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後  編

 同時刻、王太子の執務室。


 アルノルトは勢いよく扉を開けると、部屋の中に飛び込んだ。全身が高揚感に溢れている。


 室内で待っていた側近のテオバルトとディートリヒ、そして侍従のモーリッツに向けて、意気揚々と書類の束を高く掲げてみせた。その中には、弟であるヴィルヘルムの元婚約者、つまりエルフリーデの署名が入った婚約解消同意書が含まれる。


「オールクリアだ! すべて父上の裁可を得た!」


 アルノルトが、勝利宣言のように叫んだ。


「ようございました」


 モーリッツは、上機嫌な主から書類を受け取った。書類入れに納めるために、いそいそと執務机脇にあるキャビネットに向かう。彼の表情もまた、晴れやかだ。これで、ヴィルヘルムとエルフリーデの関係に気を揉み、エルフリーデが他の男性(主にヴィルヘルム)と話しただけで不機嫌になるアルノルトから、八つ当たりされることもなくなる。彼にとって、3年に渡る懸案事項の解決だった。


 アルノルトは、応接用家具でのんびりとお茶を飲んでいる側近二人に笑いかけた。彼らは、この計画の立役者だ。


「今日中に全部片が付きそうだ」

「それはなにより」


 テオバルトが、落ち着いた声で答えた。彼の向かいでは、ディートリヒが口角を上げている。


「ほぼ、殿下の望ましい方向に納まりましたね」

「ああ、これも皆のおかげだ。感謝する」


 アルノルトは心からそう述べた。そして、ふと思い出したように付け加える。


「ところで、今日のエルフリーデも相変わらず可愛かったぞ。若草色のワンピースがよく似合っていた。ヴィルヘルムのことではショックを受けただろうに、気丈に振る舞っていて……うん、実に尊かった」


 アルノルトの言葉に、テオバルトは遠い目をして答える。


「あー、うん、そーだねー」


 明らかに棒読みの口調だ。


 その隣で笑いを堪えながらディートリヒが言う。


「それにしても、殿下、本日はお日柄もよくって、なんですか、あれは」


 アルノルトは一瞬きょとんとした後、顔を赤らめた。


「う、聞いてたのか。いつからいた?」


「最初からです。テオバルトと一緒に、続き部屋に控えてました。まさか、あのアルノルト殿下が、あんな小学生みたいなトンチンカンな挨拶をするとはね」


 ディートリヒの揶揄う口調に、テオバルトが吹き出し、笑い声を上げた。


「緊張したんだろ? なにせ、初恋の侯爵令嬢ちゃんと、念願叶って二人きりで仲良くお茶することになったんだもんなあ。舞い上がっても仕方がないさ」


 テオバルトの言葉に、アルノルトは「うるさい!」と、年相応の顔で二人を軽く睨んだ。側近たちはそんな主の様子を楽しそうに眺め、揃って肩をすくめた。彼らにとって、普段完璧な王太子が特定の人間の前でだけ見せるこうした表情は、からかいの対象であると同時に、親愛の証でもある。


「ところで、カミラのことでは迷惑をおかけしました。申し訳ない」


 唐突に、ディートリヒが生真面目な調子で言う。ノイエンドルフ公爵家の嫡子である彼は、妹のカミラが起こした騒動にはやはり複雑な感情を抱いているようだ。


「いや、私のほうこそ、むしろありがたい状況だったんだ。カミラ嬢との結婚は、正直なところ、何としても回避したかったのでな」

「もっともです。カミラは、あの通り性格に難ありですからね。しかもあまり頭も良くない。王太子妃が務まる器ではないのは、最初から分かりきっていました。母がカミラを王太子妃にしようと躍起になっていたのが、そもそも間違いだったのです。これでウチの両親も諦めざるを得ないでしょう」


 ディートリヒは忌々しそうな口調だった。ノイエンドルフ公爵家は、現王妃と結託し、カミラをアルノルトの婚約者に据えるために画策したのだ。


 ヴィルヘルムとカミラが不適切な関係をもった、とアルノルトが知ったのはちょうど2年前だ。その知らせは彼にとって天啓だったとさえ言える。その日のうちに、速攻でディートリヒに連絡を取った。


 カミラの兄でありながら、妹の愚行と母親の野心に辟易していたディートリヒを、自身の陣営に引き込むべく、アルノルトは熱心に働きかけ、「今回の件を利用して、いかに互いにとって最善の状況を作り出せるか」とプレゼンに励んだ。ディートリヒが理性的で、家の面子よりも実利を重んじる人物であるのは、学生時代に同級だったアルノルトはよく知っていた。


 二人が秘密裏に話し合いを重ねた結果、ディートリヒはアルノルトに協力すると決めた。そして、2組の不本意な婚約が解消となった今日までに、ディートリヒはテオバルトと共に精力的に動き回ってくれた。


 今回、妊娠の発覚により、カミラがヴィルヘルム第二王子の妃になるものと内々に決定されたわけだが、ディートリヒがアルノルトの側近に加わったことで、ノイエンドルフ公爵家が第一王子から第二王子に寝返ったとは思われずにすむ。これは重要なポイントだ。


 実を言えば、アルノルトは少しばかり微妙な立ち位置にいた。立太子されてはいるものの、実母である現王妃がなにかとヴィルヘルムばかりを贔屓にしているため、弟を担ぐ一部貴族が現れて、貴族家が二分しかけている状況なのだ。


 そちらの解消も期待できるとなると、二重に喜ばしい。


 王妃が息子たちへの態度に差を付けていたのは、アルノルトが前王妃譲りの黒髪黒目を受け継いでいる一方で、ヴィルヘルムが現王妃と同じ金髪碧眼であったことが根底にあるらしい。現王妃と前王妃はまったく気が合わず、嫁姑としてかなり対立していたと聞く。


 アルノルトは、そんな理由で実の息子を厭う母親には思うところもあり、子供の頃はそれなりに傷ついた。とはいえ成長するにつれ、大人げない母親に思い入れもなくなってしまっていたが。


 ただ、3年前に王子たちの結婚相手を決めるために催された、妃候補を集めたお茶会でのことは、大いに恨んでいる。


 その場でエルフリーデに一目惚れしたことを、うっかりヴィルヘルムに漏らしてしまったのは、確かにアルノルト自身の落ち度だ。だが、アルノルトが興味を示したと知るや、すぐさまエルフリーデを妃にすると先に言い出したのは、なんでもかんでも兄と対抗するように仕向けた王妃の影響だ。


 ちょうどノイエンドルフ家が王太子妃の地位を狙っていたのもあって、現王妃とノイエンドルフは手を組んだ。とんとん拍子に、アルノルトとカミラ、ヴィルヘルムとエルフリーデ、という2組の婚約話が成立してしまった。


 その後、エルフリーデへの思いを募らせていったアルノルトとしては、どうにか状況を覆せないものかとあれこれ画策して、この3年間を過ごす羽目となったわけだ。


 それについては、思いのほか単純な弟と、その弟の容姿を好んでいた婚約者を、テオバルトを介して陰で誘導するという、いささか汚い手を使った。ヴィルヘルムの女好きとカミラの浅薄さを利用し、二人が親密になるようにわざと仕向けた。汚かろうとなんだろうと、かなり有効だったのは、まさに今日得た結果のとおりである。


 テオバルトとしても、自分の婚約者がカミラから嫌がらせをされたり、ヴィルヘルムから粉をかけられたりと、二人には迷惑を被っていた。その恨みを晴らすため、わりとノリノリで罠を仕掛けてくれたものだ。


 とはいえ、相手側は不貞の証拠を突きつけたくらいでは動じないような、厚顔無恥なふてぶてしさがある。一度で完全撃破するにはどうしたものかと攻めあぐねていたところに、今回の妊娠騒動が持ち上がった。


 当初アルノルトは子供の父親に仕立て上げられそうになったのだが、ノイエンドルフ家を敵視する家や、取って代わろうと狙っている家を味方に付け、改めて子供の父親を確定する場を設けることに成功した。国王や各部署の重鎮も立ち会う中での、公開親子鑑定に持ちこんだのだ。そして勝利を納めた。


 そんなこんなで、思っていたよりは時間を要してしまったのだが、結果的にこれ以上ないほどの決定打を放つことができたのだから、アルノルトとしては非常に満足している。ヴィルヘルムとカミラという邪魔でしかない存在をまとめて片付けられた上に、巻き込んでしまったエルフリーデを解放できたのだ。


「さてと、これで計画の7割は終了だ」


 満足げな表情から一転、アルノルトの顔に王太子らしからぬ悪い笑みが浮かんだ。その瞳には、獲物を狙う猛禽のような鋭さを湛えている。


 その変化はモーリッツには見慣れたものだったため、特に反応はしない。主からの次の指示に応えるべく静かに控えていた。


 ソファで寛いでいたテオバルトは、面白がるように片方の眉をわずかに上げた。計画の残り3割は、側近としてよりも友人として、アルノルトを見守るつもりだった。その向かいで、背を伸ばした綺麗な姿勢で椅子に座るディートリヒは、口角を悪戯っぽく引き上げた。彼も次の段階は傍観者に徹する予定だ。だが2人とも、求めがあればすぐに手助けする心づもりではいる。


 三人の視線を一身に受けながら、アルノルトは高らかに宣言した。


「あとはシュトライヒ侯爵を説得するだけだ。全力で侯爵を丸め込んで、なんとしてでもエルフリーデとの婚約に持ち込むぞ!」


 アルノルトは、硬く握りしめた拳を天井に向けて、力強く振り上げたのだった。


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