クズ王太子の退場劇
ここにいる全員に侮られた私は、怒りで体が震えだす。
王太子である私の人生が間違っているだと⁉
父上では話にならない。
私は体をこわばらせて座っている母上に、視線を向けた。
「母上、私は確かに貴方に教えを乞う機会はなかった。だが、貴方が産んだ私は間違いなく、貴方の聡明さも受け継いでいるはずだ。その私の人生が間違いだなどという輩を、野放しにしておいてよいのですか⁉ 宰相など不敬罪で捕らえてください!」
「……受け継いでなんて、いるはずないでしょう。貴方が私の何を受け継ぐというの? 血も繋がっていないというのに」
「え?」
母上が真っ青な顔で、口角を上げる。
その顔は笑顔であるはずなのに、醜く歪んでいた。
今、母上は何て言ったのだ?
血が繋がっていない? 誰が? 誰の?
父上が慌てて母上の肩を掴む。
「アフディア、余計なことを口にするな!」
だが母上は父上の手を振り払うと、金切り声で喚き始めた。
「もう我慢の限界だわ! こんな愚か者の母親だなんて周囲に思われて、私がどれほど苦汁をなめてきたと思うの⁉ 私の本当の息子なら、もっと賢い子に育つわよ。こんな出来損ない、あの侍女にそっくりだわ!」
母上の叫びに、私の思考は止まる。
私は……母上の、子供では、ない⁉
母上はキッと私を睨みつけると、オホホホホと甲高い声で笑いだした。
「お前は陛下と事故で両親を失った身寄りのない侍女、元は子爵令嬢との間の子供なのよ。教養のない下品な勘違い女が、お前の母親なの。王族の何たるかもわからない馬鹿なお前など、私の子供のはずがないではないの」
硬直する私の耳に、父上の怒鳴り声が聞こえる。
「もとはと言えば、お前が子供の産めない体なのが悪いのではないか! 余の血を馬鹿にするな!」
「でしたら側室を持てばよろしかったのよ。馬鹿な掟に縛られて女は王妃ただ一人など、王族の血を尊いとお考えなら、そんな掟は破るべきでしたわ」
「それは、過去の犠牲を考えたなら必要なことだったのだ。仕方がないではないか」
「過去の犠牲を考えて、未来の望みを潰したのでは意味がないではないですか」
私に蔑みの目を向けていた母上が、いつの間にか父上と怒鳴り合っている。
私はまだ動けないでいた。
私の母上は他国の王女であった母上ではなく、身寄りのない侍女だったのか?
教養のない下品な女の血が、私の中にある⁉
ふと宰相に視線を向けると気まずそうに、ふいっと顔を逸らされた。
その行動で、母上の言っていることは事実なのだとわかる。
この中でそれを知っているのは、どれだけいるのだろうか?
私はノロノロと周囲を見渡した。
表情を変えないその姿に、ほとんどの者が知っているのだと悟った。
それもそうか。
ここにいるのは宰相派閥の上層部だ。
秘密も共有しているのだろう。
それ以外、騎士やエリーナ嬢を攫った際に利用した者たちはさすがに驚いた表情をしている。
ただ一人、侍女頭のドンナだけはひどく青ざめていた。
もう一度壇上を見上げると、エグタリット国の者たちは平然としている。
他国のことだから関係ないと日和見なのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。
「……まさか、お前たちも知っていたのか? もしかしてタリト侯爵、か?」
震えながらそう言うと、王族の血族であるという男は冷めた目をして私を見つめた。
「そんなこと、どうでもいい。それとお前の過ちは、全くの別物だ」
その言葉に、罵り合っていた父上と母上はハッとした表情をして黙り込んでしまった。
私はダランと、体中の力が一気に抜けたのがわかった。
そうか……そうか。
私は過ちを犯してしまったのだな……。
私が抵抗しなくなると、騎士は私を連れて行っていいかと再度、国王である父上に視線を向けた。
父上は衆人環視の中、母上と罵り合ったことにバツが悪いのか視線を背けている。
ああ、また父上は逃げているのだな。
そう、父上はずっと私から逃げていた。
母上は私に関心がなく(我が子ではないのだから当然か)父上に避けられていた(我が子なのに生い立ちの所為か)私は、ずっと一人なのだと思っていた。
高位貴族に疎まれ、下位貴族には媚びられ、使用人には怖がられた。
そんな時に現れたのが、フレーシア・タリトだった。
微笑みを絶やさず、いつも寄り添ってくれた彼女だけが私の唯一なのだと思っていたのだ。
それなのに、つまらない矜持で彼女を傷付けた。
彼女の苦痛の表情に快感を得るなど、愛情が歪んでいった。
本当はわかっていたのだ。
私はただ単に、私の全てを包んでくれるフレーシアに赤子のように甘えていたかっただけなのだと。
ハハハハハと私の口から、乾いた笑いが込み上げる。
「……すまなかった、エリーナ嬢」
私が俯いたまま口を開くと、全員が私の言動に注目する。
だが、そんなことはどうでもいい。
私はエリーナ嬢に言葉を続けた。
「君がフレーシア・タリトではないことなど、わかっていたのだ。フレーシアが死んだと聞かされて、唯一私がしがみついていた感情の行き場が、なくなってしまった。それでフレーシアにそっくりな君に縋りついてしまったのだ。壊れていたのか。いや、とうに壊れていたのだ。私はフレーシアに去られたあの日に……」
シンと静まり返るその場所で、エリーナ嬢の呆れた溜息が響いた。
「壊すことしかできなかった者は結局、自分自身をも壊すのですわ」
「そうだな。貴方の言う通りだ」
そうして私は、父上の言葉を待たずに騎士を促して牢へと自分の足で歩いていく。
もう何も残されていない。
これが王太子という身分でありながら、何も守らず自分勝手に壊していった私の末路なのだろう。
扉に向かう際、ドンナが私を震えながら見つめていた。
ふと、フレーシアが王城に来た際は彼女が良く勤めていたことを思い出した。
私には向けられない笑顔を、彼女には向けていたなと。
「長年、フレーシアに良くしてくれて、ありがとう」
私の口からはそんな言葉が、ごく自然に流れ出た。
ドンナは目を丸くしていたが、私はクルリと壇上にいる宰相に顔を向けた。
「宰相、この者たちは私が王太子という名のもとに従わせただけだから、罰は軽くしてやってくれ」
ニヤリと笑ってそう言うと、周囲が息を呑むのがわかった。
いや、最後の最後まで何言ってるんだと、ドン引いているだけなのかもしれないが。
私はそのまま姿勢を伸ばして、騎士と共に再び歩き出す。
「最後の最後に、そんな王太子らしい言葉を口にするのは、卑怯ですよ」
扉が閉まる際、宰相がそんな呟きをしていたことなど、全てを背にした私は知る由もなかった。