実行に移された悪行
タリト侯爵の領地は馬車だと三日はかかる場所にあるのだが、僕たちは早急に戻るよう指示を受けていたので、不眠不休で馬を走らせた結果、どうにか実行前に戻ることができた。
慣れない馬だったので、ジギラダが何度か落馬しそうになったが、怪我することなく屋敷に辿り着いた時にはホッとした。
寛ぐ間もなく王太子の使いの兵士が屋敷に来て、すぐに計画を聞かされた。
場所は懐かしの母校、ミルドナ学園。
サシュティス様が誘拐する令嬢と、その婚約者の王子を学園へ案内する明日に実行する。
協力者は僕たちと兵士が二人、そして学園の警備兵の二人である。
あらかじめ部屋を用意してあるので、その場所に身を潜めていろとのこと。
警備の隙を突いた上手い道筋に、感心する。
なかなか頭の良い人物が仲間らしいが、彼らは賭博に目がなく、借金で首が回らない状況らしい。
そのため、王太子に金で雇われたのだ。
他国の王族の婚約者を攫う計画など怖くないのかと訊ねると、彼は不敵に笑った。
成功報酬は、借金を全て返済できるほどの金額らしい。
しかも雇い主はこの国の王太子だ。
万が一バレても、上手く揉み消してくれるだろうとの考えらしい。
それを聞いて、僕たちも納得した。
そうだ、雇い主は王太子、次期国王なのだ。
僕たちの罪など、どうにでもできる存在。
それこそ彼の命令なのだから、これは罪などではなく、職務と捉えてもいいだろう。
そこで僕たちも、ようやく腹を決めた。
欲しいもののために、僕たちは命令通りに動くだけだ。
計画通りに部屋の隅に潜んでいると、令嬢が三人の侍女を連れて入って来た。
兵士の一人が令嬢の、警備兵の一人と僕とジギラダが三人の侍女の口元を背後からハンカチで塞ぐ。
驚いた女性はジタバタと暴れたが、すぐに体から力が抜けた。
三人の侍女はその場で放置して、令嬢一人を兵士が肩に担ぐ。
万が一、途中で気が付いても暴れられないように猿轡と手足を縛っておいた。
令嬢を簡単にヒョイと担いだ兵士に、僕とジギラダは目を丸くする。
僕たちでは、とてもではないが令嬢を運ぶことなどできなかっただろう。
そして、あらかじめ用意していた逃走経路を突き進む。
学園の経路は警備兵が、学園の周囲は兵士が、仲間がいない空き時間と場所を事前に調べておいたのだ。
途中、誰かと出くわした際の不意の対処法として、警備兵が先頭を歩き、令嬢を担いだ兵士を真ん中にジギラダが両横を、僕が背後を確認して歩いた。
何度か学園の警備兵や兵士を見かけたが、その都度仲間のもう一人の警備兵や兵士が彼らの気を逸らしてくれた。
そうして学園の裏口から僕たちは無事に、裏通りの目立たない場所に待機しておいたみすぼらしい馬車へと乗ることができた。
馬車は城へと問題なく走った。
人目のつかない城の裏手に馬車を止めると、令嬢を担ぎなおした兵士が、城壁にある人の頭ほどの大きさの石が幾つか積まれた場所へと歩き出した。
警備兵がその石を取り除くと、地面に這いつくばれば人が一人通れる穴がポッカリと、城壁に開いていたのだ
兵士がそれをくぐり、令嬢を城内から引っ張る。
僕も城外から令嬢を押した。
目覚めさせることなく令嬢を城内へと運んだ後、僕とジギラダも同じようにくぐる。
令嬢と僕たち三人が中に入ったのを確認して、警備兵は城外から穴を石で塞いだ。
僕たちが戻ってくるまで、ここで見張りをしてくれるらしい。
木々の生い茂る森のような場所を抜け、ひっそりと佇む塔を横切ると、城の裏手に出た。
壁伝いに歩いていると、城内に入る扉が見つかった。
だがそれは薄汚れていて、使用人でも使っていないことがわかる古びた扉であった。
錆びついた鍵は、兵士が蹴っただけで簡単に壊れた。
令嬢を担いだ兵士はそこを何の躊躇いもなく開けると、僕たちに予め用意していた松明に火をつけるよう命じて先に進んだ。
窓も一切ない真っ暗な通路を、ただひたすら歩く。
どうやらこれは、敵が侵入した際に王族が逃げるための隠し通路と呼ばれるものらしい。
王太子が事前に兵士に教えていたのだろう。
そんな大事な場所を教えていいのかと不安になったが、令嬢を攫ってきている自体、他言できないことなので、僕は深く考えないようにした。
僕は松明を掲げて兵士が転んで令嬢を放り投げないように、彼の足元を照らしながら歩く。
ジギラダは暗い所が怖いのか、キョロキョロと落ち着かない様子で僕たちと離れないように必死にくっついて歩いた。
暫くして目的の部屋に辿り着いたのか、兵士が軽く壁をノックすると、ギイッという音と共に向こうから扉が開かれた。
よく見ると、壁に赤い色で丸が書かれている。
扉の向こうにいたのは、侍女のお仕着せ姿をした年配の女性だった。
彼女は気を失って兵士に担がれている女性を見て、顔色を青くした。
眉間に皺が入っているものの、彼女は無言で僕たちを部屋へ招き入れると、令嬢を寝台へ寝かせるよう兵士に指示した。
兵士がそっと令嬢を寝台へと横たえる。
「後は頼んだぞ」
侍女に令嬢の世話を任せると、兵士はそのまま元来た道を歩き始めた。
僕たちも慌てて後を追う。
侍女が扉を閉めたので、また松明の明かりだけで進んでいく。
これで僕たちの仕事は終了だ。
後は褒美の品をそれぞれがもらって、僕たちはまた他人に戻る。
令嬢をサシュティス様がどうするのだろうかとか、扉の壊れた鍵はどうするのかとか、そんなことは僕たちの知ったことではない。
僕はミモザと会えることだけを楽しみにして、さっさとスミーラル男爵家に戻った。
屋敷に戻ると、妻がエントランスで眉間に皺を寄せて立っていた。
「お帰りなさい、あなた。お伺いしたいことがあるのですが、少しよろしいかしら?」
僕の妻はスミーラル男爵家の一人娘なので、夫であるこの僕よりも屋敷には慣れている。
その妻が僕の返事も待たずに、老執事を連れてスタスタと僕の執務室へと歩き出す。
僕は慌てて、妻の背中に声をかけた。
「すまないが、疲れているんだ。話なら明日の朝聞くから、このまま休ませてくれないか?」
「ご心配なく。確認をさせていただきたいだけですから、すぐに終わります」
僕を労わる気が全くない返答に、ムッとする。
タリト侯爵の領地で人探しをした後、馬を飛ばして王都に戻り、今日の計画を頭に叩き込んで、あまり休めないまま令嬢を誘拐したのだ。
さすがに疲労困憊で、一刻も早く休みたかった。
ジギラダも同じだったらしく、いつもなら僕の屋敷に一緒に来るのに、今日は素直に自分の屋敷に戻った。
そんなフラフラな状態だというのに一向に顧みない妻の態度に、僕はたいしたことがなければ怒鳴ってやると心に決めて、執務室へと向かった。
部屋に到着しソファに座ると、妻は数枚の書類を僕の方に差し出した。
「王都の端に小さな屋敷を買われたようですが、どのような目的で購入されたのですか? 私は何も伺っていませんが」
ギクッと僕の体が跳ねる。
それはミモザを下賜された際に彼女と二人で住もうと購入した、小さな屋敷の売買契約書だった。
支払いは当然、スミーラル家から支払うつもりだったので、請求書と共にこちらに送ってもらうように指示していたのだが、どうやら僕がいない間に届けられていたようだ。
執事が預かって、妻に確認したのだろう。
余計なことをしてくれると執事を睨むが、彼は素知らぬ顔で妻の後ろに控えている。
いくらこちらの一人娘だとはいえ当主は僕だと怒鳴りたくなるが、元男爵が健在な状況では、僕の立場は弱いものだ。
男爵の領地にでも引きこもってくれれば良いのだが、まだこちらの屋敷の離れに住んでいる。
何かあれば、すっ飛んでくるはずだ。
だが妻が確認しているということは、今はまだ彼の耳には届いていないのだろう。
ここで妻を納得させておかなければ、ミモザを引き取ることができなくなる。
僕はごくりと唾を飲み込んだ。