二兎追うものは全てを失う
「ご説明をお願いします」
淡々と屋敷の購入理由を訊く妻に、僕の背中には嫌な汗が流れ落ちる。
「……わかった。説明する。だがその前に、お茶を一杯飲ませてくれ。それぐらいはいいだろう?」
ヘラリと笑う僕に妻は半眼になるも、ハア~ッと大きな溜息を吐いて執事に指示を出す。
老執事は侍女を呼びつけると、お茶の用意をさせた。
ついでに軽食も頼んだので、暫く時間はかかるだろう。
その間に渡された書類に目を通す。
ご丁寧に屋敷の大きさや場所、購入金額全てが事細かに書かれてある。
そして僕が、ついこぼしてしまった夫婦で住むという言葉を鵜吞みにした業者が、屋敷にある備品以外の家具や絨毯、壁紙のカタログまで添えていた。
それは女性が喜びそうな、華やかな物が多かった。
ここまで揃えられていては、最早隠し通すのも難しい。
僕は前に座る妻に顔を向けると、はにかんで見せた。
「……君を驚かせようと思っていたんだが、バレてしまっては仕方がないね。実は、君の誕生日プレゼントにと、考えていたんだよ」
「え?」
驚く妻に、僕は堂々と嘘を吐く。
「その、義父上はお元気で離れに住んでもらっているだろう。なんだか僕たちの行動まで知られているような気になって、君と心から接することに気恥ずかしさがあったんだ。だから、たまにでいいから少しだけ、距離をあけて過ごしてみるのもいいかと思って、あの小さな屋敷を見つけたんだ。あそこならここから距離もあるし、二人きりの時間を過ごせると思ったんだよ」
「……二人きりになりたければ、屋敷など買わなくても宿屋で十分ではないですか。仕事だって、いつまでもお父様に任せきりで一日でも早く全てを引き継がなければならないのに、頻繁には利用できませんよ。維持費など、勿体ないです」
僕が告げた言葉に妻は少しだけ頬を染めたが、すぐに視線を逸らしてキツイ口調で否定してきた。
確かに僕は男爵の跡を継いでこの屋敷の主人になったが、領地の仕事など僕では捌けないものを妻にも手伝ってもらっている。
それでも大半はまだ妻の父親、元男爵に任せていることが多くて、それを妻はとても気にしていたのだ。
妻の言っていることも理解できるが、それでも嘘ではあるにしろ僕の気持ちをそんな風にキッパリと否定されるのは、気に入らない。
こういうところが、可愛くないと僕は半眼になってしまう。
そんな雰囲気の中、侍女が軽食のサンドウィッチとお茶を運んできた。
僕は目の前のサンドウィッチを頬張る。
少しの間、無言になる。
そうしてサンドウィッチを食べ終えた僕は、頭を上げて妻を睨んだ。
「君の言う通り、仕事も大変だとは思う。だけど、僕は義父上のもう一つの望みも叶えたいと思っていたんだ」
「お父様の、もう一つの望み?」
「跡継ぎだよ。僕たちには子供がいない。そろそろ跡継ぎを作らないと、君の年齢的にもきつくなるだろう?」
「!」
妻は僕より五つ年上だ。
十代後半から二十代前半で子供を産む女性が多いこの世界で、三十を超えた女性の初産は大変だと聞く。
僕は妻が気にしているだろう部分を、責めてみたのだ。
「結婚してもう大分と月日は経つが、僕たちにはまだ子供の気配はない。だから気分転換も兼ねてみるのも、一つの手かと思ったんだ。それを君は、僕の気持ちをそんな風に言うんだね」
「あ、それは……」
妻が言い淀んだのを見て、内心ニヤリと笑う。
よし、このまま押せば屋敷を購入するのに反対はされないだろう。
だがそこで、横やりが入った。
妻の後ろに控えていた、老執事である。
「旦那様の仰ることも理解できますが、それならば大旦那様に先に相談されるのが筋ではありませんか?
いくら小さくても屋敷は屋敷です。莫大な金額がかかる案件を、奥様にも大旦那様にも内緒で進められるのは、如何なものでしょうか?」
「夫婦の会話に、執事風情が口を挟むな!」
偉そうに男爵の名前を口にする執事に、僕は苛ついた。
子作りをするから屋敷が欲しいとでも言えというのか? 馬鹿にするな。
もう少しで、妻を落とせるのだ。
彼女さえ首を縦に振れば、屋敷は手に入る。
妻は自分が言うように、滅多にここから離れることはないだろう。
妻が屋敷に訪れた時にだけミモザを隠せば、彼女との幸せな空間は守られるのだ。
そしていずれ男爵が亡くなれば、妻がなんと言おうがミモザを愛人として公に出すことも可能となる。
ミモザとの間に子供でもできれば、その子を男爵家の跡継ぎにするのもいい。
どうせ妻との間には、子供などできるはずもないのだから。
僕は執事を怒鳴りつけた。
「申し訳ありませんが、私は大旦那様より奥様をお守りするよう指示されております。それにこれは、どういうことなのでしょうか?」
そう言って、老執事は先ほどより多い紙をパラパラと机にばら撒いた。
「それほど高価な物ではありませんが、明らかに奥様のサイズとは違うドレスや、奥様の好みではない宝飾品などがあげられているのは、どうしてでしょう?」
「!」
僕の目の前にばら撒かれたのは、ミモザのために用意しようとしていた身の回りの品書きだった。
だが、あれらはまだ買った訳ではない。
ミモザを下賜された際に、彼女がどれほど荷物を与えられるかわからなかったからだ。
当分、暮らすのに問題ない程度ならすぐに買う気などなかったし、何より彼女の好みがわからない以上、勝手に買って拗ねられても困ると思ったのだ。
サシュティス様から話を持ち掛けられた際に、彼女はどんな物が似合うかと、浮かれて店を見て回ったにすぎない。
それなのに、そんな物の請求書が送られてくるなど、ありえない。
「それは何かの間違いだ。ただ単に店に入っただけで、冷やかしのつもりだった。その証拠にサイズも好みも適当だ」
「それはおかしいですね。どの店でも、サイズも好みも一緒です。まるで特定の誰かを想像して、注文したかのようです」
「ふざけるな! 僕を陥れるつもりか? 僕は何も購入していない。そんな請求書など捨ててしまえ!」
「請求書ではありませんよ。旦那様がお気に召された品を、どうされるかの御用聞きです。購入の意思があるなら取り置きしておきますといった内容ですね」
「は?」
そんな物、初めて聞いたと僕は唖然となる。
そうか。基本的に貴族は、購入する意思があるから店に行くのだ。
そこで少なからずは、何かを手に入れる。
何も買わずに帰った僕が後ほど購入すると考えたのか、または再度示すことで購買意欲を掻き立てようという商売人の商魂なのか⁉
もしくは後日、店に来てその商品がない場合にごねられては大変だと、先手を打って屋敷に問い合わせてきたのかもしれない。
けれどよりにもよってサイズなど、品物の詳細を書かなくてもいいではないか。
僕は頭を抱えてしまった。
これは……どう、誤魔化せばいい?
妻は不快な表情になり、執事は半眼で僕を見つめている。
「……いや、こんなのは誤解だ。商人が無理矢理買わせようと、こんな訳のわからない手を使っているのだ。僕は何もしていない」
まだ、と心の中で思いながらも妻に訴えるが、彼女は冷めた口調で「お父様を交えてお話ししましょう」と言い、執事を連れて執務室から出て行ってしまった。
バタンと重々しく閉まる扉を見つめながら、僕はどうなるのだろうと今更ながらに青ざめる。
何が悪かったのだ?
分不相応に王太子妃であるミモザの下賜を願ったのがいけなかったのか?
僕はフラリとソファに倒れる。
ここ最近の疲れが、今になってドッと押し寄せてきた。
そのまま僕は睡魔に襲われるがままに、意識を手放していた。