巻き込まれた侍女頭の苦悩
サシュティス様に突然自室へと呼び出された私、侍女頭であるドンナ・オンリカは、内心居心地の悪さにそわそわしていた。
侍女は空気と同じ。
高貴な方と同じ空間にいても、決して煩わせないように己の存在を消すのが仕事だ。
今まで散々要人の側で控えていた私だが、どうにも現状、この部屋を支配している空気にはなじめないものがある。
本来私は、サシュティス様に直接呼ばれるような存在ではない。
彼の身の回りの世話は、侍従が行っている。
侍女の雑務に、この傲慢な王太子様が気に掛けることなどないはずだ。
それなのに名指しで呼び出されたのだから、居心地が悪くなるのも当然だろう。
私はソファで優雅にお茶を飲むサシュティス様に、視線を送る。
この部屋に到着し挨拶をしてから、すでに十分は経っている。
私を扉の前に立たせたまま、サシュティス様はお茶を楽しまれている。
相変わらず容姿だけは一級品だ。お茶を飲む姿も様になっていて、思わず時を忘れて見惚れてしまう。
だが、わざわざわ私を呼び出してお茶を飲む姿を見せたかった訳ではないだろう。
お茶に文句があるのなら、こんなにゆったりと味わってはいない。
ならば一体、何の用事だ? 私も暇ではないのだと叫びたくなるが、王族にそのようなことができるはずもなく、ただひたすら彼からの言葉を黙って待っていた。
「――ドンナ・オンリカ、お前、色々と懐にしまい込んでいるらしいな」
お茶を飲みながら、ふと思いついたかのように口を開いたサシュティス様の言葉に、私はビクッと肩を跳ねさせた。
慌てて顔を上げそうになるが、気力でそれを押さえつける。
バレた⁉
いや、そんなはずはない。
今まで一度だって見つかりはしなかったのだ。
しかもこの短絡的なサシュティス様に、気付かれるはずなどない。
私は笑みを張り付け、ゆっくりと顔を上げた。
「何のことでしょうか? 私にはわかりかねますが……」
「母上の首飾りは、どんなに小さくともお前の給料の十年分にはなるだろう。今まで手に入れた品があれば、勤めなど辞めても優雅に遊び暮らせるのではないのか?」
確実に気付かれている私の悪事に、心臓がドキドキと脈打ち始める。
真っ青な顔で佇む私に、サシュティス様は美麗な顔に微笑みを浮かべる。
「心配するな。まだ、私と調べさせた部下しか知らない。このまま三人だけの秘密にするか公にするかは、お前に選ばせてやる」
悪魔とは、このような美しい笑みを浮かべるものなのか⁉
胸に手をやって高鳴る動機を押さえつけたいが、震える手はギュッとお互いの手を握ることしができない。
尋常じゃない汗を吹き出しながら、かすれた声を絞り出す。
「……サ、サシュティス様の、お望みの、ままに」
ゆっくりと深く首を垂れた私を見て、サシュティス様はカップを机に戻す。
「では誰にも気付かれずに至急、部屋を一つ用意しろ。この近くにだ。そして、そこに連れて来た者の世話をお前に任せる。余計な話は一切するな。お前はただ、指示された通りに動けばよい。わかったか⁉」
サシュティス様の命令は、明らかに悪事の片棒を担がせる内容だ。
しかし己の悪事を握られた私には、断る術はなかった。
ただでさえ子爵令嬢という王族の闇を知る私などいつでも消し去りたい存在だというのに、こんなことがバレたら確実に後がない。
私だけではなく、一族郎党の首が飛ぶ。
私は血の気を失せさせながらも、どうにかコクリと頷いた。
私の運命が決まった瞬間だった。
私は誰にも気付かれずに、すぐに部屋を用意した。
そこはサシュティス様の実の母親、子爵令嬢が住んでいた場所だ。
子爵令嬢が亡くなった後、封鎖されていて、私が鍵を預かっていたのだ。
家具はそのままなのでサッと掃除をしてシーツを変えれば、すぐにでも使用可能になる。
ここならば当分、誰の目にも触れることはないだろう。
「こんな部屋があったとは……。でかした、ドンナ」
サシュティス様を案内すると、目を見開いて嬉しそうにしている。
それはそうだろう。
隠し部屋といえるその場所は、人を監禁するにはうってつけの場所なのだから。
城に、しかも王太子の部屋にそんな場所が存在するなど、誰も想像つかないだろう。
この国の王族の闇でもあるその場所を、次なる王がまた利用する。
自分が用意したとはいえ、なくならない闇に嫌悪感が湧く。
だが、サシュティス様はこの部屋に誰を連れてくるつもりなのだろう?
現在、名ばかりの王太子妃であるミモザ様は、幾つもの部屋を転々とされた後、今は城から離れた塔の上に隔離されている。
今更彼女をこの部屋に連れてくる意味はないだろう。
では別の女性と考えるのは当然だが、今のサシュティス様になびく女性などいるのだろうか?
ああ、いないからこそ無理に閉じ込めるつもりなのかもしれない。
けれど、それこそ十年前にあれほどの揉め事を起こしたサシュティス様に、閉じ込めてまで欲する女性がいるのだろうか?
まさかフレーシア様を攫ってくるなんてことを考えているのでは⁉
いやいや、それはありえない。というか、無理だ。
だってフレーシア様は、すでに亡くなっているのだから。
このことは公にはされず噂の範疇でしかないのだが、十中八九間違いはないだろうとされている。
タリト侯爵が王族に一切の情報を与えていないから真実とは言い切れないが、宰相が裏で手を回し、事務処理は済んでいるらしい。
サシュティス様の耳には入れたくないし、国王様や王妃様が知れば、心を痛めるかもしれないとの宰相の判断だとも聞いた。
そのため、彼女の死はごく一部の者しか知らないとの話だ。
もしかして、サシュティス様はそのことを知らないから勝手に拉致する算段を立てて、この部屋を用意させたのかもしれない。
それならば、この部屋は使わなくて済む。
サシュティス様の悪事の共犯にならなくてもよいのだ。
私はまだ、逃げられる。
部屋を眺めまわして喜ぶサシュティス様の姿を見ながらその時は、短絡的思考の持ち主で助かったと安堵していたのだ。
しかし、現実はそう簡単ではなかった。
あろうことかサシュティス様は、遊学に来ていた他国の王族の婚約者を拉致してきたのだ。
蒼白になる私の前で、彼は彼女をフレーシアと呼んでいる。
気が狂ったのかと驚愕するも、私には彼を諫めることはできない。
彼女は必死に現実を訴えていたが、自分の妄想に取りつかれたサシュティス様には言葉は通じなかった。
サシュティス様が部屋を出ると同時に、私は急いで彼女の縄を解く。
手足をしっかり結んでいたらしく、痛々しい痕が残っている。
「……フレーシア様とは、どなたのことですの?」
腕に残る痕を擦りながら、令嬢は私に向かって問うてくる。
自分が拉致された理由の存在なのだ。気になるのは当然だろう。
だが私には彼女の疑問に答える自由はない。
「申し訳ございません。一切話すなと命令されています。私はただ、少しでも貴方様に居心地の良い空間を提供できればと……」
「誘拐されて、居心地も何もないものですわ」
「………………」
正論を言われて、ぐうの音も出ない。
フレーシア様に似た容姿で拒絶されると、私の心も痛んだ。
せめて彼女には誠心誠意お仕えしよう。
何も話せない以上、誠心誠意も何もないのだが、それでも私にできることはしようと決意した。
彼女を守れるのは私だけなのだと、一人静かに心に誓う。
サシュティス様にも、無情なことは絶対にさせない。




