悪役令嬢の居場所と自分の幸せ
俺は廊下の窓から庭を眺めていた。
そこにはウォルトとフレーシアの四歳になる息子セルディックと、二歳の娘セルディアナが侍女に遊んでもらっていた。
ほのぼのとした情景に、またお前たちの弟か妹ができるかもしれないなと、ぼんやりと考える。
先ほどその兄夫婦とゴロッシュ国の今後の話をしていたのだが、気が付くといつの間にか部屋中がピンク色に染まり、義姉である悪役令嬢から部屋を追い出されたのである。
――まあ、あの悪役令嬢なら俺の兄を幸せにしてくれるだろう。
前世を思い出した彼女は、俺の助言通りに母国では悪役令嬢ではなく、聖女を完璧にやってのけた。
本来の性格はウォルト第一主義の、少しお人好しではあるが自分勝手な性格だ。
ゴロッシュ国の宰相辺りは、フレーシアの最後の行動を改革だと何だと勘違いして国を一掃するために頑張ったようだが、彼女にそんな気持ちは一切ない。
ただ単に死からの回避と、ウォルトにプロポーズされて、早くエグタリット国に来たかっただけなんだ。
容姿だけなら別としてそんな身勝手な、決して聖女とは呼べない悪役令嬢が、幸せのために十五の年まで偽りの聖女を演じたのだ。
その演技力と根気強さは、尊敬に値する。
婚約者である王太子に罵詈雑言を受ける日々の中、腹黒の貴族連中を相手に、聖女の仮面をかぶるのは並大抵の努力ではなかっただろう。
何より彼女には心から好いていた相手がいるのに、他のクズ男を婚約者と扱うのはどんな気持ちだったのだろうか?
いくら前世の記憶を持っていたからといって、俺には彼女と同じことなどできそうにもない。
彼女自身がとても強い人間なのだろうと、俺は感心するしかなかった。
だが彼女のそんな努力のおかげで、義理の弟であるカーチィスは、本来あるべき場所に戻れた。
これからを考えると大変な道のりではあるだろうが、仲間もいるし何より正義感溢れる弟にはやりがいのある立場だろう。
これで俺の兄弟は、二人共幸せになれる。
ふと廊下に視線を戻すと、父上の元サクス公爵がこちらに向かって歩いて来ていた。
「やあ、カルセ。ウォルトとフレーシアは部屋にいるかな?」
片手をあげて、ニコリと微笑む。
相変わらず年齢不詳の若々しい姿だ。
とても三人の息子、しかも二人の孫がいるとは思えない父親に溜息を吐く。
「いるけど、今邪魔したらウォルトよりフレーシアの怒りの方が怖いと思うよ。俺も追い出されたところ」
「……そうか。後にしよう」
父上は俺の言葉に素直に従い、そのままクルリと元来た廊下を戻っていく。
父上もフレーシアのウォルトに対する異常なほどの深い愛情を知っているので、空気は読むようにしている。
いや、単純に彼女の怒りが怖いだけなのかもしれないが。
「カルセ、私に少し付き合わないか? いいワインが手に入ったのだ」
俺がその場に留まっていたのに気が付いた父上は、俺を飲みに誘う。
「チェス侯爵やイサク団長をお誘いになったらいいのに」
「たまには息子とサシで飲むのも悪くないだろう」
「仕方ありませんね。付き合いますよ」
ニッと笑う父上に、俺はニッと笑い返してついて行った。
談話室に着くと、早速ワインとつまみが用意される。
どうやら父上が、皆と飲もうと用意させておいたのだろう。
ウォルトとフレーシアがいなくて残念でしたと父上を見上げると、彼は気にした風もなくワインの香りを楽しんでいた。
「カーチィスがいなくなるのは寂しいが、これも運命だろうな」
ワイングラスを回しながら、父上はそう呟いた。
カーチィスがゴロッシュ国に向かった際に覚悟は決めていたのだが、やはり決定事項として聞かされた衝撃は大きかったのかもしれない。
「父上はカーチィスを可愛がっていましたからね」
クスリと笑ってそう言うと、父上はおやっと目を丸くした。
「それは君たちもだろう⁉」
「俺は父上やウォルトほど、面倒は見ていませんよ」
「面倒を見るのと可愛いと思う気持ちは別物だ。それに……」
父上はそう言って、俺をジッと見つめてきた。
何か? と首を傾げると父上はふっと笑った。
「君が私たちの幸せのために、色々と動いてくれていたのは知っているよ。フレーシアと結託して、一生懸命見つからないように頑張っていたのは、可愛かったなぁ」
突然そんなことを言われて、俺はギクッと体が跳ねた。
誤魔化す暇など一切なかった。
図星、と笑う父上に俺はあんぐりと口を開いて見つめる。
「二人が何かしらの考えの元、動いているのはわかっていたが、私はそれを問いただそうとは思わなかったよ。カーチィスを見つけた時も、ただ君たちが『ゴロッシュ国の王家に縁のある者が、この国の平民に紛れています。彼を見つけ出して保護してください』と必死に訴えてきたから、協力しようと思ったんだ。まあ、それも君たちがあっさりと居場所を見つけたから、私は迎えに行くだけだったが。君たちの行動は、きっと私たちのためのものだからとウォルトと話していたからね」
ニッコリと笑う父上に、俺は唖然としてしまった。
えっと、それは俺とフレーシアの暗躍を、ウォルトも知っていたということか。
う~っと頭を抱えると、そんな俺を見て父上は声を出して笑いだした。
「君は本当に頭がいい。そして誰よりも家族思いの優しい子だ。自慢の息子だよ」
ぐしゃぐしゃと頭を撫でまわす父上に、俺はやめてくださいと子供のように暴れた。
そりゃあ、色々と企てて皆を動かしたのだからある程度はバレているだろうとは思っていたが、まさか知っていてわざと何も聞かずに泳がせていたなんて、思いもよらなかった。
俺はチラリと父上を見つめると、ハア~ッと特大の溜息を吐いた。
「見守っていてくださったのは、正直助かりました。その、理由を説明しろと言われてもできませんでしたので……。今もできません。ただ悪いようにはなっていません。それだけは信じて、安心してください」
父上になら前世のことを話しても信じてくださるとは思うものの、やはりこのような途方もない話などしても混乱させるだけだと、俺は言葉を濁らせながらも悪いようにはしていないと訴えた。
以前にフレーシアと、ウォルトだけには前世の話をしておこうかと相談したことがあったが、結局彼を困らせるのは得策ではないと判断したのだ。
死さえ回避できれば、それほど前世の記憶は問題ないとフレーシアが言ったからだ。
でも産まれた時から記憶のあった俺には、前世の記憶は問題ありまくりだった。
その所為で家族にも多大な迷惑と心配をかけたのだから。
今俺が引きこもり状態になっているのも、そんな過去が原因ではある。
まあ、それもサクス公爵家の事業の一つで薬草の研究職に就いている今となっては、確かに問題はなくなったかもしれないが。
父上は俺の頭にポンッと手を置いた。
そうして慈しみのこもった瞳で見つめてきた。
「信じているよ。だから今もこの先も、君たちに何かを聞くつもりはない。ただカルセには、もう少し自分の幸せも考えてほしいな。フレーシアなど、ちゃんと自分の幸せはもぎ取っているだろう」
「……ええ、逞し過ぎて感心します」
「ハハハハハ」
そうか、父上は俺に話させようとしているのではない。
ただ単に、俺の幸せを考えてくれていたのだな。
それならば俺はわざわざ話す必要などないだろう。
俺はこの場にいないフレーシアに思いを馳せる。
今頃は、愛しのウォルト様の腕の中で幸せをかみしめていることだろう。
彼女は誰に対しても存在感のある女性だった。
彼女自身はそのように演技をしていたというかもしれないが、それでも彼女にかかわった全ての者に影響を及ぼしていたのだ。
良くも悪くも強烈な悪役令嬢。
もしもここから彼女がいなくなったらと考えるだけで、この幸せが壊れる姿を想像して、俺はゾッとする。
だがウォルトがいる限り、彼女がいなくなることは決してありえない。
自分の力で幸せを勝ち取った同じ転生者。
父上の仰る通り次は自分の幸せだなと、俺はワインを喉に流し込むのだった。