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賢妃と呼ばれた王妃の思い

 わたくしの目の前には、エグタリット国のイーグリー第三王子の婚約者であるエリーナ・チェス侯爵令嬢が、優雅な微笑みを浮かべて立っている。

 だが、わずかに困惑した雰囲気が感じ取れるのは、我が夫であるこの国の王と息子である王太子の所為だろう。

 彼らは無遠慮にも無言で、彼女を凝視しているのだ。

 貴族のお手本のような挨拶を交わすエグタリット国の二人に、愚王と愚息はただただ見つめるのみ。

 失礼極まりない二人に溜息が出そうになる。

 まぁ、気持ちはわからなくもないのだが。

 わたくしはふっと表情を和らげて、陛下の代わりに貴賓と挨拶を交わす。


「よく来てくれました。貴方方の訪問を心から歓迎いたします」

 わたくしの言葉にエリーナ・チェス侯爵令嬢は、周囲に気付かれないようにホッと安堵の息を吐く。

 ああ、こんな仕草まで彼女と酷似している。


 挨拶が終わると音楽が流れ、わたくしは彼らをダンスへと誘導する。

 若い二人はお互いに見つめあい、嬉しそうに中央へと足を踏み出していった。

 相思相愛であるのが一目でわかる。

 こんな表情は、フレーシア様には見られなかったわねと残念に思いながら、チラリと横で佇む王太子に目を向ける。

 この愚息の所為で我が国は、彼女はひどい目にあったのかと十年経った今でも情けなくなる。

 だがそれも、わたくしの罪の一環だ。

 わたくしが子の産めない体であったのが、そもそもの原因だったのだから。



 わたくしアフディア・ゴロッシュは、ゴロッシュ国より東にあるバタラ国の第二王女であった。

 友好国の証として嫁いできたわたくしは、それなりに大事にされていたと思う。

 ただ一つ、この国には王位争いで起こした内乱により危機に面した過去があり、王族には一夫一妻制が義務付けられており、兄弟争いもご法度となっていた。

 そのため、王妃の役割は子を儲けることに重視されていたのだが、わたくしはそれを知らずに嫁いできたのである。



 これは誰にも話したことのない、死ぬまで背負うわたくし一人の罪。


 わたくしはゴロッシュ国に嫁ぐ二年ほど前に、バタラ国でわたくし付きの護衛をしていた近衛騎士と深い関係になっていた。

 侯爵家の二男なのだが、功績を上げればいつか第二王女であるわたくしとも一緒になれるだろうと、将来を誓い合っていたのだ。

 初めての恋に浮かれていたのだろう。

 後先も考えずに、ただ惹かれ合う心のままに体を重ねた。

 その時に万が一にも子ができぬようにと、ゴロッシュ国にただ一つある避妊薬を摂取していた。

 バタラ国には避妊薬など存在しないため、子ができなければ誰にも悟られないだろうとの安直な考えのもと、手を出してしまったのだ。

 今考えれば、全てが愚かとしか言いようがない。


 避妊薬は相手の近衛騎士が、ゴロッシュ国の知り合いにもらったらしいのだが、その容量用法を知らなかったわたくしは、大量に摂取してしまっていたらしい。

 結果、ゴロッシュ国に嫁いできてから三年後に子ができぬ体と判明してしまったのだ。

 医師には過去に変な物を口にしたことがなかったかと訊かれたが、わたくしは知らないふりをした。

 彼は訝し気にしながらも、王太子妃であるわたくしを問いただすことなどできず、産まれながらにそういう体であると上層部には報告した。

 けれど、本当はわかっていたのだろう。

 わたくしもわかっている。

 無知な頃のわたくしが犯したあの過ち、避妊薬の所為だということに。


 相手の近衛騎士は、嫁ぐ一年前に戦死している。

 本来なら王族の近衛騎士が戦場になど赴くことはありえないのだが、偶然その戦場に出発する予定だった騎士たちが相次いで病に倒れ、一握りの近衛騎士が代わりに出向くことになってしまったのだ。

 そこに名乗りを上げたのが、彼だった。

 わたくしと釣り合う身分を得るために、一つでも多くの功績を上げるのだと自ら志願して行ったのだ。

 小競り合い程度の戦だったため、誰もがすぐに帰ってくるものと軽い気持ちで見送った。

 その中でただ一人、彼だけが帰らぬ人となったのだ。

 仲間の一人が倒れたのを庇ったところに、矢を射かけられたのだと聞いたが、なんて運の悪い人なのだろうと、わたくしはあまりの彼の不運さに呆然として涙も出なかった。


 その後、ゴロッシュ国に嫁ぐことになったのだが、まさかゴロッシュ国に側室制度がなく国王は王妃ただ一人だけと関係することという、なんとも奇妙な掟があるなどとは思いもよらなかった。

 どうりでその時分は王太子であった国王陛下が、わたくしが初めてではないと疑いもしなかった訳である。

 この国には、婚姻前に乙女であることを調べる習慣はなかった。

 ということは、夫となる方さえ騙せればどうにかなる。

 政略結婚で友好の証として嫁いできた身には、近衛騎士との過去は絶対に隠しておかなければならない秘密であったのだ。


 初めての夜、わたくしは必死で乙女の演技をした。

 証の血も用意して、こっそりとシーツにこぼした。

 だが経験のある者ならば、その違和感に気が付いたはずである。

 内心の不安を隠して及んだ行為の後の満足げな夫の顔を見て、わたくしは密かにほくそ笑んだ。

 その時はまさか、このような事態になるなどと夢にも思わなかったのである。


 初めての行為に溺れた夫は、昼夜を問わず求めてきて、世継ぎを儲けるのも時間の問題だろうと囁かれていた。

 それが何か月経とうが、その気配がまるでない。

 首を傾げた上層部が、医師を派遣したのはそんな時。

 そうしてわたくしには、ゴロッシュ国が望む通りの役割を果たせないことがわかったのである。


 これは神様がくだした、わたくしと彼との罰なのだろうか?

 彼は早くに戦死して、わたくしは一生消えない罪を背負って生きていく。


 だからこそ、子を産むだけの元子爵令嬢の存在を容認した。

 馬鹿馬鹿しくも、人前でお腹に子供がいる演技までやり遂げて見せた。

 それなのに何を勘違いしたのか、彼女は王妃の座を譲れと暴れだしたのである。

 正直、高位貴族の令嬢ならばわたくしは喜んで、この場所を譲るつもりでいたのだ。

 友好国として条約さえ守ってくれれば、わたくしは離縁しても構わなかったのである。

 だが、品位も知恵も美しさも何もない小娘にこの座を譲り渡す訳にはいかなかった。

 これは王族として産まれたわたくしの、矜持である。


 そうして秘密裏に行われた結果が、これである。

 息子として育てた、いや、わたくしは必要最低限しか接してはいなかったが、その王太子が己の不出来さを棚に上げ、優秀な婚約者を蔑ろにして、国の要人たちを次々に手放したのである。

 婚約者のフレーシア嬢は、もしもわたくしに子が産めたならこんな娘が欲しかったと想像させるほど良くできた少女だった。

 正直、幼い頃から王太子妃教育に登城していた彼女を、王太子よりも露骨に可愛がってしまった気はする。

 そんな彼女を切り捨てた王太子を、反対に彼こそ切り捨てよと大声で叫びたかったが、さすがに王族の血を根絶やしにする訳にはいかなかった。


 この国の腐敗は、ここから始まった。

 フレーシア様の親であるタリト侯爵を皮切りに、優秀な高位貴族を手から水が零れ落ちるようにボロボロと失っていったのである。

 代わりに王宮を我が物顔で闊歩し始めたのは、低俗な下位貴族たちである。

 王太子が婚姻前に子を成したという話から、下世話な会話を城内で声高々に話すのだ。

 城内の規律を守る騎士団も、カイサック団長の存在がなくなると同時に崩れていった。

 その雰囲気に残った高位貴族も姿を現さなくなり、優秀な下位貴族も登城を控え始めた。

 そんな中、王太子殿下は真実の愛を手に入れたのだと囃し立てる者たちの中で、笑顔を振りまくサシュティスを見かけた。

 ああ、クズの子は所詮クズかと呆れ果てた。


 陛下はどうしてあの時、サシュティスの他に子を儲けなかったのだろうか?

 子爵令嬢の言動を見ていれば、ろくな子に育たないと思いはしなかったのだろうか?

 何度か秘密裏にもう一度、子を成す女性を囲ってはどうかとわたくしや側近が進言もしたのだが、陛下は聞き入れなかった。

 口では過去の内乱を引き合いに出して子は一人でいいとか、わたくしを愛しているからとか仰っていたが、どれも偽りだろう。

 本当は、子爵令嬢の荒ぶる様子から女性の醜さに恐れをなしたのだ。

 王太子に何も言えず、ここまでの事態を引き起こすまで動かなかった陛下に、昔の姿はない。

 渓谷の獅子とも恐れられたほどの人だったらしいが、今の彼にそんなものは微塵も感じられないと、会場の中心で踊るエリーナ・チェス様を呆然と見つめる間抜け面に、内心で溜息を吐くのだった。

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