思い出
私が勤めているのはコンビニスイーツを考案する部署だ。
クズ男の元婚約者とは大学で出会い、ゼミが同じになったことをきっかけにつき合い始めた。
それからもう七年。
二十八にもなって別れることになるとはまったく思いもよらなかったけれど。
縁がなかったっていうことよね。
家に帰ってベッドの上に寝転び目の腫れを冷やせば、ヒンヤリとした冷たさが私の頭を冴えさせていく。
半年前、今年の頭に婚約した時はまだ仲は良好だった。
本来なら数ヶ月の婚約期間を経て結婚するはずだったのに。
この春にあの女が入社してきて変わってしまった。
式場が決まっていなかったことを理由に結婚を先延ばしにした婚約者は、あっという間にあの女と浮気をしたのだ。
最初は私も気づかなかった。
そもそも私と婚約者は職場が同じ。
同じフロアで仕事をしている環境では職場内での浮気はし辛いはずなんだけど。
私も元婚約者も商品の新規開発に携わっていて、あの女は事務関係などのサポートをする立場だ。
開発者とサポートする者はペアで仕事をすることが多い。
接する時間が多かったことがあの二人の浮気に繋がったのか。
怪しい兆候は少し前から感じてはいた。
でもまさか、という思いが私の目を曇らせていたのだろう。
よりにもよって二人の関係がわかる決定的瞬間に遭遇してしまったのが社内だったのが痛い。
だいたいにして、社内で就業時間中にキスしてるとか、頭がおかしいんじゃないの?
あの時私は会議室に忘れ物をしたことを思い出して取りに戻った。
直前の会議は今度社内でコンペを開くスイーツのテーマを話し合う場で、そこには元婚約者とあの女も出席していたのだけど。
会議の終わった後、片づけを買って出たのがあんなことをしたいからだったとしたら軽蔑ものである。
キスだけじゃ、ないよね。
誰も来なかったらそれ以上になっていた可能性も十分にある。
そこに至る前に私が会議室のドアを開けてしまったからそこで終わっただけで。
人はどうして思いもよらない場面に出会すと咄嗟に逃げてしまうのか。
驚いて走り去った私がたどり着いたのが休憩場所だ。
そしてあの修羅場が巻き起こる。
「最悪……」
呟いた言葉が何の音もしない静かな部屋の中に響く。
本当、最悪。
明日もまたあの二人のいる職場に出勤しなければならない。
いったいどんな拷問よ。
前世で悪いことでもしたのか。
そう思ってしまうくらいに辛い。
またぞろジワリと涙が浮かんできたところで、スマホが誰かのメッセージの受信を知らせる。
『良ければ明日、始業前にお時間をいただけませんか?』
メッセージの送り主はハンカチを貸してくれたあの後輩だ。
彼はあの女と同様この春就職してきた。
いずれは私と同じ商品開発に携わることになるが、まずは勉強のためにと私のサポートについてもらっている。
というか、私は直々の後輩にあんな姿を見せてしまったということか。
思い返すとかなり恥ずかしい。
私は日頃仕事に邁進しているし、今後のことを見越して彼にも少し厳し目に接してきたと思う。
なのにあの醜態。
穴があったら入りたいとはまさにこのことよね。
でもあの場に彼がいてくれてとても助かったのも事実だった。
だから。
『了解。何時にどこへ集合する?』
あえて業務連絡的に返答した。
『では八時に会社の最寄駅から少し行ったコーヒーショップで』
会社の就業開始は八時半。
その前に会って、果たして彼は何を言うのか。
気にはなったがどうすることもできず、私は少しの心配を抱えながら借りたハンカチを洗濯したのだった。
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