私がいなくなってからのお話
私、サシュティス・ゴロッシュ……いや、もうただのサシュティスは、目の前にいる私の元側近だった男、ゼシュア・クラードに苦笑した。
不貞腐れた顔を隠しもしないで、突っ立っているのだ。
私は目の前にある椅子を指差した。
「どうした? 椅子があるのだから座ればいい」
私がそう言うと、ゼシュアは目を大きく見開いた。
「……そんなこと、今まで一度だって仰ってもらった覚えはありませんよ」
「そうだったか……。それはすまなかったな。私はそんなことにも気付けない愚かな男だったのだろう」
「どうして……。まるで憑き物でも落ちたかのような雰囲気ですね」
私の返答に納得がいかないのか、ゼシュアは眉間に皺を寄せて苦しそうに呟いた。
「宰相もそんなことを言っていたな」
先日この部屋に訪れた宰相も、私の態度に驚いた表情で同じ言葉を吐いていた。
私はそんなにも変わったのだろうか?
またもや苦笑してしまう。
私自身は変わったつもりなどないのだが、確かに心なしかスッキリした気分ではある。
何が? と訊かれたら困るのだが……。
ゼシュアは鉄格子のはまった窓を見た。
「宰相様から、その後の報告はお聞きになりましたか?」
「私がいなくなってからの話だな。ああ、一応聞いた」
私は宰相からの報告を思い出す。
私が牢に入れられた後、王太子の椅子には例のエグタリット国から来た第三王子の側近、カーチィス・サクスが座ったそうだ。
彼は過去の内乱の際に姿を消した王女の子孫で、れっきとした王家の一員であった。
平民に紛れ込んで暮らしていたそうだが、幼い頃に公爵家に引き取られ、貴族としてしっかりとした教養を身につけていた。
それを知っていたのは、外務大臣でエグタリット国にも頻繁に訪れていたタリト侯爵。
そして宰相は十年前の事件後、タリト侯爵から、その話を聞いたそうだ。
私の他にも王族はいるのだと。
十年前……フレーシアが目の前から消えた私は、ショックのあまり考えることを放棄した。
己のエゴイストが招いた結果とはいえ、まさか彼女がいなくなるなんて思いもしなかったのだ。
それが突然、突き付けられた真実を、私はどうしても受け入れることができなかった。
私はフレーシアが傍にいてくれた時にも素直に優しくすることができず、そしていなくなった時にも素直に嘆くことができなかった。
本心を伝え、誠実に接していればよかったものを、どうしても己のゴミのような矜持を優先させてしまったのだ。
母上が産みの母でないことを知って、妙に納得した。
そうか、だから私は彼女から母親の愛情を感じられなかったのだな。
彼女の言うことが本当ならば、どうやら私の産みの母親は最低な人間だったらしい。
どうりで一部の貴族から、侮蔑のこもった眼で見られていたはずだ。
父上に逃げられていることも、わかっていた。
誰も彼もが私とは距離を置いていたのだ。
だから人との距離感がわからずにいたのかもしれない。
フレーシアを遠くから眺めていた時だけが、幸せだったのだ。
ああ、いや、これも他人の所為にしているな。
ただ単に、私が我儘な人間だっただけのことだ。
「――昨日、ミモザ様が国から与えられた市井の家に移られました。そこで平民として暮らしていかれるそうです」
「そうか。彼女にもひどいことをした。私の私財から当分は困らない程度のまとまった金額を渡してくれていたら、ありがたいが……」
思わず自分の思いに囚われていると、ゼシュアがミモザの話をした。
ミモザ……。
確かに彼女にもそれなりの野心はあったかもしれないが、それでも私が彼女にしたことは許されるものではないだろう。
彼女はただ単に愚かな……可愛い女だったのだ。
私になど関わらなければ、それなりに幸せになれたであろう。
「貴方の私財は国に没収されましたので、他の所からちゃんと工面されます。まとめて手渡すと、変な輩に襲われる可能性もありますから、様子を見ながらお渡ししていくそうです。一度しか見せていない王太子妃の顔を覚えている者がいないとは限りませんから、当分は護衛の兵士に遠くから見守らせるそうです」
それを聞いて、私はホッとした。
盛りを過ぎているとはいえ、彼女はまだまだ魅力的だ。
女性の一人暮らしとして、変な輩に目を付けられないとは言い切れない。
フレーシアに対する当て馬のような存在だったとはいえ、それでも私は彼女を可愛いと思ったし、一時は安らぎも与えてもらった。
フレーシアがいなくなった後の十年、気まぐれに抱くくせに喧嘩ばかりして、彼女の監禁生活を助けようともしなかった私は、本当に最低な人間だと思う。
「ミモザには……幸せになってもらいたい。なんて私が言うなという話だな」
「……いいんじゃないですか。そう思うのは、自由です」
私が思わず呟いた言葉に、ゼシュアは頷きながら肯定してくれた。
自分でも勝手だと思うのに、どうしてゼシュアは頷いてくれるのだろう?
私はゼシュアを見つめた。
彼との出会いは、フレーシアがいなくなった後。
血だらけのフレーシアが運ばれた後、呆然とする私に声をかけてきたのが彼だった。
思い通りにいかない日々に荒れて、彼にも無理難題を言いつけていた。
この十年を思い出して、ゼシュアとはろくなことがなかったなと苦しくなる。
「色々とすまなかったな。お前にも、迷惑をかけていたことはわかっている」
「そうですね。ほとんどの仕事を僕に押し付けて、気に入らなければすぐに処刑してやると脅すのですから、ひどい主君でしたよ」
あっさりと言い返すゼシュアに、目を丸くしてしまう。
ああ、そうだった。
彼は意外とタフだったのだ。
私が何度も「殺してやる」と叫んでも「ならば殺せ」と言い返す彼に、根負けしたのは私の方だった。
「お前はこれからも、王太子の側近をするのか?」
「はい。カーチィス様は誰かと違って優しい方ですので、やりがいがあります」
「あはは。そんなことを平気で言うのは、お前ぐらいのものだ」
歯に衣着せぬ物言いに、私は思わず笑ってしまった。
こんなにハッキリと言葉にするのは彼だけだろう。
だから私も本音で話すことができるのだ。
「私が言うのもなんだが、彼を……カーチィス王太子を支えてやってくれ。お前なら彼の良い右腕になれるだろう」
「これでも僕は、貴方の右腕になりたかったのですよ。貴方に声をかけてもらった時は、素直に嬉しかったのだから」
「そうか。それは、すまないことをした」
ゼシュアの気持ちを聞いた私は目に熱いものが込み上げそうになったが、グッと耐えた。
今まで彼の気持ちを知ろうともしなかった私が、こんなところで涙を流すのは卑怯だろう。
それはゼシュアに対しても失礼だ。
「……国王陛下が、公務をするのは厳しくなってきました」
しんみりとした空気の中、ゼシュアが宰相から聞いていた父上の容態ついて口を開いた。
「……私は見舞いにもいけないからな。できるだけ、痛みがないように薬を処方してくれると嬉しい」
「お二方が、すまなかったとお伝えしてくれと……」
二人? と聞いた私は一瞬誰と誰かと考えたが、すぐに父上と母上だと気が付いた。
私から逃げ回っていた父上と、産みの母でないことを明かした母上。
私はゼシュアに微笑んだ。
「謝罪は無用だ。私がいたらないばかりに、お二人には無理をさせた。こちらこそ申し訳ございませんでしたと反対に、謝罪しておいてくれないか」
「……僕は、伝言係ではないですよ」
「頼むよ」
頭を下げると、ゼシュアの息を呑む音が聞こえた。
今の私ができることといえば、これぐらいしかない。
苦労しかない人生だったお二方には私のことなど気にせず、これからの日々を少しでも穏やかに過ごしてもらいたいのだ。
「どうして、もう少し早く、今の貴方になってくれなかったのですか? そうすれば違う未来が開かれたのに」
たまらないといった感じで、ゼシュアが声を荒げた。
目にうっすらと涙の幕が張っている。
そんな彼に私は苦笑する。
「無理を言うな。フレーシアがいなくなったと認められた今だからこそ、私は素直になれたのだ」
「サシュティス様、貴方にとってフレーシア様は……」
「――愛しい女性だった」
彼女がいなくなった後、私はますます愚かになり、身を滅ぼした。
だが、私がいなくなった後のこの国は、めでたしめでたしで終えられるほど栄えるだろう。
それが今の私が望む、私のいなくなってからのお話だ。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。