ひとりぼっちなぼくと〇〇
教室の隅でうずくまっていたのは、〇〇だった。
ぼくが声をかけようと近づいたとき、頭のなかで誰かがささやいた。
「そっとしておけ。余計なことをして、傷ついたらどうするんだ。」
それは、ぼくの中にいる「評価している者」だった。
誰かの目を気にし、間違いを避けたがる、少し大人びた声。
でも、もう一つの声が聞こえた。
「今、〇〇のまわりの空気は、冷たくない。声をかけたら、きっと届く。」
それは、「感覚を感じ取る者」の声だった。
ぼくは少しだけ深く呼吸をして、そして、そっと声をかけた。
「〇〇、今日は寒いね。…この窓、ちょっと開いてたかも。」
彼は少しだけ顔を上げて、こくりと頷いた。
—
その日、〇〇と一緒に帰った。
ぼくは、会話の途中で気づいた。
話している内容よりも、「どの声で話しているか」のほうが、彼には伝わっている。
「昨日、数学の問題がさっぱりでさ」
と笑い話のように言ったとき、ぼくの中では「独り言を言う者」が喉の奥で軽やかに響いていた。
でも、「本当は不安だった」と伝えるときには、
「思考している者」と「イメージを見ている者」が、そっと声を重ねていた。
—
帰り道、〇〇がぽつりと言った。
「自分が誰なのか、よくわかんなくなる時がある。日によって、気分によって、まるで違う人みたいで。」
ぼくは答えた。
「たぶんそれでいいんだと思うよ。自分の中には、いろんな声がある。
どの声も“自分”だけど、場面によって、誰が前に出るかが変わる。
でも、その全員を、そっと見てるもうひとりがいる。
それが、“君”なんじゃないかな。」
〇〇は黙って歩いていたけれど、その目はすこしだけ安心しているように見えた。
—
家に帰って、ぼくは自分の中の「全てを観察している者」に語りかけた。
「ぼくは、誰かの中の声とも、繋がれるのかな。」
観察している者は、答えない。ただ、そっと沈黙を返してきた。
その静けさの中で、ぼくは思った。
たぶん、沈黙もまた、声なのだ。
ー
次の日、ぼくは〇〇に「おはよう!」と声をかけた。
すると、彼は「今、誰が話してる?」と笑いながら言った。
その日から、ぼくと彼の物語は始まったのだった。