奥の手とされた彼の困惑
俺はサクス公爵の客間で、義兄のウォルトの横に座る義姉のフレーシアに俺と同様呼び出された第三王子のイーグリー及び婚約者のエリーナと顔を見合わせた。
部屋の隅にはもう一人の義兄、カルセの姿もある。
俺はウォルトの視線に注意しながら、フレーシアに尋ねた。
昔のように闇雲に突撃すると、またウォルトに投げ飛ばされかねない。
この男もイーグリーと同様、地雷が伴侶だというのだから面倒くさいものである。
「フレーシア、いきなり俺たちを呼び出して何の話をしようとしている? 絶対に面倒くさい話だろう」
「あら、さすがはカーチィスですわね。貴方のその疑り深いところ、とても素敵だと思いますわ」
コロコロと笑うフレーシアと、彼女に素敵だと言われた俺を睨むウォルト。
やめてくれ、胃が痛くなってきた。
俺は俯きながら「帰らせてくれ」と頼むが、フレーシアにキョトンとされてしまう。
「まだ何のお話もしておりませんわ」
「聞いたら絶対に断れないヤツだろう⁉ 拒否権があるうちに引き返したい」
「もう、カーチィスったら本当に素敵ですわ。空気の読める男は大好きですわよ」
フレーシアの大好きだという言葉に、ギンッと目を光らせるウォルトに身を震わせる。
「やめろ。俺はまだ死にたくない」
「フフフ、もう少ししたらお父様方、サクス公爵とチェス侯爵がこちらにいらっしゃいますわ。それまでお待ちいただけますかしら?」
ドサッと、俺はソファに身を預ける。
チェス侯爵とはフレーシアの父上で、この国ではタリトからチェスと改名された。
二人の名前を聞いた俺は、これは最早断れない話なのだと悟った。
フレーシアの旦那はもちろんのこと、両家の父親、ウォルトの弟、フレーシアの妹、その婚約者、全員が彼女には甘々で逆らえないのだから、どうしようもない。
ああ、フレーシアの妹というのは当然、エリーナ・チェスのことだ。
十歳違いとはいえ、これほどよく似ているのだから、赤の他人のはずがない。
「急だが、ゴロッシュ国に変化があった。現国王が先日、自室で倒れたそうだ。秘密にはしているが、どうやら長くはないようだな。そして、サシュティス殿下に改心の兆しは一切ない。可哀想に、とうとう宰相が泣きの手紙を送ってきたよ。奥の手をお願いしたいと」
暫くしてやって来たサクス公爵に開口一番そう言われて、皆が俺に注目した。
「……それって、俺のこと⁉」
恐る恐る自分に指差し確認すると、フレーシアがパンッと手を叩いた。
「勘の良い子は大好きですわよ、カーチィス」
「だから、それやめろ。一々ガンつけるな、ウォルト」
フレーシアの言葉に……以下略。
いい加減、この流れは遠慮したい。
今はそれより、考えなければいけないことが山のようにあるだろう。
「そのクズな王太子を廃して、俺を王太子に据えようって腹か? まあ、元々俺を拾ったのもその思惑があったからだったけどな」
俺は昔、サクス公爵に聞いた話を口にした。
そうでなければ、平民の中に埋もれていた俺をわざわざ探しだして、公爵家の養子になどするはずがないのだから。
するとフレーシアは、またもやキョトンとした顔をする。
「あら、もしかしてお嫌だったのかしら? カルセ、カーチィスには王様になる野望はなかったそうよ。おかしいですわね?」
「いやいや、彼はまだクズ王太子やあの国の現状を見ていないからそう言うんだよ。ちゃんと真実を見極めたら動くよ。カーチィスはそういう男だ」
「どういう男だよ⁉ 何二人で俺の性格を決めつけているんだ? 俺はそんなに地位に固執するようなゲスイ男だと思っていたのかよ⁉」
フレーシアとカルセが俺という人間を分析するような言葉を吐くのにカッとして、思わず怒鳴ってしまった。
カルセは部屋の隅で「うひゃっ」と言って、丸まった。
すると、首を傾げるフレーシアの肩に手を置きながら、ウォルトが抑揚のない口調で説明した。
「正義感溢れる男だと思っていたんだよ。二人に相談されたとき、そう言っていた」
「は?」
急に何を言っているんだと、俺はウォルトを見つめる。
「国の惨状を見過ごせない立派な男に育つだろうから、今のうちに貴族の世界に慣れさせて見聞を広めさせてあげてほしいと、フレーシアとカルセが頼んできた。だから父上とチェス侯爵と俺は、教育を受けさせて現実を見た後は、本人に決めさせたらいいと話し合ったんだ。そうしてお前を探して迎えに行った。いけなかったか?」
コテンと首を傾げるウォルトに、俺は言葉が出なくなる。
いや、待て。それって、二人には俺の未来が見えているということなのか?
そして、ウォルトたちはそれを疑いもせずに行動したというのか?
「……二人が俺の性格を知っているというのなら、わざわざサクス公爵で引き取らずに直接、ゴロッシュ国の王家に送ったら良かったんじゃないのか?」
俺の性格は二人には見えていて、それを疑わずに動いたという三人にもやもやしてしまう。
それならば俺がそんな立派な奴ではなくて、自分本位の厄介事からは逃げてしまうような性質の人間なら拾わなかったというのだろうか?
俺が今この場でゴロッシュ国に行くことを拒否したら、ここにいる皆は当てが外れたと後悔するのだろうか?
俺は、俺をわざわざサクス家に迎えた意味が知りたかった。
「あら、それはいけませんわ。あの時点でカーチィスがゴロッシュ国に向かったら、暗殺されていたと思いますわよ」
「は?」
いきなりフレーシアに暗殺などという怖い言葉を吐かれて、俺はビシッと固まった。
そんな俺を無視して、フレーシアはおっとりとチェス侯爵を見上げる。
「あの頃のゴロッシュ国の内部はかなりひどかったですものね、お父様」
「ああ、そうだね。だからこそ、フレーシアがあのクズの婚約者になる羽目になったのだからね」
「王族は貴族からなめられていたのですわ。権威があるのは表面上だけ。バラバラな王族一家に付け入るスキがあると見た貴族が、まずは王太子を自分の傀儡にしようと動いていたのですわ。それで仕方なく、わたくしが婚約者になったのです。どこかで邪魔する存在がいないといけないと思ったのですわ」
初めて聞くフレーシアの行動に、俺は呆然と彼女を見つめた。
だから皆が言うようなクズの婚約者に収まっていたのか?
自分の身を投げ出して……。
俺はウォルトに視線を向けた。
「俺はフレーシアが思うように生きればいいと思っていたからな」
彼は俺の言いたいことに気が付き、考えを話してくれた。
その答えに目を丸くする俺の横から「ハッ」という嘲笑が聞こえた。
「僕なら無理だね。そこに愛がなくとも、エリーを他の男の婚約者になどできるはずがない。ウォルト兄様はすごいと思うよ」
ずっと黙って見守っていたイーグリーが、エリーナの肩を抱きながら呆れたようにそう言った。
惚れた女をみすみす手放すなど、信じられないというように。
エリーナは「もう、イーグってば言い過ぎですわ」と窘めながらも、まんざらでもないようだった。
「ウォルトの愛は無償なのですわ。それに甘えたわたくしは嫌な女ですけど」
フレーシアが苦笑しながらウォルトを庇う。
すると彼はキョトンとしながら、首を横に振った。
「そんなことはない。嫌な女なら愛したりはしない」
「ウォルト……」
いつの間にか甘い雰囲気になる義理の兄夫婦に「おい!」と横槍を入れる。
そんなことは二人きりの時にしてくれ。
今は話の途中だと半眼になると、二人はキョトンとした顔になる。
気付かないこれが素なのだから、周りは苦労させられる。