表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

13/14

11.


 神殿の中、庭園。

あたたかい日差しに照らされながら、私はセリオン様と共にいた。


セリオン様は私の髪を撫で、耳元で優しく囁く。

その声音は甘いのに、どこか無機質だった。

私はじっと黙ったまま、目を強く閉じて、セリオン様に身を預けていた。


その時だった。

慌ただしく地面を駆ける音がして、庭園に人影が現れた。


「……エルミア様!!」


うそだ。…ありえない。

こんなところに来られるはずがない。

だって彼は人間で…

 

「…レオ、ナルド……?」


でも、私の口は、意図せずとも言葉を紡いでしまった。

愛しいその名を口にした瞬間、私を抱く腕が痛いくらいに強くなる。

セリオン様の瞳が鋭く細まった。


「……もの好きだね。わざわざわたしに殺されにくるなんて」

セリオン様が私を離し、ゆるやかに立ち上がると、刹那、天気が一変する。

空は雨雲に包まれ、激しく雨が降る。

まるで、セリオン様の心を反映しているようだ。


「…殺されに?いいえ、違います。僕はエルミア様を取り戻しにきただけです」

レオナルドは、濡れた足元に踏ん張りながら、まっすぐセリオン様を見つめた。


「取り戻す?…まるで彼女がお前のモノのように聞こえるね」

「…彼女はモノではありません。でも、僕の隣にいて欲しい。だから僕は、それを叶えにきただけです」


レオナルドが剣を抜き、セリオン様を見つめる。

その言葉に、セリオンの表情がかすかに歪んだ。


「……そうか。では教えてあげよう。人間の『愛』とやらが、どれほど無力でちっぽけかということを!」

セリオン様が、静かに片手を上げた。


その瞬間、空気が凍る。


私にはわかった。

この気配、神ですら穿つほどの力が込められている。

レオナルドを、殺すつもりだ。


「エルミアを奪おうとする愚かな人間よ。お前さえいなければ、彼女は…きっとわたしに微笑んでくれる」


セリオン様の頭上で、大量の水が唸りを上げて渦を巻く。そこから放たれた幾筋もの水槍が、レオナルドに向かって飛んでいく。


レオナルドは剣で槍を弾き返すが、何本かは体をかすり、どんどん衣服が赤く染まっていく。


「人間ごときが!この程度で死ぬ弱い生きものが!…わたしのエルミアに言い寄るなど…!恥を知れ!」

「…ッ!それでも!エルミア様を愛してしまったのだから、黙って去ることなど出来ません!」


レオナルドは必死に争い、水槍を受けながらも前進する。


「………はぁ…面倒だ。これで終わりにしよう」


そう呟いたセリオン様の背後で、大きな水柱が立ち昇る。水柱は高速で回転し続け、次第に先端を尖らせていく。


「セリオン様!?おやめください…!彼が死んでしまいます!」

「……死んでしまえば!君はわたしを見てくれる!」

「セリオン様!!」


あんなものが当たったら、人間は…レオナルドはひとたまりも無い。


(ッ間に合って…!)


私は、思考より先に身体を動かしていた。


「レオナルド…!!」


彼の名を呼んだ瞬間、私はその胸に飛び込むようにして立ちはだかった。

水の柱が、私の腹を裂いた。


「ッ……あッ…」

脇腹に、冷たい痛みが走る。

神の力によって強大なエネルギーとなった水が、容赦なく私の身体を貫いていく。


それでも…


(これでいい……あなたを、死なせるくらいなら…)


私はそのまま、レオナルドの腕の中に崩れ落ちた。


「エルミア様ッ!!」

「エルミア!?」

 

レオナルドの叫びが遠くで響いた。

私は彼に抱かれながら、意識が遠ざかっているのを感じていた。

…熱い。痛い。でも、私は同時に安堵していた。


(やっと、レオナルドに会えた…)


彼の頬に手を伸ばす。

彼の瞳は驚愕と涙で濡れていた。


その時、セリオン様が、目を見開いたままゆっくりと膝をついた。


「……どうして、どうしてなんだ…?何故、そこまで…」


その言葉は、まるで自分で自分を傷付けたようだった。

私は、レオナルドの腕の中で顔を上げた。


セリオン様の瞳に浮かんだ涙が、まるで水の雫のように静かに流れ落ちていく。

「わたしは…そこの人間と何が違う…?君に寄り添い、彼と同じように愛を囁いた…そうだろう?」


かすれたその声が、叫びが、私の胸を貫いた。


「どうしてわたしでは……だめなんだ……!」

まるで、泣きじゃくる子どものように、彼は呟いた。


「君はわたしが創った……わたしの女神なのに…どうして…?」


セリオン様は、私の創造主だ。

私が泉の女神として在るのは、彼の加護と愛があったからこそ。

誰よりも近くで私を見ていてくれたのは、きっとセリオン様だった。


「……どうして?……どうして、彼なんだ……彼は人間なのに……」


その問いかけに、私はすぐに答えることができなかった。

けれど。私を抱く優しいひとが、微かに、震える声で言った。


「…理由なんて、きっとないのだと思います」


セリオン様の肩が、ぴくりと揺れた。


「僕は、神ではありません。力もなければ、不死でもない。それでもエルミア様を思う気持ちだけは、神であるあなたにすら負けないと自負しています。…僕は、神に喧嘩を売ってでも、エルミア様と共にありたかった。彼女が好きなんです。愛しているんです。…その気持ちに、神も人間も関係ないのです」

「……わたしが彼女を思う気持ちが、人間に負けたといいたいのか?」

 

「…いいえ、ッそうでは…ありません」

私の声はかすれていたけれど、ゆっくりと身体を起こし、セリオン様を見て微笑んだ。


「エルミア…」

「…レオナルドが弱い人間だから、彼を助けたわけではありません。セリオン様が強い神だから、あなたを選ばなかったわけでもありません。…違うのです。ただ…」


私はレオナルドを見つめた。

その瞳の奥には、何度見ても変わらない誠実さがあった。

私が泉の底で忘れようとして、忘れられなかった、たったひとつの光。


「ただ…私はただ、レオナルドが好きだから。だから彼を、助けたいと思いました。彼に死んで欲しくなかった。…レオナルドを、愛しているから」


レオナルドは、ただ静かに、私を見つめていた。

涙を浮かべているわけでも、声を上げるわけでもない。

それでも、その瞳の奥に灯った光はたしかに嬉しそうで、幸せの色をしていた。


彼の唇がそっとこめかみに降ってくる。

言葉にならない想いが、額からじんわりと伝わってきた。


「……ありがとうございます、エルミア様」


その一言が、胸の奥に染みた。

セリオン様は、まるで夢から醒めたように呆然と立ち尽くしていた。


水の神であるはずの彼の髪も衣も、しっとりと濡れて肩に垂れ下がっている。

頬を伝う水滴が、涙なのか、ただの水なのか、それすら分からなかった。


「……君は、いつもそうだ」

掠れた声が、静かに落ちる。


「泉で君と話していると、時折わたしではなく、わたしを通して別の誰かを見ている。あの頃から…お前が居なくなった時から…ずっと、そうだった…」


彼の目は、私ではなく、私の向こうにいるレオナルドを見ていた。

それでも、彼の声は私に向けられていた。


「……わたしは、君にわたしのことを見てほしかった。…ただ、それだけだったのに」

「……セリオン様」


私はよろめきながら立ち上がり、一歩、彼に近づいた。

レオナルドに支えられながら、もう一歩、セリオン様に近付く。


「…セリオン様、私はあなたが創造した女神です。あなたの優しさに、愛に、私は育てられました。セリオン様、あなたに思っていただけて、私は幸せです」


その声に、セリオン様の肩がわずかに震えた。


「セリオン様。私にとって、あなたはかけがえのない存在です。『特別』なのです」


私はそっと、彼の手を取る。

一瞬、彼は拒むようにその手を引こうとした。けれど、それを私が包み込むように、離さなかった。


「……私は、レオナルドを愛しています。でも、セリオン様。あなたのことも敬愛しております。心より、感謝しています。…どうか、どうかそれだけは、信じてください」


セリオン様は、ゆっくりと目を閉じた。

そして小さく息をつき、微笑んだ。

それは、とても弱々しくて、痛々しい。

それでも、子どもが泣き終えた後のような、穏やかな顔だった。


「……そうか。なら、もう…君を、閉じ込める理由はないね」


セリオン様が手を離すと、神殿を包んでいた結界が、静かに消えていった。

雨雲が流れ、柔らかい日差しが差し込む。

静かに、静かに世界が澄み渡っていく。


セリオン様が私の方へ手をかざすと、お腹の穴はゆっくりと塞がっていった。傷が、癒えていく。

レオナルドが私たちの元に歩み寄り、セリオン様に頭を下げた。


「……あなたがエルミア様を守ってくださったから、いまの彼女がいるのだと思います。心より、感謝いたします」


セリオン様は、目を伏せて頷いた。


「……行きなさい。君たちの場所へ」


その声は、もう怒りでも、嫉妬でもなかった。


そして私たちは、静かに、神の神殿をあとにした。


背後で、微かに水音が響いた気がした。

それは、誰にも届かない、静かな神の涙のようだった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ