにはいられないだろうし。
おだてられていいように使われていたとしたら馬鹿みたいよね。
いや、結婚することなくこのタイミングで別れられたことを良かったと思うしかないのか。
まだ全然癒えることなくズキズキと痛む胸を押さえながらそんなことを思っていたら、あの女の声がさらに聞こえた。
「もう本当、どうしようかな。これ以上つき合っていても今よりも良くはならないと思うんですよね」
「まさかもう別れるの?」
「あまりいい思いできないんですよ? それに、奪ったことで先輩の悔しそうな顔も見れたし」
「出たー! 可愛らしく害のないような顔をして略奪が好きだなんて、趣味が悪いわよ」
「その略奪話をお茶のとものように聞いてる人に言われたくありませんー!」
キャハハと笑った数人の声が聞こえたところで、私は気づかれないようにその場を後にした。
悔しそうな顔なんてしていない。
していたのは悲しそうな顔だ。
そんなどうでもいいようなことを思いながらひたすら足を進める。
そしてたどり着いたのは、結局いつもコーヒーを買うあの自販機の前だった。
「……はぁ……」
大きなため息が出て痛みを訴え始めた頭を押さえる。
今聞いた話が信じられなかった。
でも、たしかな現実だ。
「どういうこと?」
あれがあの女の本音だとするならば、裏の顔と言ってもいい。
元婚約者は知っていたのだろうか。
いや、人の気持ちに鈍感だから知らなそうよね。
でなければ昨日あんな態度を取れないはず。
それに、結構プライドが高いからあの女の本音を知っていたらつき合っていないだろう。
つまり、元婚約者もまたいいように騙されているということだ。
まぁ、私には関係ないけど。
そう思いながらも気分が悪くて、私はまた大きなため息をついたのだった。
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